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裏話 隣人と理解


 部屋の中は、静かだった。

  

「………………」

「………………」


 カチカチと時計の音が響く。

 俺と美弥がいて、しかし身動きしない部屋の中では、壁に掛けられた時計の音だけが響いている。


 美弥に言われたように座って、少しの時間が過ぎた。

 俺の前で仁王立ちした美弥は、何も言わず口を噤んだままだ。


「……」

「……」


 どうしたんだろう。大事な話があると言ったはずなのに。

 そう思うものの、真摯な目でこちらをじっと見る美弥に何も言えない。


 そして。


「……兄さん」

「なんだ?」

「どうしよう、勢いに任せて座らせたけど、私に言えることがほとんどない」

「……えぇ」


 思わず座ったまま転けそうになる。

 ……なんだそれ。


「だってね、フェアじゃないんだよ」

「……?」

「ハルちゃんは今一生懸命悩んでる。自分と向き合って答えを出そうとしている。それなのに、私が勝手にそれを決めつけて良いわけがないでしょ?」

「……ハルさんが?」


 悩んでいる?

 確かに考え事をしているところはよく見るけれど。


 ……というか何で美弥がそれを知っているんだ?

 いつの間にハルさんと話を? 足元のスーパーの袋を見るに、一緒に買い物にでも行ってきたのか?


「でもね、私が兄さんに、それでもあえて言うとすれば……」

「……」

「……兄さんは、ちょっと無責任だと思う」


 ――無責任?

 ……無責任。

 

 突然美弥から飛び出した言葉に、衝撃を受ける。

 そんなつもりは無かった。去年のことなら分かるけれど、それとは違うことを言っているんだろうし。


「……俺、無責任か?」

「無責任だよ。もっと自分のしたことを理解するべき」


 ……したことと言われても。

 抽象的でよく分からない。俺が何をしたというんだろうか。


「そもそも、兄さんはどうして、あのとき私に……」

「……」

「……ううん、なんでもない。言いたいけど、きっと今言うことじゃないと思うから」


 だから、言えない代わりに。

 そう、美弥はつぶやく。


「明日、ハルちゃんとどこかに行こう。そこで、ハルちゃんのことをしっかりと見ていて」

「……どこかって」

「今からハルちゃんと約束してくるから。いいよね?」

「……ああ、まあ」


 断る理由もないので、頷く。

 すると、美弥も頷き、部屋の扉へと歩いていって。


「……」

 

 ……俺は、何を理解していないんだろうか。

 美弥が部屋から出ていくのを見送りながら、しばし考えた。



 ◆



「服、か」

「悩んでたみたいだし、丁度良かったよね」


 翌日。ハルさんと美弥の三人でショッピングモールへと向かう。

 あの後、美弥はハルさんとどんな話をしたのか、あっさりと約束を取り付けてきた。ついでに夕食も三人で一緒に取ったりして、今に至っている。


「今日はハルちゃんのこと、しっかり見ててね」

「……ああ」


 耳元で囁かれて、頷く。

 見ていろと言う意図はまだ理解できない、しかしハルさんを見ていることに不満はない。


「……ハルちゃ……は申し訳ないことを……けど。必要だと思う……よね」

「……なに?」


 と、小さい声で美弥が呟いた。

 しかし、よく聞き取れない。申し訳ないこと?

 

「なんでもない。じゃ、さっそく行こうか。――ハルさん、この店なんてどうですか?」

「……え、そこ? えっと……本当に入るの?」

「はい!」

「……でも、その、やっぱり抵抗が」


 美弥がハルさんを店に引っ張っていく。

 俺はそれを後ろから追いかけていって――。



 ◆



 ――そして。

 それは、店を巡り初めてしばらく経った頃。


 二人が試着して、どういう訳か俺がその感想を言うことになって。

 新しい服に着替えた二人に正直な答えを伝えていたら。 


「もっとちゃんと見ろ! 久しぶりに会った妹に可愛いねの一言くらい言え!」


 美弥が怒り出した。

 頬を膨らませて掴みかかってくる。


「……す、すまん」


 それに面食らい、謝りながら。


「……?」

 

 ふと、美弥の口調に疑問を覚える。なんだかちょっとわざとらしい。


 というか、服の感想を美弥に求められたの初めてなんだが。

 お前、そういうのは我が道を行くタイプじゃ……? どういう心境の変化だ?


「……悪かった」


 しかし、そう思うものの、現実に怒っている以上は平謝りするしかない。


 ハルさんの方に集中していたとはいえ、いくらなんでも適当な対応をしすぎたか。美弥がベチベチとこちらを攻撃してきて、それを手でガードしていると。

 

「……?」


 ふと、美弥がこちらに目配せしてくる。

 不思議に思いながらも、その視線の先を追いかける。


 そこには。


「……」


 つまらなそうな顔をして、少し頬を膨らませているハルさんがいた。

 ついさっき、服が似合っていると伝えたときにはニコニコと嬉しそうに笑っていたのに。


 今のハルさんは、不満そうな顔でむっつりとしていた。

 視線は手元へ向いていて、右手では長い金髪の先を弄っている。


 ……ハルさん?


「まったくもう、あの朴念仁兄は」

「……。……あはは」

 

 俺の視線の先をちらりと見た後、美弥が俺から手を離し、ハルさんの方へと歩いていく。

 ハルさんは顔を上げて、控えめに笑って。


「……」


 笑顔で話す二人を見ながら。

 あんなにつまらなそうな顔をしたハルさんは初めて見た。そう思った。



 ◆



 そしてその後にも。

 買い物の後向かった水族館で。

 

「兄さん、兄さん、シロイルカだよシロイルカ。写真撮ろう」


 また、少し違和感のある口調で美弥が近づいてくる。

 そして顔を寄せてカメラを構えた。


「ほら、兄さん。もっとちゃんと笑って」

「……こうか?」


 パシャリと言う音が響く。

 そして離れる途中、先程と同じように美弥が目配せをした。

 

 それにつられるように、視線を向ける。

 すると。


「……」


 ハルさんはやっぱり、つまらなそうな顔をしている。

 寂しげな顔でこちらをちらりと見て、少し離れた所へ歩いていく。


 そして、クラゲの水槽で立ち止まって、一人でそれを眺め始めた。


「……っ」

「うう、ごめんねハルちゃん……」


 思わず、ハルさんの所へ向かおうとして。

 隣で美弥が申し訳なさそうな顔で呟いて、止まる。


「ねえ、兄さん」

「……なんだ?」

「こっちに帰って来た最初の日もね、ハルちゃん、私と兄さんが近づいたらあんな感じだったよ」


 ……そうなのか。


「兄妹だし、気にし過ぎとも思うけど……でもそういうのって抑えられるものじゃないし?」

「……」


 そんなこと、知らなかった。

 俺の知っているハルさんは、いつも穏やかに微笑んでいるような人で、そりゃあ考え事をしているときは小難しい顔をしていたりもするけれど、でも。


 あんなに寂しそうな、悲しそうな――拗ねたような顔は見たことがない。


「……」


 もし、その理由が俺なのだとしたら。


「……ハルさん」


 焦燥感があって。

 だから、急ぎ足でクラゲコーナーへ向かっった。


「ハルさん」

「あ、うん。写真はもういいの?」

「……はい」

 

 傍に寄り、話しかける。

 ……ハルさんはさっきまでの表情が嘘のように笑ってくれた。



 ◆



 夜。水族館から部屋に帰ってきてしばらく。

 夕飯の時間もとっくに終わり、部屋の中は電気も消えている。


 お互いの顔も見えない部屋の中。

 しかしお互いの声だけはしっかりと聞こえていた。


「こんなことをしたのはね。兄さんが知っておくべきだと思ったからだよ」

「……」


 美弥の声。

 落ち着いたトーンで、俺を諭すような口調だった。


「兄さん、なんであのとき何も言わなかったの?」

「……あのとき?」

「私がハルちゃんの相手でもいいのかって言ったとき」


 ……ああ。そうだ。

 あの時は何も言えなかった。俺よりも美弥のほうが良いんじゃないかと思ったから。


 でもそれは……間違っていたんだろうか。


「あのあと、ハルちゃんとも話す機会があって、思ったんだ。ああ、兄さん何もわかってないんだなって」

「……」

色恋沙汰(こういうこと)は簡単じゃないのは分かるけどさ。でも私はあそこで何か言い返すべきだったと思う。……ハルちゃんのためにも」


 美弥の言葉が、胸に刺さる。

 俺は、何もわかってなかったんだろうか。


 ハルさんがあんな顔をしているなんて思わなかった。

 俺はただ、ハルさんに幸せになって欲しくて。笑っていて欲しかった。それだけだったのに。


「……前から思ってたけど、 兄さん、失敗したことを、死にかけたことを気にしすぎてない? 無事だったからいいんだよ? 変な劣等感みたいなのを抱えてない?」


 ……劣等感?


 どうなんだろう。失敗したことを気にしてなかったと言えば嘘になる。

 俺は一度間違ってしまった。それを忘れる事は出来ない。


 間違ってしまったから、次は間違えないようにと思っていた。

 そのために、失敗を忘れないように、常に意識するようにしていて。


 ……でも。俺は己の劣等感に、大切な人(ハルさん)を巻き込んでいたんだろうか?


「前を見て。しっかりして。ハルちゃんから目を逸らさないで」

「……あぁ」

「兄さんが傍にいないと、あんなに悲しい顔をする人がいるんだって、知っていて」


 間違っていたのかもしれない。それを自覚する。

 もしかしたら俺は失敗を誤魔化すために、新しい失敗をしようとしていたのかもしれない。


 そして、自分の情けなさに、美弥を煩わせていたのかも。

 

「それを分かって欲しくて、だから、趣味が悪いのを承知であんなことをしたの。……わかった?」

「ああ、ごめんな。ありがとう」


 俺のせいで嫌なことをやらせてしまった。

 そのことに、謝罪と感謝を。


 ハルさんにも悪いことをした。

 その埋め合わせはしなければと思って。


 ……俺は、助けられてばかりだな。

 ハルさんにも、家族にも。


「うん、わかったんなら良し。私も甘えん坊のブラコン妹になった甲斐(かい)があったよ」

「……なんだそれ?」

「兄さんは知らなくていいよ。私も恥ずかしいし」


 くすくすと笑う美弥に、こちらもつられて笑う。

 美弥が甘えん坊のブラコンねぇ。似合わないな。


 ……ああ、そういえば。


「水族館の入り口で、ハルさんの手を引っ張っていったっけ」


 あれがブラコンの演技だったんだろうか。

 兄と仲良くしてる女性を引き離す的な――。


「――ああ、いや、それは違うよ」

「ん?」

「あれは単に見ていられなかっただけ」


 ……見ていられない?

 どういうことかと首を捻って――。


「兄さん……あそこ、水族館の入り口だよ。人通りも多いんだから」

「——は?」

「仲良くしてるのは嬉しいけどさ。流石にイチャつく所は選ばないと」


 見てるこっちが恥ずかしくなっちゃったよ。

 なんて笑いながら美弥が言う。

 

 ……ああ。なるほど。

 つまり目立っていたと。


 そうか、いろんな人に、ねぇ……。

 

「……」


 ……うん。

 ……めちゃくちゃ恥ずかしいな、これ!


 顔から火が出そうだ。

 あの時の自分を殴ってやりたい。時間が戻せたらすぐにでも殴りに行くのに。


「……っ」


 なんでもいいから大声で叫びたくなるような気分。

 しかしそれは隣の部屋で寝ているハルさんに迷惑だと、なんとか抑えながら。


「……美弥」

「なに?」

「それ、ハルさんには内緒にしておいてくれ」


 精一杯の理性で、美弥に釘を刺しておくことにする。

 恥ずかしがるのは俺だけで十分だし……。


「……」


 ……ハルさん、そういうのめちゃくちゃ恥ずかしがるタイプだろうから。

 

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[良い点]  一人一人が自分の人生を生き学び歩んでその中で出会った人、最初から居た人、これから出会う人との生活や軋轢を乗り越える為に学び、知り、活かしてゆく。  そんな人間の、人間同士の在り方ってやつ…
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