第57話 想像
――想像する。
もしもの話。仮に、僕が彼に気持ちを伝えたら。
『……あなたが、好きです』
彼の部屋に行って。勇気を振り絞って。
僕の初めての恋心を伝えたとして。
その結果は、果たしてどうなるのだろうかと。
『友達とかじゃなくて、れ、恋愛的な意味で、好きです』
きっと僕は震えている。
怖くて、顔を上げることが出来ないと思う。
それでも、好きだから。
ずっと一緒に居たいから告白したとして。
――その結果は?
『僕を恋人に、してください』
受け入れてもらえたら、嬉しい。
抱きしめてもらえるのなら、きっとそれ以上の幸せは無いと思う。
……でも、もし。
もし、万が一にでも――。
『……ハルさん』
――彼の声を想像する。
想像の中の彼はいつもと同じ声で僕の名前を呼ぶ。
そして――。
『――す、すみません。そんなつもりじゃなかったんです』
『……え?』
『俺はハルさんのことを尊敬していて、それだけで。落ち込んでたら力になりたいとは思いますが、しかし、その……』
耳を疑って、信じたくなくて。
顔を上げるときっと彼は困った顔をしている。
優しい彼は言い辛そうにしていて、それでも、慌てたように言葉を重ねている。
それは違うんだよって。
俺たちの間の関係はそういうのではないでしょう、って。
『ほら、ハルさんは男だったじゃないですか』
『……あ』
『俺としても、その、難しいところがありまして』
事実なのに、胸が抉られるような言葉。
なにも否定できないのが悲しくて。努力ではどうにもならない過去がそこにあって。
……痛くて。痛くて。どうしようもなくて。
でも、何も僕は言えなくて。
『……えっと、友達じゃ、ダメでしょうか?』
『ぁ』
『……すみません、ハルさん』
そして、最後に。
彼は、申し訳なさそうな顔で頭を下げて――
◆
「――あ、だめ。これだめ、しんじゃう」
涙がぼたぼたと溢れてきて、想像を断ち切る。
びっくりするくらい心が痛くて、胸が包丁で刺されたみたいに痛かった。
ぱたぱたと涙がフローリングに落ちて、小さな水たまりが出来て、その水たまりも段々
広がっていく。
栓が抜け落ちたように目から雫が零れて、まるで何か壊れちゃいけないところが壊れてしまったような。
「だめだよ。だめ。そんなこと言われたら、僕、僕は……」
ちょっとした想像のつもりだった。
彼の気持ちがわからなくて、不安で。それでつい、もし仮に最悪の場合だったらどうなるんだろうって。そんなことを考えた結果だった。
彼が、僕のことを女じゃなくて男だと思っていたら。
彼の好意が、恋愛じゃなくて、親愛だったら。
そんな想定で思い浮かべて、それが。
「……ぁ……やだ……」
嫌だった。それだけは認められなかった。
苦しくて、辛くて、どうすることも出来なかった。
息は荒くなって、胸は痛み続けている。
足から力が抜けて、気付くと床にべたりと座り込んでいた。
「……ぅ」
悲しくて涙が止まらない。
つい昨日、慣れてるから悲しみで涙は流れない――みたいなことを言った気がするけれど、そんなのは嘘っぱちだった。
調子に乗っていただけだ。無理。
こんなの耐えられない。やだ。ぜったいやだ。
痛くて、痛くて。
これまで生きてきた中で一番痛い。
大人の態度なんて取り繕えない。子供のように蹲ることしかできない。
だから僕はただ泣き続けて――。
――
――
――
「――むり」
――数十分後。
なんとか落ち着いた僕は、そう諦めの言葉を漏らす。
ダメだろうと思っていたけれど。
一度立ち止まってしまった僕は、やっぱり前に進めない。
初めて恋をして、嬉しくて、幸せだったけれど。
彼のことを想うとつい笑ってしまうし、今この時も彼に抱きしめてもらいたいと思っているけれど。一生彼と共に生きていきたいと思うけれど。
でもそれは断られたときの苦しみと表裏一体でもあって。もし失敗したら、後には何も残らない。気持ちが大きいからこそ、痛みも大きくなる。
彼のことが好きだ。恋人になりたい。
……でも、これだけは。
もちろんさっきの想像は最悪の場合だけど。
その万が一を思うと、怖くて、怖くて。
「……やっぱり、少し、待とう」
好きだけど、今は告白はしない。現状維持にとどめる。
そうするべきだ。そうしなければ、ならない。
急いで行動してすべてを失ったら、僕は明日からどうやって生きて行けばいいのか。
だって、僕はもう知っている。
一度知った幸福は忘れられない。
贅沢を知ったものが、貧しい生活に耐えられないように。僕はもう、満たされる幸せを知ってしまった。
「……同じように、しないと」
だから、昨日と同じ僕として、彼に接する。
昨日までよりずっとずっと彼のことが好きだけど、でもそれは表には出してはいけないことだ。
彼の顔を見たら冷静でいられるかわからないけれど、でも。
今まで通りでいい。
いや、今まで通りがいい。そうあるべく努力する。
「――好きだから、彼のことが大好きだから、言わない」
そう、決める。
逃げているのかも知れない。
正しくなんてきっとないけれど。僕にはそれしかできないから。
「……ぁはは」
なんとなく、笑いながら。
「……ぁあ、でも」
ふと、思う。
今まで通りってどういう感じだったっけ。それが、よく分からなくて――。
◆
――後に、彼から聞いた話。
ちょうど僕が下を向いたそのときのこと。
僕は自分の感情を処理するのに必死で、周囲のことが見えていなかった。
必死だったから、周りの音なんて耳に入っていなかった。
だから。
「……」
そのとき、扉の前に誰かが立っていたなんて。俯いている僕には知る由もなかった。




