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第44話 いい子なんだろうなと


「任せられちゃった……」


 彼女との買い物の後、スーパーから帰宅した僕は、落ち着かないままに呟く。

 閉めたばかりの扉に背を当てて、少し強く鼓動する胸を押さえながら、大きく息を吐いた。


『至らぬところも多い兄ですが、よろしくお願いします』

 

 ほんの一時間くらい前のこと。

 突然彼の妹から掛けられた言葉は全く想像していなかったもので、だから、あれからしばらく時間のたった今も、まだ心の整理が出来ていない。


「どういうこと?」


 任せられるようなことは言っていないはず、だと思う。

 だって、あんなにめちゃくちゃなことを言ったんだ。訳が分からなくて、支離滅裂で、まともな大人なら絶対に言わないような感情任せの言葉。


 そんなのを聞いて、兄を任せようなんて思うはずは……。


「でも、確かに言ったよね?」


 そう思うけど、でも現実として彼女の言葉はあった。

 よろしくお願いします、と。確かに言われたんだ。


 どういうことかは分からないけれど、僕は何故か彼女に認められたらしい。


「……まあ、嫌われるよりはずっと良いけれど」


 間違っても嫌われたいわけじゃないし。

 もし『お前みたいな訳の分からん生き物が兄さんに近づくな!』とか言われたら流石にショックだし。


 ……嫌われるよりは、好かれたほうが良い。当然のことだ。


「……ふぅ。でも、驚いたな」


 再度、息を吐きながら呟く。

 しかし、本当に驚いた。あの言葉にも。そして、ついでにその後の彼女の行動も。

 

 あの言葉の後、ついさっきまでの話。

 彼女の行動というか、態度は大きく変わった。一変したと言っても良い。


『ねえねえ、私も兄さんみたいにハルさんって呼んでもいいですか?』

『え、あ、うん……』

『私のことも美弥でいいですよ。呼び捨てでも美弥ちゃんでもいいです。好きに呼んで下さい』

 

 なんか妙に距離感が近くなって、すごく話しかけてくるようになった。

 最初の沈黙の時間は何だったのかというくらい、彼女はおしゃべりだった。


『ハルさん、ハルさん、好きな食べ物は何ですか? 趣味は? 休日はどんなことをしてます?』

『……お、お見合いじゃないんだから』


 僕としてはその勢いに押されるばかりで。

 その勢いはスーパーで買い物してる時も止まらなくて。


『あ、大根。ハルさん、知ってます? 兄さんって大根が好きなんですよ』

『……そうなの?』


 ……まあ、一部役に立つ情報もあったけれど。

 とにかく、ずっと(せわ)しなくて、屈託がなくて……。


「……」


 ……でも嫌ではなくて。

 よくは、分からないけれど。


「………………はぁ」


 まあ、いいか。

 何はともあれ、考えているうちに少し落ち着いた。

 

 扉から背を離し、靴を脱いで部屋に上がる。

 なんにせよ、いつまでも扉の前にはいられないし、買って来たものを冷蔵庫に入れないと。


 コートを脱ぎ、ハンガーに掛ける。

 そして冷蔵庫を開けて、バックから買って来たものを移していった。


「……」


 その途中、冷蔵庫から漏れてきた冷気が冷たくて、少し身震いする。

 色々歩き回ったせいか、自分がそれなりに汗をかいていることに気付く。

 

「……着替えようかな」


 早く冷蔵庫での作業を終わらせて、服を着替えることにした。



 ◆



 室内着に着替えた後、さて夕飯の準備でもしようかと思い、そういえば期限が短い食材が幾つかあったなと献立を考えて――。


 ――キンコン。とチャイムの音。


「……はい」


 誰だろうと思いながら玄関へと向かう。

 そして、ドアノブを捻ると……。


「こんにちは、ハルさん!」

「……こんにちは」


 扉の向こうから、笑顔が現れる。

 そこにはつい先ほど別れた少女の姿があった。


「さっきぶりですね!」

「そ、そうだね」

 

 また出た……と、言うと失礼だろうか。

 でもやっぱりこの娘、距離感急に変わりすぎじゃない?


「どうしたの?」

「いえ、実は今晩は私が料理を作るので、折角だしハルさんを招待しようと思ったんですが……」


 ……なるほど?

 そういえば、さっきのスーパーで色々買い込んでたような。二人分の食材にしては多いなと思ってたけど、もしかして僕のも含まれていた?


「……思ってたんですが、その前に気になることが」

「へ?」


 と、彼女の会話のトーンが変わる。

 さっきまでの明るい感じの声ではなく、少し真剣な感じの声。


「ハルさん、すごい格好してますね」

「え、そう?」


 すごい恰好?

 そうだろうか?

 

 言われて視線を下げると、そこにはワイシャツを身に纏った自分の体がある。

 いつも通りの、普段から着ている室内着だ。


「なんでそんなに大きい服着てるんですか……。そんな恰好で応対に出ちゃダメですよ」

「大きいって、それはまあ、この体になる前の服だし」


 より正確に言うと、男だったときに来ていた半袖のワイシャツだ。

 今となってはもう普通には着られないけれど、しかしまだ綺麗だったから室内着として活用しているモノ。もちろん外では着ていないし、家の中だけだ。

 

「そんなに変かな」

「変と言うか……防御力が低いと言うか……」


 彼女が引きつった顔でこちらを見ている。

 そんなにみっともない恰好をしていただろうか。……まあ、確かに応対に出たのは軽率だったかもしれないけど。でも少しだけだし。その時限りの他人だし。


 防御力は……夏モノだから生地はちょっと薄いかもしれない。

 でも体が小さいから、半袖が七分袖みたいになってるし。この季節でも部屋の中で着るのにはちょうどいいかなって。


 室内着ってそういうものでしょう?

 だって家の中だ。部屋の中には普段僕と彼しかいないし。


「ダメですよ。ちゃんとしたのを着ないと。それで玄関に出るなんて、もっての(ほか)です」


 彼女が真剣な顔で繰り返す。

 ……え、そんな顔をするくらいダメだった?


 そこまで変な恰好をしている自覚が無かったので衝撃を受ける。

  

「で、でも、代わりの服を買うのも大変で……もったいないし……」

「大変?」


 それで、衝撃だったから。

 つい、言い訳をしてしまう。

 

 それはこの体になって以来、僕が抱えていた悩みでもあった。


「普段は、その、服はネットで買ってるんだけど……サイズが合わなくて着られない服があったりして……」


 この体になって半年だ。

 それで、僕はまだ女性の服のサイズ感というのが理解できていない。


 スーツはオーダーして作ったからいい。でも私服はそうはいかない。

 ネットの小さい画像だけで判断して揃えた結果、小さすぎたり大きすぎたりするモノが多く出た。


 当然、そういうものはみっともないので、大人として外では着られない。

 でも捨てるのは忍びなくて、だから、合わないものは部屋の中でだけ使うようになった。


 部屋の中だったら見るのは彼だけだし。

 彼は多少みっともなくても気にしないだろうし。

 

「……? サイズがって、ネットじゃなくて実店舗で買えばいいのでは?」


 しかし、そう説明すると彼女は首を傾げながら言う。


 それは、まあ。

 確かにそうなんだけど。


「女性服の売り場、入り辛くて……」

「なんで……ああ、そういうことですか」


 彼女は一瞬不思議そうな顔をして、すぐに納得の表情を浮かべる。

 

 そう。お察しの通りだ。

 男だったから、あの特有の雰囲気の空間に入るのには抵抗がある。


 ……無いとは思うけど、元男だとバレて変態扱いされたら嫌だし。


「……そういえば、さっき着てたコートも大きめでしたよね。あえてオーバーサイズのを着てるのかと思ってましたが」

「あれも結構高かったから、ちょっとサイズが合わないくらい我慢しようかなって……」


 ちょっと大きい気はしたけど、でも鏡で見る限り許容範囲の気がしたから。

 まあ私服だし少しくらいはいいかなって。そう思った。

 

 ……しかしそう思ったんだけれど。

 彼女はこめかみに手を当てている。呆れるような、頭痛を(こら)えるような、そんな顔だ。


「……」

「……」


 ……正直、居たたまれない。

 十近く年下の女の子にこんな顔をさせる事になるなんて思わなかった。


「――よし」

「……?」

「決めました!」


 と、彼女が叫ぶように言う。

 

「明日、私と一緒に買い物に行きましょう!」

「へ?」

「兄さんも連れていきます!荷物持ちです!」


 買い物……彼女と彼と三人で?

 それはまた、随分と突然な……。


「いいですね!?」

「え、うん」

「約束ですよ!」


 勢いに押されるように頷く。

 すると彼女も満足そうに頷いて。


「では、そういうことで。また明日!」

「……へ? う、うん」


 唐突な別れの挨拶が飛んできた。

 その勢いのまま、彼女は玄関から出ていく。

 

 バタンという音を立てて扉が閉まった。


「……」


 少し呆然としたまま、扉を見つめる。

 そのまま数秒が過ぎて。


「……あ!」

「……?」

 

 扉の向こうから何かに気付くような声。 


「……忘れてました! あとで一緒にご飯を食べましょう!」

「あ、うん」

「私が腕によりをかけて作りますので! あと、ちゃんと着替えてきてくださいね!」

 

 外からそんな言葉が飛んでくる。

 そういえば最初はそんな話だったような。


「――」


 ――そして、パタパタという足音が聞こえて。

 すぐ近く、隣の部屋から扉の閉まる音がした。


「…………………………いや、その」


 しばし呆然としてから、呟く。

 

 なんと言えばいいのか。

 すごい娘だった。勢いが。


 今まで僕の周りにはいなかったタイプ。

 正直よく分からないし、僕だと気後れしそうになる。


「…………………………………でも、まあ」


 ……なんというか。


「……」


 ……その。

 よく分からないタイプだけど。

 

 いい子なんだろうな、と。そう思った。


 

 



 

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― 新着の感想 ―
[良い点]  ついにおでかけですよ‥‥‥!  しかも彼の身内公認!  いやあハルさんの人間性と内面に触れればね。  今の容姿と相まって庇護欲刺激されまくり。    さあハルさんファッションショーの開…
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