第59話 話とは
「……話って何だろう」
食事の後、部屋に戻って呟く。
夕方ごろに時間を作って欲しいと彼は言っていたけれど。
「普通の話なら、その場で言えばいいよね……?」
あんな風に畏まって言ったんだ。
なにか特別な話か、または時間が必要な話か。食事中にもそれとなく聞いてみたけど、はぐらかされてしまった。
「……?」
……なんだろう?
不思議で、純粋な疑問が湧いてくる。
さっきまでの鬱々とした気分が少し紛れるくらいには不思議だった。
彼の話とは、いったい?
「………………昨日のこと、かな」
考えて、一番最初に思い付いたのは昨日の話だった。
彼に話したこと。これまでの僕の話。
過去と、葛藤と。
寂しさと、後悔と。
そんな、色んなことを話した。
だからそれについての話を彼がしたいといってもおかしくないと思う。
……まあ、僕は言いたいことを好き勝手に話しただけだから、それに対して彼がどんな話をするのかはよく分からないけれど。
「……うーん」
……どうなんだろう?
そうだ、と思える確証は無い。
「……それとも、別の話?」
他のことだとすれば、なんだろう。
「最近、少し忙しそうにしてたし」
それなんだろうか。
彼が来年の卒業に向けて、就職活動をしていることは知っている。
将来のことだとか、人生のことだとか。
僕も一度通り抜けてきた道だし、誰かと話したくなる気持ちは理解できる。
「……あとは、旅行とか」
先日の温泉のことかもしれないし、その時に少し出た次の旅行の話かもしれない。それとも先日知り合ったあの娘……家族のこととか。そんな可能性だってあると思う。
「……あと、あとは……」
他には、何があるだろうか。
そう思って……。
「…………………………」
――ふと。
恋愛、とか。そんなことが浮かんでくる。
「……」
なんとなく。
本当になんとなく。
部屋の隅で、膝を抱える。
帰ってきた後、エアコンをつけていない部屋の中は少し肌寒かった。
「……」
真面目な顔だった。
神妙な雰囲気だった。
僕と彼。
きっと親しい間柄。
昨日は僕の話をずっと聞いてくれた。
手を握って、傍にいてくれた。
そんな、彼。
隣の部屋の、大切な人。
僕に優しくしてくれる彼。でもその感情の種類は分からない。
親愛なのか恋愛なのか。僕のことを男と女、どちらと思っているのかもわからくて――。
『――俺は、あなたと話がしたい』
――でも、きっと好意はあると信じられる人。
そんな人の、大事な話。
それは……。
「……告白、とか」
思わず、都合のいい考えが口から飛び出す。
それは予想ではなく、単に僕がそうなったらいいのに、と思っているだけの妄想だ。
浅ましい妄想。都合のいい未来。
愚かだと、鼻で笑いたくなるような。
だってそうだろう。
ついさっきまで僕の気持ちは伝えられないと悩んでいたくせに。女として見てもらえるんだろうかと苦しんでいたくせに。
手のひらを返したように、期待している。元男のくせに、貧相で子供みたいな体のくせに。
……僕に、告白してくれるんじゃないかと。
待っているだけで幸せになれるんじゃないか、頭の片隅で思ってしまう。
「……そんなわけ、ない、けど」
きっと、ない。そう思う。
そう自制する。
そうだ。だってそんな態度じゃなかった。
告白とかそんなのじゃなくて、もっと真剣だった気がする。
そういうのって、もっと照れたりするものでしょう? 緊張するだろうし、いろいろ悩むだろうし。だから僕だって困ってるし……。
…………だから、きっと違う。
「……」
そんな、当たり前の結論。
でもなぜか、膝に回した手に力を入れてしまう。
「……」
……膝に、顔を埋めて。
「……………………」
――なんだか、自分がわからなかった。
疑問と、不安と、期待と、否定と。
心はぐらぐらと揺れている。
……そうだ。
思えば朝からそうだった。
朝起きたときから、嬉しくて、大好きで。
でもだからこそ不安になって、口を噤んだ。
彼の部屋では分からなくなって、逃げ出して。
……そして今。
「……」
思考はめちゃくちゃで。
何もかもが曖昧で。彼の一挙手一投足が気になって。
「――」
――でも、思う。
――これが、恋をするということなんだろうか?
「……わからないよ」
けれどやっぱり、僕にはわからない。
思考は同じところでグルグルと回っている。
……しかし、分からないままに時間は過ぎて行って――。
◆
――約束の時間がやってくる。
一日考えても分からないまま、立ち上がり、彼の部屋へと向かった。
足は重い。
頭の中は揺れている。
話とは何だろうかと。
愚かな期待と、ままならない不安。
「……」
……ただ、向かいながら決意する。
いつも通りに見えるように頑張ろうって。朝ごはんの時に、そう決めていたように。
――だって。
――僕から伝えられる気持ちなんて、言っていいことなんて何もないんだから。
「――いらっしゃい、ハルさん」
「……うん、おじゃまします」
扉を開けると彼がいた。
勧められるままに部屋へ入り、昨日のように卓袱台の片方に座る。
彼もその対面へと座って……。
……あれ。彼が何かを持っている。
数枚の紙だ。ごく普通のコピー用紙。そこには何か書いてあるように見える。
「……では、ハルさん」
「……え? あ、う、うん」
彼の声で、意識を戻す。
そうだ、今はそれよりも。
「早速ですが、これから」
「……うん」
彼の言葉に唾を飲みこむ。
どんな話なのかと、緊張を自覚する。
「……」
……ただ、なんだったとしても。
辛くて泣きたくなるようなことじゃなければいいなって。そう思って――。
「――これから、あなたを全力で褒めます」
「……」
…………………………??




