第48話 夢と彼の変化
今日から更新再開です。
今回は全七話を毎日更新していきます。
――ふと、気が付くとベッドの上で寝ていた。
意識が少し曖昧な感じがして、体もどこか気だるい。きっと眠っていたんだろうなと思った。
『……』
見上げた天井は明るくて、窓の方から光が入っている。
朝の赤みがかった色ではなく、黄色い光だ。おそらく今は昼なのだろう。寝る前の記憶がいまいち思い出せないけれど、昼寝をしていたのかもしれない。
『……くぁ』
そんなことを考えながら、欠伸をする。
なんだか何もしたくない気分だった。涙で滲んだ目を擦るのも少し気だるい。
静かな部屋の中。
遠くから聞こえてくる子供の声が妙に大きく聞こえていた。楽しそうな、喜んでいるような。そんな声が聞こえてくる。
『……ん』
目を瞑り、なんとなくそれに耳を傾けた。
彼ら、彼女らはどうしてあんなに楽しそうなんだろうか。何をしているんだろう。子供らしく遊んでいる? それとも、良いことがあった?
……わからない。
そこまでは聞き取れない。
でもなぜだろう。
聞いていると段々心が弾んでくるような気がして――。
『――ん?』
トントン、とそんな音がした。
ノックの音だ。部屋の扉から響いている。
……誰だろう?
『ハル、入るぞ』
首を傾げていると、扉が動く。
僕を呼ぶ声と共にゆっくりと開いていって。
『ん? 起きたのか』
『……あ』
彼だ。隣の部屋に住む彼。
両手にお盆を持っていて、その上では茶碗に盛られた卵粥のようなものが湯気を立てている。
『体調はどうだ? 少しは良くなったか?』
『……あ、えっと』
ベッドの横に彼が膝をついて、こちらを覗き込む。
顔色を確認するみたいだ。まるで僕が病気にでもなって、看病されているような。そう思って――。
『……?』
『ハル?』
――いや、それよりも。
どうしても気になることがあった。
彼の話し方だ。敬語じゃない。普通に話している。さん付けでいつも呼んでいた名前もハルと呼び捨てだし。
『……その』
『ああ』
『……あれぇ?』
『……?』
不思議に思って、でも彼は首を傾げている僕を逆に不思議そうに見ている。
……どういうことだろう?
『……えっと』
『……ふむ』
いや、別に敬語で話してほしいわけじゃない。
むしろ、もっと気軽な感じで話してくれてもいいのに、とは思っていた。
だって、少し疎外感があったし。
彼と妹ちゃんが話していたとき、僕だけ敬語でちょっと寂しかった。気の置けない雰囲気が羨ましいなあって。
……でも、そう思ってたけど。
さすがに何の脈絡もないのはちょっと。困ると言うか、胸の辺りがドキドキするというか――。
『顔が赤いな。まだ熱があるのか?』
『――ひゃ!?』
と、そのとき。額に突然何かが触れた。
暖かくて、少しごつごつとしている。力強い感触だった。
驚いて、伏せていた目を正面に向ける。
すると――。
『……熱は、ないか』
手だ。彼の手が僕の額に伸びている。
ついでに、すぐそこに彼の顔があって。目も合って……っ!?。
『……!?』
『……ん? やっぱり熱いか?』
近い。すごく近い。
まつ毛が見えそうな距離に彼がいる。
……あれ? え?
彼ってこんな距離感だったっけ?
こんなに気軽に触れ合うような関係じゃなかったような。
え? そうでしょ?
『まあ、まだもう少しかかりそうだな。ゆっくり寝ていてくれ。家のことは心配しなくていい。風邪を治すのが先決だ』
『……へ!? あ、う、うん』
混乱していて、とりあえず話の流れで頷く。
でも、なにがなんだかわからない。
顔の辺りが熱くて仕方ない。心臓の音もバクバク鳴っている。
吐息が触れそうな位置に彼がいて、あ、首元のこんなところにホクロがあったんだ、なんて思ったりして……。
……それなのに、そんな僕とは対照的に、彼はどこまでも普通の顔をしている。
今こうしているのが当たり前だと言わんばかりの感じだ。
『何か欲しいものはないか? なんでも買ってくるぞ』
『……え、あ……その、大丈夫。……あ、ありがとう?』
わからない。全然わからない。
……しかし、色々理解の外だけど、彼の気遣ってくれていることだけはわかる。
だから、とりあえずお礼を言って――。
『――なに、気にしないでくれ。恋人なんだから、当然だろ?』
『……へ?』
……え?
……えっと。
こいびと……恋人?
『……うぇ!?』
—―恋人!?
誰が? 僕!?
『……こ、こいびと?』
『ああ、当然だろ?』
当然なの!?
いつの間に!? いつから!?
そんなの知らない。記憶にない。
だって、告白したことは無い。告白されたことだって。いくら頭を捻っても、全く思い出せない。
『ハル?』
『……!?!?』
混乱している。
でも頭の冷静な部分が、恋人なら呼び捨ても、妙に近い距離も当然だよな。なんて考えていて。
『……ち、ちが』
でも、違う。
違うはずだと思う。きっとそうで。
『……ハル?』
わからない。
心臓が耳元で鼓動しているようだった。
頭だけじゃなく、目の前が回っているような感覚がある。
そしてそれは段々と早くなっていって。
『あの、その』
そして。
その混乱が頂点に達する頃。
段々と視界が白くなっていき――。
◆
「……え?」
――僕は目を開いた。
瞼の向こうは、まだ薄暗かった。
「……え?……え?」
寝ていた体を起こして、咄嗟に周りを見る。
僕の部屋だ。僕のベッドの上。
「……あれ、彼は? どこ?」
さっきまでいた彼がいない。
僕の額に触れていた手もなければ、至近距離でこちらを見ていた瞳もない。
お粥が乗ったお盆もないし……。
あれ? そもそもさっきまで昼だったような。
「……え?」
……えっと。
今、夜、だよね? 暗いし。
「……」
段々と、頭が冷静になってくる。
茹だっていた頭に、冷水を浴びたような。
……もしかして。
さっきのは、夢?
彼も。あの手も。あの瞳も。あの言葉も。
…………全部?
「……あ」
恋人といったことも。
当然だと彼は笑っていたことも……?
「あ、はは、そうなんだ……」
もう、驚いたなぁ。
ははは……。
「……うん」
……でも、あれ?
それって……なんだか、とても。
はずかしい、夢のような――。
「……ぁ」
一度冷えた頭に、再度血が集まる感覚。
顔がだんだんと熱くなっていって。
「……ぁぁぁ」
喉から悲鳴のような声が出た。
だって、熱い。顔が熱くて仕方ない。
恥ずかしくて、恥ずかしくて。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
力が抜けて、ベッドに倒れ込む。
そして枕に向かって叫んだ。ばたばたと足を動かして、布団を蹴る。
「……もう、もう! なんて夢を……!」
あんな近くで見つめ合って、こ、恋人、なんて。
そんなの。そんなのって……。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
視界が滲む。
羞恥心で泣きそう。
落ち着かない、落ち着けない。
恥ずかしさをどうしても抑えられなかった。
「……ぁぁぁ」
布団の上をごろごろと右へ左へと転げまわって。
……そして、そのまま。
僕は朝日が昇るまで、悶え続けた。
◆
「ハルさん、どうしたんですか? 今日は少し様子が違うような」
「……そ、そうかな?」
朝。朝食の時間。
僕と彼は、いつものように僕の部屋に集まっていた。
……いつもより少し豪華な朝食。
眠れなくて、時間が余って。それを料理に回した結果だった。
「顔、赤いですね」
「……え、えっと」
「もしかして、風邪――」
「か、風邪じゃないよ!?」
「……は、はぁ」
とっさに大声を出してしまって、彼が目を丸くする。でも、だって、それはあの夢と……。
「……ご、ごめん。でも、大丈夫。体調は悪くないから」
「そ、そうですか?」
そうだ。ただ恥ずかしいだけ。
それ以上でもそれ以下でもない。間違っても風邪なんかじゃないし、額に手を当てる必要もない。
「ごめんね、気にしないで」
「……はい」
だから、適当な言葉で誤魔化す。
心配そうにこちらを見る彼には、申し訳ないけれど。
でもあんな夢のことを言えるわけがない。
知られたら恥ずかしすぎて憤死してしまうし――。
「――」
――それに。
よく考えたら、あの夢を見た原因。最近の彼にも関係がある気がする。
『……ハルさん、これからも一緒に歩くときは手をつなぎませんか?』
――ほんの数日前、彼女が帰っていった日。
駅からの帰り道で、彼は僕にそう言った。
躓いた僕を支えるために抱きしめた、そのすぐ後。なんてことのない世間話をするみたいに。
『ハルさん、どうぞ』
あの日から、彼は僕に当たり前のように手を差し出す。
別に躓いていなくても、踵の高い靴を履いていなくても。
彼はそう言って、僕に手を伸ばす。
そんな彼に、最近の僕はいつも戸惑っていて、なんで彼が突然そんなことをするようになったのかと悩んでいる。夢と同じように、何もかも唐突だったから。
「……」
……そうだ、困っている。
繋いだ手のひらはあったかくて。
触れ合う感覚は照れくさくて、だから――。
「——」
——だからこそ。
いつだって、少し。胸のあたりが痛んでいた。




