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第51話 過去の記憶



「……まあ、チョコを作ると言っても、チョコクッキーしか作れないんだけど」


 薄力粉を秤で計量しながら、ぽつりとつぶやく。

 僕に経験があるお菓子作りと言えばそれ位だ。調べたら生チョコも簡単だと書いてあったけど、作った経験がないので見送ることにした。


 ……だって、失敗したくないし。


「……正確に」


 薄力粉を計ったら、次は砂糖。

 そしてバターを計って――。

 

 細かく量り取って、器に取り分けていく。

 お菓子作りは全ての作業をレシピ通りに作るのが大事だから。


 彼に渡すものだし。それもバレンタインだし。美味しくないなんて思われたくない。


「……いつも料理は美味しいって言ってくれるけれど」


 彼はちょっとくらい失敗してもマズいとは言わないだろうけど。

 それでも、プレゼントすると思うと少し緊張するところもあって、毎日作っている料理とはやはり違うのだろうと思う。


「……ん」


 まあ、とは言っても。

 料理だって、一番最初は、すごく緊張したけれど。


「……怖かったよ、ね」


 彼に初めて手料理をふるまったとき。

 本当はとても不安だった。


 足を怪我して、彼に惣菜を買ってきてもらうようになって。半月くらいはそればかり食べていた。けれど、ずっとそれだと栄養バランスが気になって、足が少し良くなった頃、せめてものお礼にと料理を作ることにした。


 彼の好意にお返しがしたくて、僕に出来ることは何だろうか考えて。

 それで、料理が浮かんだから。


 ……でも。


『その、君、ちょっとこれ作ってみたん、だけ、ど……』

『ハルさん?』


 ……彼に差し出す直前、急にそれが怖くなった。


『これ……』


 だって、考えてみると、人に手料理を作るのは初めてで。

 だから恐る恐る、彼に差し出して――。


『……』

 

 ――いや、母がいたか。

 

 作るのは初めてじゃなかった。

 けれど、食べてもらうのは初めてだった。


 だから、怖くなった。

 マズいって言われたらどうしよう。いや、そもそも、昔のように食べてすら貰えなかったら、捨てられたらどうしようって。


 ゴミ箱を見て泣いた記憶が顔を出して、でもお世話になってるのに何も返さないというのは立派な大人でありたい僕としてはできなくて。


『……その、よかったら、どうぞ。ああ、別に無理して食べなくてもいいよ。ちょっと暇で、その、適当に作っただけだからさ、多分美味しくないと思うし。ははは……』

『いやいや、すごく美味しそうじゃないですか。いただきます!』


 そんなとき、彼がそう言ってくれた。

 美味いって喜んで、残さず綺麗に食べてくれた。

 

 ……きっと、その日からだ。

 何気なく作っていた料理が、なんだかとても大切なもののように思えた。


「……ふふ」


 思い出すだけで、幸せになれるような。

 そんな思い出ができたんだ。


 なんでもないことが輝いて見えるような、そんな思い出が。


「……うん」

 

 それを少しでも返したくて。

 彼に喜んでもらいたくて。


 だから、そのためにも。

 今はチョコレートを彼に届けようって、そう思った。



 ◆


 

「――さて」


 そして、そんなことを考えているうちに。

 一口サイズに成形されたクッキー達は綺麗にプレートに並べられ、あとはオーブンで焼くだけになっていた。


 ここまで来れば、あとは十数分くらいで出来上がる。

 そうしたら彼を呼んで、一緒に食べれば……。


「……あれ」


 と、気付く。

 そういえば、彼に今回の件について何も伝えてない。


 そもそも彼は今、隣の部屋にいるんだろうか。

 今更だけど、そんなことを思う。

 

 最近は休日はずっと一緒にいたから忘れていたけれど、普通会うときは約束するものだ。今日は僕も用事があるって言っちゃったし、もしかしたらそこかに出かけている可能性も……。


「……ど、どうしよう」


 慌てて手を洗って、ハンドタオルで拭う。

 そして靴を足に引っ掛けて、僕は玄関を押し開け――。


 ――

 ――

 ――


「――ハルさん? どうしたんですか、そんなに慌てて」

「……よかった、いた」


 果たして、彼は隣の部屋にいた。

 机の上に本を広げて……勉強でもしていたんだろうか? ペンを片手にノートと向き合っている。


「……ふぅ」


 ……まあ、なんにせよ。

 彼がいてくれてよかった。


「……その、ね」

「はい」

「このあと、少し時間を貰ってもいいかな。三十分後くらいに」

「……? ええ、わかりました」


 少し不思議そうな顔をしつつ、彼が頷く。

 それに安心して、大きく息を吐いて。


「……?」


 ……あれ?

 ふと、彼の視線が僕の体を頭の上から足のつま先まで辿った気がした。


 どうしたんだろう?

 いつも料理してるときの姿だと思うけど。何かゴミでもついているんだろうか?


「えっと、なにか変かな?」

「……ああ、いえ。可愛いなと」


 ……へ?

 ……か、かわ?


「ハルさんのエプロン姿、似合ってますよね。とても可愛いです」

「…………も、もう、またそんなことを」


 慌てて、一瞬思考が止まって。

 なんとか冷静に取り繕いつつ、言葉を返す。


 可愛いって。なんでいきなり。

 エプロン姿なんて見慣れているだろうに。そりゃあ、褒められるのは嬉しいけれど。


 ……でも照れくさいし、恥ずかしい。

 だから、なにか誤魔化すようなことを返そうとして。


「……」


 ――そういえば。

 

 こういうこと、前にも言われてたなと思い出す。先程、昔のことを思い出していたからだろうか。

 

 一時期の話。彼と親しくなり始めた頃。

 彼はよく可愛いって、そう言っていた。それで僕は。


『――そういうことは、普通の女の子に言ってあげなさい』


 なんて。いつも、そう言って誤魔化していた。

 言われたことのない言葉に混乱して。今と同じ。どう返事をしていいかわからなかったから。


「……」


 ……思う。

 あの時と言われたことも、返事に困るのも同じだけど。


 でも、今。

 僕には、そんなこと。


「――もう、言えないよ」

「ハルさん?」

 

 嫌だな、と。

 心からそう思った。


 想像して、悲しくなる。

 彼が、僕以外の人に。元男とかじゃなくて、普通の女性に。


 そんなの……。


「ハルさん、どうしたんですか?」

「……なんでもない。またあとでね?」

「……ええ」


 切なくて。

 胸が苦しくて。


 ……だから、僕は彼から逃げ出すように部屋から出た。

 

 

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 恋愛ってこういうのでいいんだよ本当 最高です
[良い点]  あああああいじらしい!  こう男性としての意識が徐々に女性としての意識・認識に変わってくるさまがなんとも言えない!  この階段を少しずつ登って行くようなゆっくりとした認識の変移が醍醐味で…
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