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裏話 隣人と妹


「――――――ぅん?」

 

 その日の朝は、スマホのベルと振動音から始まった。

 昔ながらの黒電話の音。不快ではないけれど、人の注意をかき立てる音が突然鳴り響き、沈んでいた俺の意識が一気に浮上する。


「……なんだ?」


 薄く目を開けて確認すると、発信源は枕元に置かれたスマホだった。

 いつも仕掛けている目覚ましの音とは違う、着信用の金属音だ。

 

「……くぁ」


 欠伸をしつつ、頭をかく。

 そして壁に掛けられた時計を見ると……。

 

「……こんな朝早くに、誰だ?」


 そこには普段の起床より一時間早い時間が表示されている。

 電話をかけてくるには少々非常識な時間帯だ。


 ……なんだよ。

 せっかく寝ていたのに。


「……はぁ」


 予想外の目覚めに、ため息を吐く。

 正直放置したい気分だ。しかし、今も甲高い音を立てるスマホを無視するのもめんどうくさい。

 

 なので、仕方なしにそれを手を取って……。


「……え?」


 しかし、そこにあったのは予想外の文字だった。

 少し寝ぼけていた意識が起動する。

 

「――美弥?」

 

 それは、実家に暮らす四歳下の妹の名前だった。



 ◆



「あ、兄さん、こっちこっち」

 

 家からしばらく走った先、最寄りの駅に隣接している喫茶店に入ると、彼女はすぐにこちらに気付き、手を振った。

 懐かしい笑顔だ。ほんの数年前までは否応なしに毎日向かい合っていて、しかしこの数年はほとんど会っていなかった顔。


「……美弥」


 ……本当にいたよ。

 そう思いながら、席の間を歩いて、彼女の元へ辿り着く。


「久しぶりだね、兄さん。元気そうでよかった」

「……お前な」

 

 何食わぬ顔で再会の挨拶をする妹に、思わず苦情を言いそうになる。

 なにせ、朝早くに電話がかかってきたと思ったら、駅に着いたから迎えに来いとの言葉だ。突然すぎる。文句を言う権利はあるはずだった。


「ごめんごめん。でも兄さんも悪いんだよ? ぜんぜん帰ってこないし、予定を聞いたらいつも都合が悪いとしか言わないし」

「……」


 ……いや、まあ。

 そう言われたら反論は出来ないんだが。


 そう言えばこちらに来たいと数ヶ月前くらいに言っていたか。色々あってすっかり忘れていた。


「……すまん。しかし、それでも来るなら事前に言ってくれ。バイトと重なったりしたら、流石にここには来られなかった」

「……うん、ごめんね」


 思い当たる節が多くてバツが悪い気持ちになりつつ、一応一言だけ釘を刺して対面の席へ座る。

 すると美弥は少しだけしゅんとした表情になって――。


「……」


 ――ふと。

 その顔に、妹の成長を感じた。

 

 大人っぽくなったというか……子供ではないというか。表情の作り方や仕草が、記憶の中にいる美弥とは違う気がして。


「……」


 ……久しぶり、だもんな。


「兄さん?」

「……あ、ああ。それで、今日はどうしたんだ?」

「あ、それがね?」


 美弥の問いに、戸惑いを一旦棚上げする。

 そして美弥に水を向けると、美弥はころりと笑顔を浮かべて――。



 ◆



「――大学の見学、か」

「うん。一度、目指してる大学がどんなところか見てみたくて」

 

 場所を移し、大学のキャンパス内。

 正門から入った俺たちは、二人並んで落ち葉の積もった道を歩いていた。


「私もそろそろ大学受験でしょ? それで色々考えてたんだけど……なんとなく、私って大学のこと何も知らないなって」

「まあ、高校のうちはあまり縁が無いよな」


 周囲には人の通りはあまりなく、がらんとしていた。

 三月。春休みの大学は普段満ちている喧騒はない。代わりに風で巻き上げられた落ち葉の音が大きく鳴り響いている。


 偶に遠くから聞こえてくる声は、サークルで集まっている学生のものか、それとも休日でも活動している研究室からのものか。なんにせよ、普段と比べて人の気配は薄かった。


「どこか見学できないかなって思ったの。それで調べたら兄さんの大学は一部の棟以外は部外者でも立ち入り自由って書いてあったから」

「……なるほど」

「ほら、ちょうど案内してくれそうな人もいるし?」


 ポンポン、と美弥が俺の肩を叩く。

 まあ、案内するくらいは構わないが。


 ……しかし、随分と急な話だ。

 というか、大学を見たいならオープンキャンパスにでも行けばいいのでは?


 俺一人だと案内にも限界があるだろうに、なんでわざわざ。


「ちゃんと知って、大事な今、モチベーションを上げたいんだよ。

 ……ほら、受験勉強って大変だし」

「……あぁ」


 ……なるほど。

 そういうことかと、疲れた様子の妹に同情する。

 

 気持ちは分かる。なにせ数年前まで自分もそれで苦しんでいた身だ。長い受験戦争。その間にモチベーションを維持する難しさもよく分かっている。 

 

「もうすぐ高三で、受験までちょうどあと一年くらい。そんなに頑張らなきゃいけないなんて眩暈がしそう……」

「お疲れ様」


 受験生にとって一年は、短いようでとても長い。

 学力を伸ばすのには時間がいくらあっても足りないけれど、努力を続けるのには長すぎる期間だ。 


 生活の大半を勉学に費やし、娯楽の時間はもちろん睡眠時間も減らして、時には食事の時間でさえ単語帳をめくる日々。……正直に言って、俺はもうやりたくない。

 

「……」


 ……まあ、仕方ないか。

 

「よし、じゃあ色々見て回るか。希望は?」

「うん、ありがとう兄さん! じゃあ……」


 疲れている妹のためだ。出来る限りのことはしてやろう。

 ……妹が嬉しそうに笑うのを見て、そう思った。


 

 ◆



 立ち並ぶ講義棟に、研究棟。実験棟に、大きな図書館。

 いくつもある学食に、売店。グラウンドは広く、競技ごとの設備も充実している。

 

 牧場や農園、薬草畑。

 他所では見られないような、学部ごとの特徴あるエリアもあって。


「……大学ってすごいなぁ」


 一通り見て回った後、最後に入ったサークル棟で、出口に向かう途中、美弥が呟く。

 

 それはそうだ。大学と高校では大きく違う。

 設備も、人の数も、出来ることの数も、その広さも。


 サークル棟の廊下、今歩いている道の両脇にもそれは表れている。

 掲示板に所狭しと張り出されたサークルのチラシの数と多種多様さは高校までではありえないことだ。

 

「大学って、やっぱり色々自由なんだねぇ……」

「……まあ、自由すぎるのも問題だけどな」


 自由。素晴らしいことのように思えるそれは、しかし、いいことばかりではない。

 自由だからこそ問題も起きることがある。


 ……例えば、俺みたいなヤツとか。


 自由度の高さは、それすなわち足を踏み外した時に沈む深さをも表している。

 俺が酒で死にかけたように。かつての友人たちが今はもう大学に居ないように。


「……」

 

 ……まったく、俺は。

 なにをやっていたのやら。


 自嘲しつつ、棟の扉を潜る。

 そしてサークル棟の外、空を見ると、そこは茜色に染まりつつあった。


 もう夕方が近いことが分かる。そんな色で視界が染め上げられている。


「……兄さん、そんな顔しないで。なんとかなったんでしょ?」

「……ん」

「お母さんも安心してたよ? ちょっと泣いてた」

「……そうか」


 ……なら、よかったんだろうか。少し悩む。


 無事進級して最低限の期待に応えられた喜びと、そもそも泣くくらい心配させてしまった後ろめたさがある。


「……」

「……」


 ふと、隣を見る。

 美弥が横を歩いていた。


 肩の下まで伸びている黒い髪が夕陽を反射して輝いている。

 しばらく見ない間にその横顔は大人っぽくなり、服装も垢抜けたものになっていた。


 中学生までの幼さはなく、少女から女性に変わりつつあるのが見て取れる。

 ……俺が知らない間にも、美弥はきちんと成長していた。


「……美弥」

「なに?」


 ……美人になったな。

 こちらを向く彼女を見て、そう思う。


 その成長を嬉しく思う気持ちと、自分勝手な理由でその間を見ることが出来なかった申し訳なさがあって。


「……すまん、なんでもない」

「……? そう?」


 変なの、と笑う美弥。

 その顔から、なんとなく目を逸らした。


 ……思考を切り替える。 


「……さて、これからどうする?」

「これから?」

「この時間だし、今日はこっちに泊まるんだろ? ホテルはどこだ?」


 意識して、明るい声をだす。

 そうだ、頑張っている妹の前でいつまでも暗い顔は出来ない。これ以上心配させていいはずがない。そう思って――。


「――ホテル? そんなの取ってないよ」

「……ん?」


 取ってない?


「……じゃあ、どこに泊まるんだ?」

「そんなの決まってるじゃん」


 美弥がこちらを指さす。

 ……俺?


「兄さんの部屋に泊まるよ。いいでしょ?」

「いや、お前……」


 泊まるって、うちワンルームなんだが。

 ……本気か?


「ダメなの?」

「いや……ダメじゃないが。……いいのか? 狭いぞ?」

「いいよ。それくらい」

「それくらいって」


 ……そりゃあ、俺は問題ないけれど。

 でも普通、こういうのって妹の方が嫌がるもんじゃないんだろうか。風呂なんて脱衣所もないし。


「じゃあ、そういうことで。今日は兄さんの所にお邪魔するね?」

「……まあ、お前がいいんなら」


 少し混乱しつつ、頷く。

 布団は一つしかないけど、俺が炬燵で寝ても良いし……最悪、ハルさんから毛布とか借りれば……。


「……ん?」


 ……と、そこまで考えて。

 一つ、思い出す。

 

「……あれ」


 そういえば、こいつ……。

 ……え?大丈夫かこれ?

 

「なに? 兄さん」


 美弥には一つ問題というか……ちょっとした悪癖があったような。

 そしてそれは……。


 ……今のハルさんに、関わってくるような気が。


「……?」


 ……どうしよう。そう思った。

 美弥とハルさんって会わせてもいいんだろうか。ダメな気がする。


 だって、実家のこいつの部屋……。

 

「……兄さん?」

「……いや」


 家に連れて帰らない方がいいか?

 いい気がする。きっとそうだ。


 ……でも、しかし。

 そうすると美弥は今日どこに泊まる?


 ホテル? 突然行って部屋は空いているんだろうか?

 金は? そもそもの話、高校生が一人で泊まれるのか? 安全性は?


「……」


 ――どうすればいいか。

 しばし葛藤して。そして。


「……なんでもない」

「そう? じゃあ早く兄さんの家に行こ?」


 流石に、妹を放り出すことはできない。


 ……そうだ。ハルさんと美弥は会わせないほうがいいとは思う。

 しかし、逆を言えば会わせなければ問題ないだろう。そう思って――。



 ◆


 

 ――考えが甘かった。

 まさかこんなことになるとは。


「それでは、お邪魔しました」

「いいえ、こちらこそたいしたお構いも出来ず」


 目の前にはハルさんがいて、隣には美弥がいる。要するにもう会ってしまった後だということだ。


 そして今は美弥を連れてハルさんの部屋から引き上げるところ。


「……では、また」

「うん、またね」


 失敗した。

 ハルさんの部屋の扉が閉まるのを見つつ、後悔する。こんなことならホテルに泊まらせるべきだったかもしれない。


 母さんが菓子折りを持って行くよう美弥に頼んでいたのが一つ目の誤算。そしてハルさんが丁度足を滑らせて悲鳴を上げたのが二つ目の誤算。そして慌てた俺が合い鍵を使って部屋に踏み込んだのが運の尽きだ。


 そうなってしまえば、もう無かったことになんて出来るはずがない。


 ……いやまあ。

 失敗したと言っても、あの状況でハルさんを放置するという選択肢は無いけれど。


「……帰るか」

「……」

 

 諦めを感じつつ、歩き出す。

 その途中、ハルさんの部屋から俺の部屋までのわずかな時間。ちらりと横を見た。


 普通の顔だ。しかし、家族ならわかる程度に頬が引きつっているのが分かる。

 きっと必死に表情を取り繕っているんだろう。


 美弥は外面がいい。

 例の趣味も外では隠していて、家族しか知らない。多分ハルさんだって何も気づいていないはずだ。


「……はぁ」


 ため息をつきつつ、鍵を開ける。

 扉を開け、中に入って。


 ――扉が閉まる音。

 そして数秒の沈黙があって。

 

「…………か」


 掠れるような、小さな声。


「……」

「……か、か、か」


 小さく、美弥が呟いている。

 おまけにプルプルと震え始めて。


 ……ああ、やっぱりか。


「か、か……かわいーーーーー!!!!!!」

「……」

「可愛い、すっごく可愛い! 兄さん!何あれ! 可愛すぎない!?」


 ……やっぱりこうなった。

 

「すっごーい! お人形さんみたい! 髪もサラサラだし、綺麗な金色だし!肌も染み一つないし、毛穴も見えなかったよ!?」

「……ちょっと落ち着け」

「落ち着けないよ! 可愛すぎるよ! あんな娘初めて見たよ!」

「……はぁ」


 もう一度、ため息をつく。

 そうだ、こいつは。


「すごいすごいすごい!」

「……」

「かわわわわわわわわわわわわわ!!!」


 ちょっと度を越した美少女好きなんだよなぁ……。

 だから会わせたくなかったんだ……。



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― 新着の感想 ―
[一言]  妹そっちの人かあ‥‥‥。
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