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第52話 失いたくない


「……」


 彼の部屋から自室へ戻る。

 そして、玄関横の壁へ寄り掛かった。


 心臓が鳴っている。

 激しいわけではないけれど、耳元で鳴っているような錯覚があって。


「……話の途中で、逃げちゃった」


 呟く。いきなり部屋から出ていって、彼には申し訳ないことをしただろうか。


「……後で、謝らなきゃ」


 朝に誘いを断った時といい、もっと大人としてするべき態度があったんじゃないかと思って。

 

「……ぅ」


 ……でも。出来なかった。

 それができるほど、余裕がなくて。


 だってめちゃくちゃだ。頭の中がぐちゃぐちゃで、切なくて、胸が苦しくて、訳がわからなくて。


 混乱している。ずっとだ。

 思えば、今日の僕は朝からずっと困っていた。


 彼の手の暖かさに戸惑って。

 チョコレートにむしゃくしゃして。

 

 ……ついさっきは、以前の自分自身の言葉に悲しくなって。


「……いやだよ」


 想像してしまったんだ。

 

 彼にチョコレートを手渡す知らない誰かを。

 彼に可愛いと言ってもらう普通の少女を。


「……そんなこと、言わないで」


 僕以外の人に可愛いなんて言わないで欲しい。褒めないで欲しい。一緒に歩かないで欲しい。


 僕と、一緒に居て。

 もっと僕を見て。


 ……できれば、甘えさせて、欲しくて。


「……っぐす」


 感情が高ぶって、目が段々熱くなる。

 じんわりと目の前が滲んで、鼻がつんと痛くなった。


 ズキズキと胸が痛んで、苦しくて。


「……」


 でも、だからこそ。

 胸が痛いからこそ、思う。

 

 ……なんで、と。

 どうして僕は、と。

 

 なんで、彼を想うだけで心がめちゃくちゃになるのか。

 彼が女性と歩いていただけで、チョコレートを貰ったと思うだけで。褒められている姿を想像するだけでこんなに悲しくなるのか。


 ……それは。


「……」


 ……本当は。

 本当は、わかっている。わかってるんだ。


 子供じゃないんだ。

 どれだけ考えないようにしていても、それ以外は無いってわかってる。


 僕にとっては彼が初めてだけど。

 きっと、こんなに切なくて、悲しくて、暖かいことなんて他にない。

 

 ……でも。


「……僕は、元は男で」


 今は女でも、過去は変わらない。

 病気の前は、全然違っていた。


 男だった。半年前まではずっとそうだった。

 今でも目を瞑れば当時の姿は簡単に思い出せるし、彼と知り合ったのも男だったときだ。


「……彼は」


 ……そうだ。

 彼は、昔の僕を知っている。


 僕が本物の女じゃないことを。

 病気で変わっただけの、元男だってことを。


 そして、それは理由になる。

 全てが壊れてしまう理由になり得るんだ。

 

「……怖い」


 ……だから、怖い。

 怖くて怖くて仕方ない。


 彼は、本当に――。


「――僕を、受け入れてくれるのかな」


 ……要するに、それが全てだった。

 僕が怖がっているのも、彼の気持ちがわからないふりをしていたのも……自分の気持ちを認めることが、どうしても出来ないことも。


 それが、その不安が消えなかったから。


「……」

 

 彼が手を伸ばしてくれると、期待しそうになる。

 手のぬくもりを感じていると、葛藤も何もかも投げ出して本当の気持ちを伝えそうになる。


 ……それでも。


「……もう、失いたくない」


 それでも、どれだけ嬉しくても。いいや、嬉しいからこそ。


 もし、それが全て勘違いだったらと。

 そう思って、訳がわからなくなる。


 大切だから、怖い。

 嬉しいから、信じられない。


 本当は、僕に彼の気持ちなんて理解できてなくて、ただ僕の都合のいい妄想だったらって思う時がある。


 だって、他人が何を考えているかなんてわからない。

 両親だってそうだったじゃないか。仲がよさそうに見えていたのに。裏では浮気していた


 それで、僕の世界はあっという間に壊れてしまって。


『かわいい子だって言ってたのに。頭をなでてくれてたのに!なんで、いらない子なんて言うの!?』


 いつか、そう泣いたことがあった。

 前みたいに抱きしめて欲しくて、頑張って、でも何も返ってこなくて。


 僕を見て欲しかった。愛して欲しかった。

 でもそんなことは、一度だってなかった。


 たまに、夢で見るんだ。

 生ごみに捨てられた料理を。家を出た後、電話したら繋がらなかったときのことを。


「……こわいよ」


 怖い。苦しい。

 考えると、足から力が抜けて蹲ってしまいたくなる。


 もし、彼に否定されたら。

 彼がいなくなってしまったら。そんなつもりで手を繋いだんじゃない、なんて言われたら。


 ……また、僕はひとりぼっちだ。


「……それなら。失うくらいなら」


 だから。彼がいなくなるくらいなら、今のままがいいって思った。

 そうしていれば、今すぐ失うことはないから。


 きっかけがなければ、このままでいられる。だってほら、あのときだって、浮気がバレるまでは、ちゃんと暖かくて――。


「――」


 ――だから、僕は認められない。

 そんな気持ちは蓋をしてしまえばいいんだと。そう思う。


「……きっと、違うんだよ」


 そうだ。僕は彼のことなんて何も思ってない。

 大切だけど、一番だけど、それだけだ。僕は元男で、男性を×()きになるわけない。甘えたいなんて、ありえないことだ。


 彼が女性と一緒に居たら泣きそうになるけれど、これは嫉妬なんかじゃ絶対にないし、チョコレートだって、彼のおやつを作ってあげてるだけ。


 手を繋ぐのだって、嬉しくなんかない。胸がポカポカしてきたりなんてしないし、幸せになんてならないし、もういっそ抱きしめてくれないかな、なんて思わない。

 

 可愛いって言って欲しいけど、それは褒められると嬉しいからで、×()きだからじゃない。他の人には絶対言って欲しくないけど、僕だけを見ていて欲しいけれど、でも。


「……」


 ……そういうことに、する。

 胸の苦しみなんて、我慢すればいい。そうすれば、耐えていれば、多分、おそらく。


 そんな訳ない、なんて。

 思っちゃいけない。


 そもそも、その結論は手を差し出してくれた彼を蔑ろにしすぎている気もして。申し訳なくて。


「……ごめんなさい」


 ――でも、胸がずっと痛んでいる。

 ジクジクと。今このときも、血が流れ続けているみたいに。


「……う……え、へへ」


 無理に、笑った。

 痛みと不安を誤魔化したくて。


 そうだ、大人になろう。だって大人なら感情を隠すなんて当たり前のことだ。悲しいことも、苦しいことも笑顔で押し隠す。それでいい。


「……ああ、そうだ。クッキー作らないと」


 蹲っていた体を起こして、そこで作りかけのクッキーに気付く。

 そうそう、彼のおやつを作ってあげてたんだっけ。さっき勉強してたみたいだし、ちょうどいいよね?


 重い足を持ち上げて、オーブンの前へ歩く。

 スイッチを入れて、オーブンを温め始めて。


「……」


 ……今、やるべきことがある。

 それが、何よりもありがたかった。


 


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― 新着の感想 ―
[良い点]  素直に自分の想いを認めて、だけど受け容れてもらえなかった時の事を想像して、そこに過去のトラウマが追い打ちをかけてくる‥‥‥。  なんて、せつない。  読者から見ればほぼ両片想いなんだ…
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