裏話 隣人の手紙
――それは、ハルさんとの約束の数時間前のこと。
俺は部屋で一人、パソコンと向き合っていた。
◆
「……ふーむ」
画面と向かって、キーボードを叩いて。
ハルさんのことを考えて、少し悩んで。
またキーボードを叩いて、悩んで――。
「……」
画面の中に、少しずつ文字が増えていく。
考えて、語弊のないように文章を書いていく。
――そこに書かれているのは、あの人のことだ。
ハルさんへの誉め言葉。俺があの人に言うべきだと思ったこと。そして数時間後には本人の前で発表するためのものになる。
「……しかし、恥ずかしいな、これは」
苦笑しながら、呟く。
真剣に人への誉め言葉を書き連ねるという行為。それは正直に言って気恥ずかしいものがあった。背筋がむず痒いというか、落ち着けないというか。バツが悪いというか……。
……自分自身を茶化したくなるというか。そんな感じ。
しばらくして冷静になったら、穴に埋まりたくなりそうというか。
なぜかって、これ――。
「ははは……」
――そのまま渡したら、ラブレターみたいなものじゃないか?
それも、めちゃくちゃ気合の入った。
「……はは、は」
我ながら、思春期の中学生みたいなことをしているな、なんて思う。妹あたりに見られたら、指差して笑われそうだなとも。
しかし、それでも――。
「……うん」
――それでも、手を動かし続ける。
そうするのは、先程あの人の声を聞いたからだった。
……早朝のあのとき。
ハルさんの部屋の前で聞いた言葉。
『――好きだから、大好きだから、言わない』
あの、悲鳴のような言葉があったから。
……あれから、考えた。
それはどういう意味なのか、考え続けた。
昨日の話を思い返して、これまでの日々を想って。その上で色々悩み込んで。
好きとは何か。言わないのは何かって。好意と、拒絶。それはなにかって――。
「――」
――でも、そんなとき。
ふと、浮かんできた。
それは少しズレているんじゃないかと。そもそも、勘違いしてるんじゃないかって。
そうだ、注目するべきは――。
「……『言わない』、か」
それは、『なにが』ではない。『なにを』でもない。主語でも目的語でもない。
なにが好きなのか、ではない。
何を言わないのか、でもない。
――『言わない』。
そもそも、それこそが、あの人の抱えているものなのではないか、と。
「要するに……あの人は、『言えない』んじゃないか?」
そう、思ったんだ。
「……」
……思い返してみれば。
最初からそうだった気はする。
あの人はあまり思っていることを言葉にしない。雑談はするけれど、自分の気持ちとかあまり言わない。
大事な話――過去の事とか、病気やトラウマの事なんかは特にそうだ。余程のことがないと教えてくれない。というか、半年ずっと一緒に居て昨晩が初めてかもしれない。
……つまり。
「……そういう生き方をしてきたんだよな」
本心を隠して、建前を並べて。
嫌われたくないと、迷惑をかけないように生きてきたからだ。
「……」
……拳を、握り込む。
歯を、思わず食いしばって。
……あの人がなんでそんなことになったのか。
それは、理解かるとは口が裂けても言えないけれど、想像する事は出来る。
母親とか。教師とか。過去周囲にいた人間達。
そういうやつらに、無視され続けてきたから。言葉を、存在を否定され続けてきたから、言葉にすること自体に抵抗がある。
言いたいことがあっても、言わないことが常態化している。言っても無駄だと、傷つくだけだと思っているから。
だからこそ、今朝もあんな風に『言わない』と悲鳴を上げたんじゃないか。……そう思った。
「推論でしか、ないけれど」
もちろん、俺の想像に過ぎない。
違う可能性はある。もしそうだったら申し訳ないとも思う。
……でも、どこか勝手な確信のようなものがあって。
「……」
……だから俺は、考えた。
どうすればあの人の力になれるか。どうすればあの人が悲しまずにすむか。
今のままでいいとは思えない。
現状のあの人は苦しそうに見える。
「……そうだよな」
――そして、悩んだ結果として。
俺はあの人を全力で褒めようと思った。
それは、突飛な考えかもしれない。けれど普通ではダメだと思った。
だって、苦しくても。何も言わないことがあの人の生き方なら、それは簡単じゃない。
『この生き方は、今更変えられないの!』
……早朝の、美弥の言葉。
そうだ。人は、生き方をそう簡単には変えられない。美弥が言っていた馬鹿な悩みは、馬鹿ではあるけれど、一部はきっと正しい。
間違っていると分かっていても、人はなかなか正しくは生きられない。それを俺は知っている。
……冬のあの日。
俺は過ちを理解しながらも最後まで間違えてしまった。雪に埋もれて死にかけていた。
――ああ。
俺は過去、変われなかった。家族にも散々迷惑をかけた。心配させた。正しく生きられなかった。
……でも。
それでも、なんだ。
「……助けて、もらえたんだよな」
俺はあのとき、あの人に救われた。
今こうして生きていて、ギリギリのところで道から逸れずに済んでいる。
「……だから、次は俺がと思うのは傲慢だろうか?」
今度は、と思う。俺があの人を助けたい。
もしあの人が『言えない』生き方をしていると言うのなら、まず俺が『言いたい』。
笑われそうな気はするし、恥ずかしくても。
それでも、俺は言いたい。だから、あの人も言っていいんだと伝えたい。
こんなに正直に、大真面目に。
恥ずかしいことを言いたい放題言うやつに、遠慮なんかしなくていいんだと。あなたも我慢なんてしなくていいんだって。
「あなたの手を、俺が握りたい」
あなたが出来ないことを、俺がしたいんだ。あの日、冷め切った俺の手をあなたが握ってくれたように。間違った努力を重ねる俺を引き止めてくれたように。
――そうだ。人は、一人では変われない。
……でも、隣にいる人が手を差し伸べる事はきっと出来るだろうから。
「……………まあ、そうは言っても、やっぱり大きなお世話かもしれないけれど」
苦笑しながら、呟く。
ここまで語っておいてなんだけれど、この話には、やっぱり確証はない。
もしかしたら、全部見当はずれかもしれない。俺が恥ずかしい思いをするだけかもしれない。
そんなことをしなくても、あの人はすぐに言いたいことを言えるようになるのかもしれないし、空回りする俺を見て、ハルさんは驚くかもしれない。
……しかし。
「今は、出来ることをしたい」
……目を閉じると、昨日のあの人の姿。
泣きながら、俺の手を握り締めながら、必死に言葉を紡いでいた。
『――本当は、もっと褒めて欲しかった! 僕を見て欲しかった! でも、でも!』
悲痛な声を、思い出す。
「……だから、ハルさん――」
◆
「――これから、あなたを全力で褒めます」
「……???」
約束の時間。夕方の部屋。
目の前にはハルさんがいて、目を丸くしている。
ぽかんと口を開けて、ぱちぱちと瞬きをして。驚いた猫のような顔で、俺を見ていた。
そうだろう。分からないと思う。
なにせ脈絡もなければ、きっと意味も分からない。
……それでも、これで良い方向に向かってくれたらと。そう思って――。
「――最初に、俺が知っているあなたの優しい所から」
「……????!?」
――まず、最初の一言。
ハルさんへの手紙を読み上げた。




