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第42話 不思議な関係


 翌日。朝。

 特に用もない僕は、部屋で一人穏やかな時間を過ごしていた。

 

 昨日に引き続き彼との食事の予定はなく、結果として何も用事がない。

 家事も昨日必要以上に(こな)したのでこれ以上は無駄になってしまう。


 なので、僕は椅子に座り、何をするでもなく天井を見上げていた。


「……」

『………………?』

『………………』


 静かな部屋の中、遠い所から声が微かに聞こえてくる。

 隣の部屋からの声だ。一つは聞き慣れたもので、もう一つはあまり馴染みのないもの。


 彼の妹と言う少女の声だ。

 昨日はあれから彼と隣の部屋に戻り、そこで一晩を明かしたらしい。彼らの話声は、アパートの壁越しに昨夜遅い時間まで聞こえてきていた。


 一年半ぶりだと聞いている。積もる話もあったんだろう。

 ……しかし、家族とはいえ年頃の男女が一緒にワンルームに泊まる辺り、やはり彼らは仲がいいんだろうなと思ったりして。


「……」


 そんなことを考えながら、天井をぼうっと見る。

 それ位しかすることが無いし、なんとなく映画や小説を読む気分でもなかった。


「……」


 ……冷蔵庫の音が大きく聞こえるような静かな部屋の中。

 気を取られるようなものは何もなくて、だからこそ、思考は内側に向かっていく。


 今、傍に彼はいないし、少女もいない。

 結果として思考が辿り着く先は、昨日の話し合いの途中、一度見ないふりをしたことだった。


「――なんで、僕は」


 昨日のこと。夕方のあのとき。

 なぜ僕は、あんなに苦しくて悲しかったのか。


 彼が女性と歩いているのを見た。

 見覚えのない女性で、でもとても彼と距離が近かった。


 肩を叩いて笑い合っていた。

 呆れた顔や不満そうな顔をしていて、それでも空気は穏やかだった。


 ……だから、すごく仲がいいんだろうなと、一目でわかってしまって。


「……」


 辛かった。

 苦しくて、悲しかった。


 親しそうな姿を見ると、胸が痛んだ。

 恋人かもしれないと思うと、涙が溢れてきた。それが、あの時の僕のすべてだった。

 

 ……でも、結局妹だと分かって。

 今、少し時間が経ったからこそ不思議に思う。

 

 どうして僕は。

 彼に恋人が出来たかもしれないと思っただけで、あそこまで。


「……本当なら、彼に彼女がいても、僕が気にすることじゃないのに」


 そのはずだ。そのはずだった。

 だって僕は彼の隣人で、それ以上でもなんでもない。


 彼と僕の関係に恋人の有無は関係が無くて。

 だから、あれは何もかもがおかしくて。


「……どうして」


 理由を考える。

 天井を見上げて、遠くからの声を聞きながら。

 

 ……でも、いくら考えても、何も分からなくて。


「………………」


 …………本当に?


「……………………」


 ……いいや、本当は。

 分からないのではなく――。


「――ぅ」


 ……でも。

 ズキリ、と胸が痛んだ気がして。


「……」


 ……僕はそれ以上は考えないことにしたんだ。



 ◆



 夕方。買い物袋を持って部屋を出た。

 

「……はぁ」


 ため息を吐きつつ、アパートの廊下を歩く。

 

 考えるべきことと、考えるべきでない気がすること。

 その二つの板挟みになって悩みつつ、でもお腹は空くので買い物に行く必要があった。


 ……今晩も、きっと彼はいないけれど。

 一人で食べることになるんだろうけれど。


「……」


 ……残念だけど仕方ない。

 僕としても久しぶりの家族団欒を邪魔する気にはなれない。出来ることなら、彼には家族と仲良くあって欲しいと思うし。


「……ふぅ」


 なので、もう一度大きく息を吐きつつ、廊下の端に辿り着き、階段を降り始める。

 そして、駐車場に降り、道に一歩足を踏み出して――。


「――ぁ」

「……え?」


 丁度アパートの門を出たところ。

 そのすぐ脇に、予想外の人間が壁に寄り掛かるようにして立っていた。


「……あ、古寺さん」


 彼の妹がそこにいた。



 ◆



「――私、来年受験なんです。だから、今回は受ける予定の大学の見学に来ました」

「……そうなんだ」


 夕陽が差し込み、赤く染まった道を歩く。

 近所のスーパーへの道のり。普段から通い慣れた道だ。


 就職するときに引っ越してきて以来、何百回も通ってきたそれは、もう周囲の景観すら完全に把握している。目を瞑れば完全に頭の中で再現することすらできるほどで。

 

 ……でも、しかし。

 今日は少し、普段と様相を異にしていた。


「やっぱり見ておいたほうが良いじゃないですか。大学の建物とか、サークルとか――あと周辺の治安とか」

「そういうの、大事だよね」


 隣を歩いている少女。

 美弥という名前だと、つい昨日自己紹介された彼の妹だ。

  

 僕は今、そんな彼女に頼まれて、スーパーへと並んで歩いていた。


「……ここに来たということは、大学は彼と同じところを受けるつもり?」

「それも、考えてます。……成績が許せば、ですが」


 まあ、この辺りのスーパーを見たいとお願いされれば断る理由はないし、他ならぬ彼の家族の頼みだ。出来る限りのことはしてあげたいとは思うし……。


 ……突然だったから驚いただけで、別に構わないんだけど。


「頑張ってね」

「はい、ありがとうございます」


 しかし、この娘。わざわざ彼と同じ大学を受けるのか。

 大学なんて星の数ほどある、とまでは言わないけれど、全国津々浦々に沢山あるだろうに。


 それなのにあえてその選択をするのは――やはり彼と仲がいいからなのだろうか?


「……」

「……」


 そして。

 その会話を期に、言葉が途切れる。


 僕と彼女の間を沈黙が包んで、どこからか、子供の遊ぶ声が響いてくる。

 近くにある公園だろうか。無邪気で、楽しそうな声が聞こえてきていた。


 日が傾き、世界が黄金色に染まっていく中で、僕と彼女はただ道を歩いている。


「……その、少しいいですか」

「うん」

「兄さんについてなんですけれど」


 しばらくして、ポツリと彼女が呟く。


「まず改めて。去年は本当にありがとうございました。兄さんが生きているのは古寺さんのおかげです」

「あ、うん」

「今ここに居ない両親も含め、家族一同、深く感謝しています」


 こちらへ向き直り、ぺこりと頭を下げる。


「しかし……私個人として、兄さんの妹として、一つ気になることがありまして」

「うん」

「……その、ですね。

 古寺さんと兄さんは随分と不思議な関係のように見えると言いますか」


 ……ん、不思議?

 そうなんだろうか?


「……え、そう?」

「はい」

「……不思議って、どこが?」

「合鍵を持ってるところとか、お互いの部屋に私物を置き合ってるところとか、毎日一緒に食事をしていることとか、二人きりで旅行に行ったりしてるところでしょうか?」


 あと、兄さんのベッドに金色の髪が落ちてましたし、と。

 そう、彼女は呟く。


 しかも、そこまでやっておいて、とも。

 

「その、兄さんは付き合ってないと言っていましたが……」

「……それは、うん。そういうのじゃないよ」

「……本当に?」


 信じられないと言う目で彼女はこちらを見る。

 

 でも、僕は嘘はついていない。

 付き合う。恋人になると言うこと。それは僕と彼の間には当てはまらないはずだ。


「では、とても仲がいい友人なのでしょうか?」

「友人……」


 それは……どうなんだろう。

 恋人ではないのだから、友人――と言うのは、確かに自然な考えのように思う。


 ……でも、なぜか。

 なんだかよく分からない抵抗感のようなものがあった。


「……」


 視線を、地面に落とす。

 なんとなく、彼女の目を見ていられなくて。


 ――僕と彼の関係。

 それは一体、なんなのだろうか?

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