第50話 バレンタイン
「……どうなんだろう」
僕は、チョコレートを渡す側だった?
そんな、突然降って湧いた思考に、僕自身困惑する。
しかし、もし、そうだったとしたら――。
「……えっと」
――頭の中に、彼が浮かんでくる。
想像の彼は手をこちらに差し出して、穏やかに笑っている。
いつものように。この半年、彼がずっとそうだったように。
一緒にご飯を食べてくれる彼。
隣に居たいと言ってくれた彼。
そんな彼に、僕は……。
「……チョコを?」
――考える。
バレンタインとは。
チョコを渡す日だ。そして、大切な人に伝える日。
感謝や親愛、友情――そして、恋心をお菓子と一緒に差し出す日になる。
「……」
……まあ、とは言っても。
社会においては義理とか同調圧力とか、そういうものもあるけれど。
ついでに言えば、僕が受け取っていたのはそんなチョコレートだけど。
でも、今はそれはいい。
それよりも大事なのは。
「――親愛、感謝」
バレンタインとはそういう日で。
そして、それなら。
「……渡すべき、だよね」
遅れてしまったけど。今からでも。
感謝している。親愛の情もある。それは、間違いない。
だって彼のおかげで、少し明日が来るのが楽しみになった。ふとしたときに、笑えるようになった。
……つないだ手の温もりを、僕は教えてもらったから。
「……」
二人で歩きたい。旅行にもいきたい。
毎日会いたいし、会えないのは寂しい。隣にいて欲しい、笑っていて欲しい。
彼は僕にとってそういう人で。
それを、そんな感謝を少しでも伝えられたらと思って。
「……僕は」
――でも。
それでも。一つ。
心に刺さるとげのようなものがある。
僕は半年前まで男だった。
体が少女のものでも、それは間違いなくて。
「……男なら、あまりチョコレートは渡さないよね」
バレンタインでチョコを渡すのは、主に女性だと思う。
広い日本の中には、きっと渡している男性も沢山いるんだろうけど。
でも、僕のこれまでの人生の中には、そんなことは一度もなかった。
だから、抵抗というか……不安というか。
そういうのがあって。
「……っ」
ズキリ、と、胸が痛む。
「……」
女なら渡すべきだと思う。
でも僕には、今と過去の二つがあって。
「……僕は渡すべきなのかな」
バレンタインには、特別な意味がある。
ただ食事やお菓子をご馳走するのとは、込められた感情が違う。
「……どうすればいいんだろう」
何度目かの言葉。
今の僕には、わからなかった。
◆
『……では、次のコーナーです!』
「……」
――少し、時間が経った。
いつの間にか、テレビは別のコーナーに移っている。
でも僕の頭の中はずっと同じところを回っていて。
そんな中、顔を隣の部屋へ向ける。
そして想う。この壁の向こうに、今も彼がいるんだろうな、と。
「……」
……そういえば。
彼はどう思っているんだろう。
バレンタインに僕がチョコを渡さなかったことを。
二週間前、彼は何も言っていなかった。
というか、言っていたら僕も今日バレンタインに気付いたりはしなかっただろうし。
もしかして、彼も覚えていなかったんだろうか。
それとも、渡さないことを当然と思った?
……………それとも、少しくらいは――。
「……」
――答えは出ない。
だから、胸元を握りながら、当時のことを思い出す。
あの頃、彼の変わったことは無かっただろうか。
少しくらい何か態度に出ていなかったかと思って――。
「――あれ?」
一つ、記憶に残っていることがあった。
ちょうど二週間くらい前、休日にゲームでもしようと彼の部屋に訪れたとき。
冷蔵庫から飲み物を出そうとしたら……。
『あれ、このチョコレートどうしたの? 珍しいね。君、あんまりお菓子は買わないのに』
『……え、あー。……その、バイト先でもらいまして』
『へー、そうなんだ。これコンビニで売ってるちょっとお高いのだよね。美味しいヤツ』
『……ま、まあ』
なんてことがあったような。
それで、あのときは休憩室のおやつとか、おすそわけとか、そういうのを貰って来たのかなって思ったんだ。ついでに何故か彼の反応が鈍くてちょっと不思議だなぁ、とも。
「…………でも」
……あれは、まさか。
バレンタインデーの?
「……………………」
……へー。
……そうなんだ。ふーん。
「…………………………………………」
まあ、そういうこともあるよね。
わかるわかる。僕だってもらったことあるし。
箱に入ってるわけでもなかったし、沢山あったけど種類がバラバラだったから、まず間違いなく義理だし。休憩室とかで箱から一人一つ配られたやつでしょ? わかるよ。
コンビニで売ってるチョコだし、義務感が透けて見えると言うか。まあ特別な意味はないよね。絶対にないと思う。あるわけない。
「………………………………………………………………………………」
……まあ、なんにせよ。
とりあえず、ちょっと買い物行ってこようかな。
そう思って、部屋着を脱いで外出用の服に着替える。
そして、財布を持って、扉を押し開けて――。
◆
……一時間後。
僕はキッチンに立っていた。
「材料良し、調理器具良し、レシピ良し」
エプロンをつけて、袖を固定して、髪を後ろで括って。
そして買って来た板チョコを銀紙から出してまな板に置いて。
「……男とか女とかよく分からないけど」
悩みは尽きないし、抵抗もあるし、不安はいくらでも湧いてくるし。
彼がどう思ってるのか気になるし、そもそも最近の彼のことがよく分からないし。
「……だけど」
いろいろと頭の中はぐちゃぐちゃだけど。
でも、それ以上に。
なんだかとってもモヤモヤするので、チョコレートを作ることにした。




