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第43話 痛みと答え


 僕と彼の関係。

 友人ではなく、恋人でもない。そんな僕たちは、いったい何なのか。


「……それは」

「はい」

「…………」


 口を僅かに開き、呟く。そして彼女がそれに返事をした。

 ……でも次の言葉は続かない。沈黙だけがそこにある。


 考えて、しかし何も返せない、何も言えない。そんな時間。


「……あ」

「わっ」


 そのとき。ごう、という音がした。

 すぐ傍を大きなトラックが横切った音だ。

 

 同時に強い風が通り抜けていって、その勢いに押されて一歩下がる。


「……移動しましょうか」

「そう、だね」


 ここは道路だ。話をする場所じゃない。

 なので、彼女と並んでまた歩き出す。


「……」

「……」


 何度目かの静かな時間。 

 足音が大きく聞こえてくるような、そんな中を歩きながらふと考える。


 ――そもそも、どうして彼女はこんなことを僕に質問するんだろう。

 

 少し、唐突な気がする。

 彼女は、どんな想いで僕に問いかけたんだろうか?


 彼のことが心配だから?

 不思議な関係と言っていたし、変なことに巻き込まれてないか不安になったから?


 それとも好奇心?

 恋人じゃないかと言っていたし、兄の色恋沙汰に興味が湧いている可能性だってある。


「……」


 ……でも、わからない。

 だって僕は彼女のことを何も知らない。


 昨日会ったばかりで、会話したのも少しだけだ。

 彼女がどんな人間なのか知らないし、彼との関係も仲がいいということしか知らない。


 というか――。


「……ん」


 ――そもそも。

 昨日も、今日も、あまり彼女に関わらないようにしていたし。


 それは家族団欒を邪魔したくなかったからだ。彼も久しぶりの家族との会話を楽しそうにしていたから。


 積もる話がきっとあるはずで、そこには他の人間は必要ないだろうし……。


「……」


 ……あと。

 それに、もう一つ。

 

 せっかく仲がいいのに、僕が余計なことをして台無しにするのが嫌だった。


 だって、僕には家族なんてわからない。

 仲がいい家族も、優しい親も、親しい兄妹も。なにも知らないから。


「……」

「……」


 ただ、歩く。

 そうしていると、その先に公園が現れた。

 

 僕の家と、スーパーの間にある公園だ。

 横切れば少しだけ近道が出来るような、そんな場所。


 ……つまり、道路ではない。

 立ち止まって話をするのに、丁度いい場所でもある。


「……あそこに、行こうか」


 ちらりと横を見て、声をかける。

 彼女はこちらを見て頷いた。


 足は前に進んでいく。

 段々と返答までの猶予はなくなっていく。


 ――もう、あまり時間がない。

 だから考える。僕と彼の関係。彼女に問いかけられたことを。


 不思議だと彼女は言って、僕はどこが不思議なのかと問い返した。

 すると、彼女は――。


『――合鍵を持ってるところとか、お互いの部屋に私物を置き合ってるところとか』


 そう、彼女は言った。

 それはまあ、間違いない。


 言われた通りのことをしている。

 半年前まで少し会話する程度の関係だったのに、いつのまにかそこまで距離が近くなっている。


『毎日一緒に食事をしていることとか、二人きりで旅行に行ったりとか』


 一緒に食事をするのが当たり前になった。

 料理をするとき、彼の顔を思い浮かべるようになった。


 長い時間を共に過ごして、いつの間にか傍にいるのが当たり前になった。

 彼も傍にいると言ってくれて、指を絡めて約束もした。

 

 昨日と今日なんて彼がいないと退屈で、何もすることが無かった。


『兄さんとは付き合ってないと』


 距離は近い。

 でも、恋人じゃない。それは間違いない。


 そもそも、僕は、()だ。

 病気になって、体は女性のものになったけど…………元は男で。


 法的には女で、でも社会的には男でも女でもない。

 僕は、そんな訳の分からないところに立っている。


『——不思議な関係だなぁって』

 

 こうして考えてみると、彼女が不思議と思うのも当然だ。


 隣人だ。そういうことになっている。

 でも僕たちは隣人というのには距離が近い。

 

 不思議とは、要するに普通じゃないということだ。

 そして普通の隣人というのは、きっと昔の、出会ったばかりのような関係のこと。


 足を怪我する前。少し会話するだけの関係だった頃。

 それこそが本来の隣人で、でも今の彼と僕は違う。


 だって、あの頃なら昨日みたいに彼が女性と歩いているだけで苦しくなったりしないし、彼女がいたのかもしれないと思うだけで泣いてしまったりはしなかった。

 

 ――では。それなら。

 普通の隣人ではない今の関係に名前を付けるとするなら、それは何なのか?

 

「……」

「……」


 そして。

 そうしているうちに、僕たちは公園へ足を踏み入れる。

 

 人影のない、開けた場所だ。時たまいる子供の姿もなく、風に吹かれたのだろうか、少し揺れているブランコが小さく音を立てている。


 ――そんな公園の中央で、僕と彼女は立ち止まった。


 振り向き、向き合う。

 彼女は少し困惑するような、そんな顔をしている。

 

「その、彼との関係についてだけど」

「……はい」


 考える。なんと答えればいいか。

 どうすれば間違っていない返事が出来るか。


 分からないことだらけで、理解できなくても返事はしなければならない。

 だって彼女は彼の家族で、大切な人で、だからこそ、きちんと答えたい。


 だから、必死に頭を悩ませて。


「……えっと」

「……」


 ……しかし。


「……ごめん」

「え?」

「……わからないんだ」


 いくら考えても、分からない。

 答えが出なくて……いや、出してはいけない気がする。出してしまったら、何かが壊れるような、そんな気がして。


 ――だって、考えると胸が痛むんだ。

 傷口を抉られているように。ジクジクと、ズキズキと。


 それは昨日とは違う痛みだ。

 もっと根底の、僕の中の深い所から響いてくるような。


「……ごめんね」

「えっと……」

 

 そして、もう一度頭を下げる。

 すると上からは慌てるような気配がして。


「……でもね、楽しかったよ」

「え?」

「彼と一緒に居て、食事をして、なんてことのない話をするのが」


 分からない。

 それでも、何かを伝えなければと思った。


 言葉には出来ないけれど、理解は出来ないけれど。彼と僕の間に何があったのかを。


「彼が、共に時間を過ごしたいと言ってくれたんだ」


 あの日、僕が彼を拒絶した日。

 それでも彼は僕の元を訪れてくれた。


 あの時は、君は物好きだ、なんて言ったけれど。


「嬉しかった。本当に嬉しかった」


 思い出すだけで、胸が締め付けられるような、そんな記憶がある。

 嬉しくて、幸せで、暖かくて。


 なんだか、ちょっと泣きそうになるような。


「だから、料理を作った。その気持ちを返したいと思ったんだ。」

「……」

「美味しいって言ってくれた。そう言って笑ってくれた」


 食事に招待した。そうしたら彼が喜んでくれた。

 喜んでくれたから、また嬉しくなって。もっともっと彼の力になりたいと思うようになったんだ。


 ――いつからだろう。

 彼が笑ってくれると、胸が締め付けられるような気持ちになった。


 苦しくて、でも嫌じゃないような。

 思わず頬が緩んでしまいそうな、そういう苦しみだった。


 それがやっぱり、どうしようもないくらい嬉しくて。


「良かったなあって思って、ちょっと泣きそうになって」

「……」


 少しだけ、救われた気がしたんだ。


 そして、気が付くとこんなにも近くにいた。

 彼がいないと、寂しくなるくらいに。……昨日、あんなに苦しくなるくらいに。


「……でも、この気持ちがなんだか分からなくて」

「えっ」


 痛くて、苦しい。

 でも、答えは出せない。


 ――そもそも。

 僕は、僕だ。……()じゃない。


「だから、ごめん」

「……」

「今の僕じゃ、答えは出せないよ」


 あやふやで、はっきりとは言えない。

 しかし、それが今の僕に返せる精一杯だった。


「……」


 いつの間にか伏せていた顔を、上げる。

 すると目の前にいる彼女は、少し頬を赤くして、眉を垂れさせている。


 少し笑っているような、でも困ってもいるようなそんな表情をしていた。


「……そうですか」


 小さくつぶやく。


「なんといいますか……」

「うん」

「……ごちそうさまという感じですね」

「へ?」


 ごちそうさま?

 

「古寺さんの言いたいことは、よく分かりました」

「え、分かったの?」


 僕も分かってないのに。

 正直、支離滅裂なことを言っていた気もするけれど。


「……うん」

「……」

「……そっか。そうですね」


 目を瞑り、何度か頷いて見せる彼女。

 そして、改めて目を開いた彼女は笑顔を浮かべていた。

 

「こほん」


 一つ、彼女が咳払い。

 そして、こちらに改めて向き直る。


「古寺さん」

「うん」

「至らぬところも多い兄ですが、よろしくお願いします」

「……え?」


 そう言って、彼女は、深く頭を下げた。

 

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― 新着の感想 ―
くぅー…!甘ぇ!
[一言] 妹さん、ハルさんが見えないところで悶えまくるでしょうねぇ。 なに!? あのカワイイ生き物! 的な感じで。 彼の実家周りの堀はそうそうに埋められる(確信
[良い点] しゃあ!小姑のお許しが出たぞお。よかったね。
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