第55話 翌日
今日から更新再開です。
最終章全十話を毎日更新しますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。
その日、僕は夢を見なかった。
ただ、なにか優しいものに包まれているような感覚だけがあった。
幸せだった。暖かかった。
ずっとそこに居たいと願いたくなるような、そんな温もりがあった。
「……ぇへへ」
だから、つい子供の様な声が漏れた。
普段なら顔を隠したくなるような声だ。でも今はいいと思う。だってこんなに暖かいんだから。
「……んぅ」
嬉しくて、満たされていて。
その感情に従うように、手に力を籠める。なんだかよく分からないけど、僕はずっと何かを胸に抱いていた。
硬くて、でも表面は少し柔らかいような知らない感触。
それなのに、どこか落ち着く匂いがするのが不思議だった。
ホッとするけれど、少しドキドキするようなそんな感触と匂い。
それを抱きしめていると、知らない感情と胸の高鳴りがあって、それが心地よかった。
「……ぁ」
……僕は夢うつつのまま。
しばしそんな幸福に包まれていて――。
「……ぅー」
――ああ、でも。
それでも、幸福でも。
人間は、いつまでも寝てはいられない。
病でない限り、眠りはいつか覚める。人間とはそういう生き物だ。
「……」
段々と意識が浮上していく。
ふわふわとした感覚が消えて行って、胸に満たされていたものが消えていく。どこまでも柔らかい何かは、どこか違和感のあるシーツの感触へ変わり――。
――しかし、腕の中の温もりだけは消えなかった。
「……あ」
目が覚める。
意識が完全に覚醒する。
寝起きで、なのにどこかすっきりしていた。まだ起き上がってもないのに体が軽いことが分かるような。そんな感覚があって。
「……ん!」
今日は絶好調だと確信する。
思わず声が出るほどに気分がよかった。
こういう日は、きっといい一日になる。
すぐにベッドから起きて、大きく背伸びをしたい。そういう感じだ。
だから、カーテンを開けて深呼吸をして。そしてせっかくだし少し手の凝った料理でも作ろうかなってそう思って――。
「………………ん?」
――でも。そこで。
あれ、と気付く。おかしい。変だ。何がおかしいって……
「ここ……?」
僕の部屋じゃない。
見覚えはある、あるけどおかしい。
……だって。
「……え?」
……ここは、彼の部屋だ。
でもなんだって、こんなところに?
それに……。
「……うぇ?」
今、僕が抱きしめているモノ。
なんだか暖かくて、少しゴツゴツしてる、これは。
「……??」
不思議で、布団を少し持ち上げて自分自身の腕の中を見る。
すると、それはなんだか人の腕のような形をしていて、あとついでにその腕自体にもなんだか覚えがあるような……。
……え? なにこれ?
「……ル……ん」
「――っ!」
――と、声がした。
知っている声だ。
驚いて体が跳ねる。
ついでに抱きかかえていたものからも離れて。
声は僕から見ると、掛け布団の影になっている位置からのもののように聞こえた。でもなにがなんだか分からない。
だから、混乱するままに、布団を横によせ……?。
「…………へ?」
……はたして。
そこに彼がいた。ほんの数十センチ先。
彼ベッドに上半身を預けるように寝ている。
左手を枕にして眠っていて、右手は僕の方へ伸びていた。
「……」
……えっと、これは……?
訳がわからない。さっきからグルグルと頭の中が回っている。次から次へと飛び出してくる不思議な状況に頭が追い付いていない。
どういうことなんだろう。
何があったのかと脳内の記憶をひっくり返して……。
「………………あ」
――思い出す。
……そうだ。……そうだった。
昨日のことがだんだんと蘇ってくる。
夕方この部屋に訪れて、そのあと――。
――つまらない話になるよ。
「そう、だ」
……昨日。あのとき。
僕は彼に全てを話した。
これまでの人生を。
どうして僕がこんな人間になったのかを。
色んな、本当に色んな事を。
言うべきことも、言うべきじゃなかったかもしれないことも。
なにもかも。支離滅裂に。
勢いのまま、長い話をした。
「……ぁ」
それで、彼は。
そんな僕の話を、ずっと聞いてくれた。真剣な顔で。馬鹿にすることも、嫌そうな顔をすることもなく、僕の目を見ていてくれた。
そして……。
『……辛かったですね』
多くは、語らなかった。
でも、そう言って僕の手を握ってくれた。
……受け入れてくれた。
他の誰でもなく、彼が。初めて僕を受け入れてくれた。
……それだけでよかった。僕はずっと。それが欲しくて。
「……ぁ」
嬉しかった。なによりも嬉しかった。本当に、もうそれ以上何もいらないってくらいに嬉しかった。
――彼が好きだって。
大好きだって。幸せだって思った。
ずっと一緒に居たい。
この手を離したくないって、あの時のぼくは思って――。
「――」
――そして今。
どうやら一夜が明けて、早朝。
いつのまにか眠っていた僕は、彼の部屋で目を覚ましている。
「……そっか」
思い出した。
あのときに何があったのか。そしてその感情を。
――ああ、と。
声が漏れる。
「……」
昨夜の経緯を思い出した。
だから、記憶と今の感情が繋がっていく。幸福感が胸を満たしていって、心臓の鼓動が激しくなっていく。
……好きなんだって。
僕は彼のことが好きなんだって、脳に遅れて体が理解する。
「……あの、その」
……でも。
どうしよう。そう思った。
僕はどうすればいいんだろう。
人を好きになるということ。嬉しくて、暖かくて。でもなにがなんだか分からない。
だって、僕はこんなの初めてで。
「……」
わからない。
わからないままに、彼を見た。
彼はすぐそばで眠っている。
穏やかに寝息を立てている。
右手は、こっちへ伸びていて。
「……手を、ずっと握ってくれてたんだ」
抑えられない気持ちを胸に抱えたまま、彼の腕を見る。布団の上のそれは、ついさっきまで僕の手を握っていてくれたものだ。
ずっと、ずっとだ。
長い話をしている間、僕の手を包み込んでいてくれた。
今もそうだ。
きっと眠っている間だって僕の手を――。
「……? そういえば」
――あれ、とそこで気付く。
ベッドに突っ伏している彼は毛布も布団も体に羽織っていない。
「……か、風邪ひいちゃうよ」
慌てて、ついさっきまで僕がかぶっていた布団を彼に被せる。
まだ三月の寒い時期。
エアコンはついているとはいえ、しかし部屋の中はまだ少し肌寒い。
「……大丈夫?」
眠る彼の顔を覗き込む。
もし風邪を引いていたらどうしようと思った。僕のせいで彼がと思うと不安で。
「……大丈夫そう、かな」
しかし、彼の様子は穏やかだった。
小さな寝息と、うつ伏せで横になる寝顔がそこにあって。
「……よかった」
安心する。大きく息を吐いた。
そしてそのまま、少しの間彼の寝顔を眺めて――。
「……………………………」
――そこで。
なんとなく、思った。
わからないけれど。
彼が。好きな人が、すぐそこで眠っているんだなって。
「……」
……視線が彼の口元へ向かう。
少しカサカサとしていて、男の唇だなって感じがした。僕もこんな感じだった気がする。変わった後の唇は随分と柔らかくなった。
「……」
なんだか心臓の鼓動が速くなる。
じんわりと全身から汗が噴き出してくるような。
おかしいな、別に部屋が暑いわけじゃないのに。でも。
「……」
段々と、彼の顔が近づいていく。
不思議だけど、なぜか。
何がしたいという訳でもないのに。
……なんだか、体がおかしくて。
「……」
「……」
「……ぁる、さ」
「……!?」
――そのとき。
彼が、何かを呟いた。
それで僕は、自分が彼と目と鼻の先まで近づいていたことに気付く。
理解できないけれど、彼の顔が視界いっぱいに広がっていた。
「~~~~~!!」
驚いて、後退りするように距離を離す。
顔が熱くて、分からなくて――。
「……あわ、あわわわわ……!」
――だから、慌てるままに、逃げ出した。
彼を起こさないように慎重に、でも急いで。
だってこのままこの部屋に居たら、自分が何をするか分からなかったからだ。




