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第49話 鏡に映るのは


「……どうしようかな」


 ポツリと呟く。

 

 朝食が終わった後、朝と言うには遅く、昼というには早い時間。

 僕は何をするでもなく、クッションに寝転がって天井を見上げていた。


「……」


 明かりの消えた電灯を眺めながら、ぼうっと彼のことについて思う。

 ここ数日の、彼について。


 ――あの日以来、彼は変わった。


 間違いなく変わっていて、だから僕は困っている。今朝見てしまった夢もそうだし、ついさっきのことだってそうだ。


『ハルさん、せっかくの休日ですし、どこかへ行きませんか?』


 少し前、食後にお茶を飲んでいる時間。

 彼がそんな提案をしてくれた。


 遊びに行くのでもいいし、荷物持ちでもなんでもしますよと。

 それは、それ自体はとても嬉しくて。


 ……でも、僕は。

 いろいろ悩んで、それに、『用事がある』なんて断ってしまった。


「……ん」


 彼と外出するのはもちろん好きだ。

 彼と歩くのは楽しいし、一緒に行ってみたいなと思ったところだってある。


 ……しかし。


『これからも、一緒に歩くときは手をつなぎませんか?』


 あの日以来、彼が手をこちらに差し出すから。

 

 手をつなぐのが嫌なわけじゃない。暖かいし、胸の辺りが締め付けられるような気がするし、つい頬が緩むし、なんだかちょっと視界が滲むことがあるし……。


「……」


 ……でも。

 僕は、元は男で。


「……どうして、かな」


 目を瞑り、何度も考えたことをもう一度考える。どうして彼は変わったのか、とそればかり考えてきた。


 でも、僕はそれがわからなくて――。


「……」


 ――――本当に?


「………………どうしよう、かな」


 感情を吐き出すように、呟く。

 ……胸はやっぱり、痛んでいた。

 


 ◆



 なんとなく、鏡の前に立った。

 半年前に買った大きな姿見の前。それは、人一人を映すには十分な大きさをしている。


「……」


 そこには、一人の少女がいる。

 身長は低めで、顔も幼い雰囲気の少女。蒼い目は垂れていて、少し困ったような表情を浮かべている。


 特徴的な金色の髪は長く、腰くらいまで伸びていて、それを首の後ろで結わえていた。


「……」


 ――今の、僕だ。


「……髪、伸びたなぁ」


 思う。最初は肩の下くらいだったのに。

 視界の邪魔になる前髪だけ整えて、他は伸びるままにしていたら半年でこうなっていた。


「……そろそろ、切ってもいいとは思うんだけど」


 長い髪は色々大変だし、と。

 実際、髪を乾かすのと手入れとで毎日結構な時間がかかっている。


 前々から少し面倒だな、とは思っていたし……。


「……」


 ……というか。

 そもそもなんで僕は髪をこんなに伸ばしているんだっけ。そう思って――。


『――元に、戻りたい』

 

 ――かつてを、思い出す。

 

 病気になったばかりの頃の記憶を。

 毎朝、洗面所の鏡を見る度に、何かが壊れるような気がしていた頃のことを。


「……現実味が、なかったよね」

 

 あの頃、僕はこの体が借りモノのように感じていた。


 本当の僕は男のままで、夢を見ているように思っていた。

 これはどこか遠くの少女のもので、僕はそれを借りているような。そんな違和感が常に付きまとっていた。


 小さな手のひらが不思議だった。

 トイレや風呂場で鏡を見てはいけないと、罪悪感を感じていた。


 借りものだから、いつか返すのだと思っていて、そうしなければ元には戻れないと、そんな想いがあった。


 大切に扱わなければ、と思った。

 だから髪を綺麗に手入れしたし、切ってはいけないと思っていた。


「……」

 

 ……でも、今。

 あれから半年以上が経って、僕は。


「……」


 鏡に映る、()を見ている。


 そして、ああ、そういえば、と思った。

 スマホも最初はすごく大きく感じていたな、と。でも最近は普通に使っている自分にも気付く。


「……ぅ」

 

 ……鏡から、視線を逸らす。

 見ていられなかったからだ。なにか他のものが見たかった。

 

 するとテレビが視界に入って、リモコンへ手を伸ばす。

 そして、ボタンを押して。


『みなさん、今日はデパ地下に来ています! 二月も終わりに近づいたこの時期、このデパートでは来月のホワイトデーに向けた売り場が――』

 

「……」


 映像が流れだす。

 どうやら最近の流行を紹介するコーナーをしているようだった。


 明るい雰囲気。楽しそうに人々が行きかう光景。

 それを少し眩しく思いながら、しかしホッとしている自分がいた。なんでもいいから気を紛らわせたかった。


 中継しているリポーターも、司会者も、みんな笑顔を浮かべている。それが今は、とてもありがたかった。


「……ホワイトデー」


 意識してテレビの言葉を繰り返しつつ、もうそんな時期かと思う。

 カレンダーを見ると、二月も終わりに近づいているし三月はもう間近だ。


 画面にはバレンタインのお返しにと、色とりどりのチョコレートや小物なんかが映し出されている。日頃のお礼のためにも、少し豪華なお返しはどうか、なんて言っていた。


「……まあ、僕には関係ないけど」


 ホワイトデーはバレンタインデーのお返しをする日で、バレンタインデーなんて、僕にとっては職場にいたら義理チョコを貰うかもしれない日でしかない。


 今年は在宅で仕事をしていたので、当然そんな機会もない。そんなものだ。だから、今年はバレンタインが知らないうちに終わってたな、なんて考えて――。


「……あれ」


 ふと、思いつく。

 バレンタイン。基本的には女性が親しい人にチョコを渡す日。


 もちろん、今は多様性が叫ばれ、男女平等の時代だ。

 男が渡しても良いし、女性にも渡す義務なんてある訳がない。それは当然だ。


 でも、しかし。現実として。

 バレンタインデーは、女性が渡すことが多い日だ。男がチョコを渡しているところはあまり見た記憶がない。


 ……そして、今の僕は。

 体は、間違いなく女性のもので。


「……」


 もしかして、僕。

 今年はチョコを渡す側だった?


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― 新着の感想 ―
[良い点]  そこで自分が渡す側だったなんて素直に受け容れてしまう辺りがハルさんの人柄を表していてとても良い。  そもそも「人として」充分に魅力ある人間だと思いますよこの人。  とても律儀なのに基本後…
[一言] チョコわたせよぉぉぉ……
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