第45話 はじめての買い物
「……ね、ねえ、本当に入るの?」
「はい!」
「でも、その、やっぱり抵抗が」
――次の日、昼前。
僕は、彼と彼女の三人でショッピングモールへ来ていた。
「大丈夫ですよ。私もいますし、おかしなことなんて何もありませんから!」
「それは……心強いけど」
街の中心街から少し離れたところにある商業施設。
小さな遊園地や水族館なんかも併設されている大規模なもので、昨晩の夕食時に行われた話し合いで決まった場所になる。
……彼女は、僕の現状を彼にも説明して、私が付き添うから一緒に行こうと言ってくれた。
僕は女性服売り場に慣れる必要があって、そのためには一つや二つじゃなくて色んな所に行ったほうが良いとも。
「……」
本当は、このままじゃダメだと思っていた。
ネットで買うだけじゃなくて、ちゃんと店頭で服を買いたいと。
だって勿体ない。
適当にモノを買って、合わなかったら諦めるなんてお金をドブに捨てているようなものだ。
だから、彼女の提案は渡りに船というもので、僕一人だと勇気が出なかったから本当にありがたく思っている。
いつだってそうだ。最初の一歩が、一番重いから。
「……」
……でも。
「ここで悩んでる方が目立ちますよ?」
「う……」
恥ずかしい、と思う。
バレたら怖い、とも。
理性では分かっている。問題なんてないと。
この体は女性のものだし……そもそも男だったとしても、女性服売り場で買い物してはいけない訳じゃない。トイレや更衣室じゃないんだ。
それでも、僕は元は男で、その時の常識が邪魔をしている。
ここは女性入る場所なのだと。男がいる場所じゃないと。
……だからこそ、抵抗があって。
どうしても他の人の目が気になるんだ。誰かが僕を見ている気がする。
ここは僕がいるべき場所じゃないと。そう思ってしまう。
「ほら、行きましょう?」
「あ……」
……しかし。
彼女が僕の手を握る。
そして気軽な仕草で僕を店内へ引っ張った。
その結果、当然のように僕の足は一歩前へ進む。
「……」
足を踏み入れた先、そこは。
「ね、普通でしょう?」
なんてことのない、ただの服屋の一角だった。
今まで当然のように入っていた男性服売り場とそんなに違いはない気がする。両脇に並んでいるものが違うだけだ。
「……そうだね」
……いや、まあ。
当たり前のことではあるんだけど。
声が聞こえたのか、周囲の人もこちらをちらりと見て、しかしすぐに手元へ視線を戻している。
誰かが声をかけてきたり、僕を見て目を吊り上げることもない。
「さあ、今日はどんな服を買います?」
「……」
少しだけ、気が抜けたような感じ。
そんな中、彼女が笑顔で問いかけてきて、一瞬悩む。
僕が欲しい服。
必要としている服とは、一体なにか。
「…………サイズが合ってる服かな」
「それは、当たり前です」
少しばかり真剣に考えて答えると、呆れたような声が帰って来た。
◆
それから、一つ、二つと店を見て歩く。
服を買ったり、買わなかったり。試着してみて、サイズが合ったり服が合わなかったり。
これはどうかと彼女が服を差し出して、僕はそれが小さい気がして。
でも実際に試着してみると、なんだか合っているような気がした。
それで、そんなことをしているうちに。
段々と店に入ることに慣れていく。
僕は葛藤することなく店に入り、彼女は僕の横を歩いている。そしてそんな僕たちの少し後ろを歩く彼の手にはいくつかの荷物が握られていた。
――そして。
「兄さん、兄さん、これどう? 可愛くない?」
「ああ、良いんじゃないか?」
試着室の中、選んだ服に着替えていると、カーテンの向こうから声が聞こえてくる。彼女が一足先に着替え終えたんだろう。
今は彼女の提案で、二人そろって試着して彼に感想を貰うことになっていた。
……少し気恥ずかしいけれど、でも彼女には世話になったし。まあそれくらいならいいかなって。
「……それだけ?」
「ん、ああ」
「ふーーーーーん」
外の声を聞きながら、目の前の鏡と向き合う。
そこには僕が今まで着たことのないような、ひらひらとした装飾の多いワンピースが映っていた。
……少し子供っぽい気はするけれど、でもこの体には合っているような。
「……」
軽く服の端を引っ張ったりしながら、最終確認。
問題がないのを見て、最後に深呼吸をして……。
……カーテンを開ける。
何故かまっすぐ前は見られなくて、足元を見ていた。
「……ね、ねえ、君、これはどうかな」
「――――凄く似合っています。つい見惚れてしまいました」
恐る恐る、問いかけて。
果たして。彼の返事はそれだった。
「…………そ、そっか」
……不思議だけれど。
胸の辺りが、妙にムズムズとする。
なんだか落ち着いていられないような、そんな気分。
「……じゃ、じゃあこれ買っちゃおうかな」
「おすすめです。そうしましょう」
……ぇへへ。
ま、まあ、僕としてはそこまで褒められると悪い気はしないと言うか……。
「……ねえ兄さん」
「……なんだ?」
と、ちょっと低めの声が隣から聞こえる。
「なんか私とハルさんで態度違わない?」
「………………気のせいじゃないか?」
「違うよね。絶対に違うよね?」
彼が、少し気まずそうに頬をかく。
彼女はそんな彼に詰め寄った。
「………………そうか?」
「さっき全然私のこと見てなかったよね。ちらって見ただけじゃなかった?」
……しかし。
そんな二人を見て、思う。
「……いや、その」
「もっとちゃんと見ろ! 久しぶりに会った妹に可愛いねの一言くらい言え!」
本当に仲がいいなぁ、と。
お互いに気兼ねが無いと言うか。
ぽかぽかと彼を叩く彼女と、目を逸らしつつ片手でガードする彼。
そんな彼らを見ていると、家族ってこんな感じなのかなと思う。
遠慮がないと言うか、正直というか。
…………嫌われるかもしれないなんて、全く考えていないというか。
――きっと、信じているんだ。
目の前の人が、己を嫌悪する可能性を考慮していない。
当然のように味方で、それがいつまでも続くのだと信じている。
だから、適当な態度もとれるし、軽くなら叩いたりも出来る。
怒った後にもすぐ笑い合えるし、むしろ怒っている姿すら楽しそうに見えた。
…………それは、僕の人生には無かったものだ。
「……」
僕は、母と喧嘩したことなんて一度も無い。
いつだって僕が諦めていた。
喧嘩なんてしたら、辛うじて外面だけは保っていた関係が崩壊するのが目に見えていたから。
信頼なんて欠片もなかった。
ずっと、綱渡りをしているような気分だった。
「……」
「……まったくもう。あの朴念仁兄は」
少しして。
彼女が少し頬を膨らませながらこちらへ向く。
「ハルさん、注意してくださいね! あの兄はきっと釣った魚にはエサをやらないタイプですよ!」
「……ははは」
エサ……誉め言葉のことだろうか?
まあ、もちろんそれはとても嬉しいけれど――。
――今、君たちがしていたやり取りも良いなぁと思うんだけど。
「ハルさん? どうかしましたか?」
「……なんでもないよ。それより、そろそろお会計しようか」
不思議そうな顔をしている彼女に首を振って見せ、足元に置いていた買い物カゴを手に取る。
彼が楽しそうにしているのは嬉しいけれど。
……でも少しだけ、羨ましかった




