裏話 隣人と誓い
――翌日、夕方。
美弥を見送るため、駅前まで三人で来ていた。
「それでは、そろそろ行きます。ハルさん、短い間ですがありがとうございました」
「……こちらこそ。色々と助かったよ」
まだ春の遠い二月の下旬。
日の落ちかけた空気は冷たく、吐く息は白く染まっていた。
長く伸びた影が三つ、駅前に広場に落ちている。
「次は是非、兄さんと一緒にこちらの地元に来てください。案内しますから」
「……そうだね、機会があれば」
「絶対ですよ? 」
ハルさんと美弥は親し気に最後の挨拶をしている。
お互いに笑顔を向け合って、再会の約束をしていて。傍から見た姿は親しい関係そのものに見えた。
「……」
個人的にも、ハルさんが美弥と仲良くしてくれるのは嬉しい。
俺も、昨日から色々考えた。
今後のことを思えば、なおさらだ。そう思って
「――兄さん」
「ん、ああ」
美弥の声に、顔を上げる。
美弥は背中で膨れた荷物を揺らしながらこちらに歩いてきた。
「兄さんも。頑張ってね」
「……ああ。迷惑かけて悪かった」
頭を下げる。二つの意味で。
かつての失敗と、今回の無自覚。その二つで迷惑をかけた。
「もう、まだそれ言ってるの? 終わったことなんだし、それは良いって。そうじゃなくて、色々と、ね?」
「……まあ、な」
しかし美弥は笑って言う。
過去のことより今からのことを考えろということか。
美弥が手を伸ばし、ポンポンと俺の肩を叩く。
その感触に、俺に対する励ましを感じた。
そして。
「じゃあ、また!」
一言。あっさりとそう言い残して、駅へと歩いていく。
その背中を見送りつつ、考える。
これからするべきこと。
ハルさんとの関係について、改めて考えて――。
◆
――帰り道。
ハルさんと二人、並んで歩く。
俺とハルさんの距離は数十センチほど。
大通り沿いの歩道だ。それくらいの間隔を持って歩いても十分な広さがあった。
「……」
なんとなく、思う。
これが今と俺とハルさんの距離なんだよな、と。
友人としてなら、少し近いくらいの距離。
しかし、それ以上の関係と考えるなら、もう少し近くてもいいだろう。
微妙な、意識すればもどかしくなりそうな、そんな距離感だ。
「……」
……だから。
そんなところに立つ俺が、これからするべきことは。
「……ねぇ、君」
と、ハルさんの声。
顔を向けると、ハルさんは揺れている目でこちらを見つめ返す。
「なんですか?」
「……………………ごめん、なんでもない」
問い返すと、しばしの沈黙があった。
落ち着かないようにそわそわとして、誤魔化すような一言残し、ハルさんは顔を伏せる。
俺は、どうしたのだろうと首を傾げ……。
「……」
その不安そうな顔に、ふと思い出す。
いや、思い出すというのは違うか。ずっと考えていた。ただ、話を切り出すきっかけがなくて。
……そうだ。
一つ、どうしても確認したいことがあった。
「……ハルさん」
「な、なに?」
それは最後の劣等感だ。
昨日自覚して、間違いだったと切り捨てた残りの一つ。
「一つ質問なんですけど」
「うん」
昨日の一連の出来事に対して。
本当は一つ、疑問があった。
美弥が俺に知っていて欲しいと言ったこと。
ハルさんの目。悲しそうな表情。それは本当に俺が原因なのだろうか、と。
「ここ数日……その、変わったことがなかったですか?」
「……へ?」
俺が見ていないと悲しい顔をする人がいると、美弥は言った。
そして俺も悲しそうな顔のハルさんを、確かに見た。
……しかし、思う。
実は全部勘違いなんじゃないかと。
俺の知らないところでハルさんが落ち込むようなことがあって、だからあんな顔をしていたんじゃないかと。それを不安に思う気持ちがあって。
「……」
……変わったことがあったか、なんて。
いささか抽象的過ぎるかもしれないけれど、でも。
「――なかったよ?」
しかし、そんな俺の疑念とは裏腹に、ハルさんはあっさりと返答する。
きょとんとしていて、なんでそんなことを聞くのか分からないという表情だ。
そこには嘘をついた雰囲気や、何かを誤魔化そうという意志は全く見えない。
「……そうですか」
なら、そういうことなのかな。
そう思う。
他にないのなら、きっとそういうことなんだろう、と。
「……ふぅ」
大きく息を吐く。
そして、それまでの鬱屈をそぎ落とすように髪をかき混ぜた。
――そろそろ、決意しよう。
「……ハルさん」
「なに?」
「この数日、色々考えたんです」
「……うん?」
それは、俺がこれからするべきことだ。
俺が、どういう目標を掲げて、これからハルさんと関わっていくか。
「それで、俺も少し頑張ろうかなと」
「……そうなんだ?」
不安に思うのはもうやめる。
劣等感を持つことも、だ。
俺は――。
「……わっ」
「ハルさん!」
と、そのとき。
ハルさんが躓いて、バランスを崩した。
俺は慌てて手を伸ばして――。
「大丈夫ですか?」
「——あ、うん」
ギリギリのところで。
なんとか間に合って、ハルさんを支える。
腕の中に、ハルさんの小さな肩があった。
「……よかった」
「う、うん……」
安堵の息を吐きながら、周囲を確認する。
躓いた原因はなんだろうと、そう思って。
「……あ」
そこで、今更ながらに気付く。
ハルさんの足元、履いている靴が昨日買ったヒールの高いものだ。
水族館でも身に着けていた、まだ履き慣れていない靴。
それを今日も履いているのは……。
……美弥を見送るためか。
それとも新しい靴に慣れるためか。
「……」
ふと思う。
こういう人なんだよな、と。
律儀で、努力家で。
優しくて、いつも穏やかに微笑んでいる人。ハルさんはそんな人だ。
だから、そんな人だから――。
「ハルさん」
「……ぇ、う、うん、ありがとう……」
――俺は、この人のことが好きになった。
誰よりもこの人に幸せになってほしいと思った。
でも俺には自信がなくて。
性別のこともあって、美弥の方がいいんじゃないか、なんて思ったりもして。
……結果的に、それは間違いで。
「立てますか?」
「う、うん」
肩を支えながら、体を離す。
ハルさんは少しふらつきながら、両足で立っていた。
……少し、不安に思う。
また転んでしまいそうな危うさがあって。
「……あ」
思いつく。
昨日のこと、水族館を思い出した。
「ハルさん」
「え、うん」
「手をつなぎませんか?」
「へ?」
……一応、周囲を見て。
誰もいないことを確認して、手を差し出す。
あのときと違って、見ている人も邪魔をする人もいない。
「ダメですか?」
「だ、だめじゃないけど……」
「……」
「………………えっと、じゃ、じゃあ」
しばらくオロオロとした後、ゆっくりとハルさんが手を差し出す。
その手に己の手を重ねた。
「……行きましょうか」
「あ、う、うん」
暖かい。
じんわりと伝わってくる熱があって。
手の平をしっかりと握る。
その温度を感じながら、足を一歩前に出した。
「……」
ああ、そうだ。
俺はやっぱりこの人が好きだ。
この人と生きていきたい。
ともに歩いていきたい。幸せになってほしいし、俺も幸せになりたい。
だから、そのために――。
「……ハルさん」
「な、なに?」
「これからも、一緒に歩くときは手をつなぎませんか?」
「……うぇ!?」
――他の誰でもなく。
俺が、この人を幸せにする。そう決めた。
これで今章は終了です。
また書き溜めて投稿するので、よろしくお願いします。




