後日談 初デート(裏1)
今回ハルさんを遊びに誘ったのは、付き合ってからこの方、何も出来ていないことへの申し訳なさの表れであり、単純にハルさんと楽しみたかったからだった。
「ハルさん、最近本当に可愛くなったよな」
そう、なんとなく呟く。
連休直前の夜、部屋で一人机の上の資料を整理していたときのことだ。
直近に迫った最終面接に向けての準備が一段落して、ふと気が抜けた。それでここ最近ずっと思っていたことが漏れだしてきた形になる。
「なんというか……影が消えたというか」
これまでずっとハルさんに付きまとっていた暗いものが薄れたというか。笑顔の陰にあった憂鬱な気配が消えたというか。立ち姿に潜んでいた儚さが見えなくなってきたというか。
……もっと素直に言えば、笑顔がすごく可愛くなったと思う。
本当に楽しそうに笑うようになった。一緒に過ごしていると、無邪気に、ただ笑ってくれることがある。
「口を開けて笑うハルさんとか、前は見なかったよな」
――綺麗だ、と。
そう思う瞬間が、何度もあって。
「……っ」
そして、そんなハルさんを見ていると、胸がかきむしられるような気持ちになることがある。ちゃんと告白していてよかった、とも。だって、もしまだ付き合ってなかったとしたら。
「……めちゃくちゃ焦ってそうだ」
他の誰かに先を越されないか、と。
そんなことを考えてしまいそうで。
「……やっぱり惚れてるんだよな」
だから、最近はそれを何度も自覚している。
ハルさんが隣に居てくれることの幸せと、間違えなかったことに対する安堵を。
「……」
好きだから、共に時間を過ごしたい。
一緒に食事をしたいし、遊びに行ったりもしたい。そう思う。
……しかし。
「就活がなぁ……」
でも、それがあまりできていないのは、全てその二文字のせいだった。
大学四年。来年には卒業が迫っている時期。
将来のためにも手を抜く事は出来ないし、ハルさんに迷惑はかけられないし。
「……はぁ」
……まあ、仕方ないか、とため息を吐く。
やるせない気持ちを抱えながら、せめてもう一年早ければもっと色々できたのにな、と。
「――ん?」
そんなときだった。
スマホが電子音と共に小さく震える。
通知の音だ。
普段から使っているSNSの音。
「……美弥?」
スマホを手に取り、画面を見るとそこには妹の名前があった。
最近は受験で忙しいのか、少し久しぶりに感じる名前だ。
「……?」
通知には、名前とシステムメッセージだけが表示されている。
言葉はない。ただ、美弥から写真を受信したと表示されていた。
……なんだろうか。
そう思って、アプリを開くと――。
「――うおっ!」
――驚く。思わずのけ反った。
全く予想していない色がそこにあったから。
――真っ赤な、写真。
血の色の人影が、こちらを覗き込んでいる。
「………………これ、人形か?」
そこには日本人形の画像があった。
それもただの人形じゃなく、柱に体の半分を隠し、こちらを凝視している。目からは血が滴っていて、身の丈ほどの包丁を抱えていた。
着物の色は真っ赤な血の色で、包丁は鈍く輝いている。
真っ黒なボサボサの髪の毛と、僅かに見える真っ白な肌がコントラストを描いていて。
怨めしそうな顔は人形なのに少し歪んでいて、包丁の先から流れた血が地面に文字を描いていて――。
『――妬ましい』
そう、一言。
書いてあった。
「………………」
……え、なに? ホラー?
何を思ってこんな画像を?
ちょっと怖いんだが……?
「……っ、と」
そして、またスマホが着信音と共に震える。
通知は妹からで、ちょうどそのトーク画面を開いていたので、続くメッセージがすぐに表示される。
すると――。
『妬ましい妬ましい妬ましい』
『ハルちゃんほんと天使』
『あの笑顔を独り占めにするとか犯罪ですよ』
『ずるくないですか?』
『不平等』
『どうして私は兄さんじゃないのでしょう』
『妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい』
「……」
と、そんなメッセージが続けさまに表示される。
「…………………………」
…………………………え、怖っ。
普通に怖い。まあ冗談だとは思うけど、しかし。
『羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい』
『あの天使をずっと見つめていたい』
『脳を挿げ替えて成り替われたら……』
なんかとんでもないこと言ってるし。
何がどうなってこんなことに?
……まあ、ハルさんが可愛いのはわかるけれど。
『ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい』
『独占禁止法違反です。罰として妹にもっと写真を送ってください』
……しかしこれ、どうしようか。
次から次へとメッセージが送られてきて、返事をする時間もない。
スマホの画面がメッセージで埋まっていく。
ちゃんと読む時間もない程、絶え間なく送られてくる怨念じみた文字列に、困惑し、こめかみを押さえて。
『……などと、言いたいことは沢山ありますが』
『それはそれとして。近いうちにデートだそうですね』
……と、思ったらいきなり落ち着いて、そんな言葉を投げてくる。なんだこいつ。
というかデートって。
何で知っているんだろう。ハルさんに聞いたんだろうか。
『デート中、兄さんには言うべき言葉があるはずです。それを決して忘れないように』
『いいですか? これはマナーですよ?』
……言うべきこと。
……マナー?
「……」
なんのことだと思うものの、美弥からのメッセージはそこで途切れる。
しばらく待っても、次のメッセージは送られてこない。
「……なんなんだ、まったく」
スマホを机に置いて、少し苦笑しながら呟く。まったく、久しぶりに連絡してきてこれかと。ため息を吐きたいような、相変わらず変な方に元気なようで安心したというか。
結局、言いたいことだけを言って去っていった。訊き返そうかとも思うものの、流石にさっきのホラーの後なので少し抵抗があって。
「……言うべきこと、ね」
全く心当たりがない。
マナーとか言われても分からない。
……なんだ?
「将来のこと、とか……?」
今後の人生設計。未来の話だ。
就活の真っ最中だからか、そんな言葉が浮かんでくる。
就職先とか、家とか、その先のこととか。
しかし、それは流石に早すぎる気もする。だって付き合い始めてまだ一カ月だ。
「……?」
結局、分からなくて。
俺はしばらく首を傾げ続けた。
◆
――ちなみに、その後。
一時間くらい経った頃に。
SNSに一件の着信があって、スマホを開いた。少し警戒しながら開いた先には二行ほどの文章が記されていて。
『PS:ハルさんと交際しているようですね』
『……おめでとう、兄さん』
昼とは違う、簡潔な祝いの言葉。
家族からの、少し照れ臭いけれど素直に嬉しい言葉で。
「……」
――しかし。
ホラーより先にその言葉が欲しかったなと。そう思った。




