第41話 妹
――妹?
それはつまり……?
一瞬、混乱する。
何を言っているのか分からなかった。だって、それは全く想像していなかった言葉で。
「……え」
……しかし時が経つうちに、段々状況が分かってくる。
妹。彼の。つまり彼の家族。
要するに……彼女じゃない?
「――!!」
理解する。勘違いしていたことも。
驚いて、だから慌てて立ち上がろうとして――。
「――え」
――だから、だろう。
慌てていたから、体が平衡を失ってしまう。
伸ばそうとした足が、つるりと滑った。
足が空を踏む。そのまま体は下へ落ちていって……。
「…………ひぎゃ!?」
『わっ、びっくりした』
――ドン、という音。
次の瞬間、激痛がお尻を襲う。
「――――ぁ!!??」
あまりの痛みに倒れ込み、お尻を押さえた。
そしてその場でのたうち回る。
「あぁぁぁぁぁ…………」
『……ハルさん!? 大丈夫ですか!? 開けますよ!?』
新しい涙がぽろぽろと零れるのを感じつつ、痛みに呻き声を上げていると、扉の向こうから声が聞こえてくる。
そしてドアノブが外から捻られて――しかし、開かない。
鍵がかかっている。……でもすぐに鍵を開ける音が聞こえた。
合鍵だ。捻挫したときに預けたもの。
玄関まで出るのが大変だったからだ。あの後も返してもらってない。まあいいかなって、そのままにしてた。
「ハルさん大丈夫ですか!?」
「あぁぁぁ……」
「……え? なんで兄さんこの部屋の鍵なんて持ってるの?」
扉が開いて、彼が駆け寄ってくる。
激痛に悶えながらそちらに視線を向けると、彼とその後ろに例の彼女がいた。
「ぁぁぁ……ぁぁ……」
「一体何が……え? お尻?」
「……これどういう状況? その子誰……?」
――そうして。
そんな混乱した状況はしばらく続き、落ち着いたのは外からの冷気で部屋の中がすっかり冷え切った頃だった。
◆
そんなこんながあった後。
「その、先日は兄がお世話になりました……?」
「いえいえ、当然のことをしただけで……」
僕と彼と少女は僕の部屋の卓袱台を囲んで向き合っていた。
先日の礼を言いに来たという彼女は、不思議そうな顔と声色をしながら頭を下げている。そんな雰囲気がある。
雰囲気があると言うのは僕が彼女をよく見ていないからで、その理由はついさっき彼女の前でとんでもない恥をさらしたからだ。
いい年してお尻を抱えて転げまわってる姿を見られるなんて……正直、かなり恥ずかしい。穴があったら入りたい気分。
「両親からです……?」
「これはご丁寧にどうも……」
それに、結局彼女じゃなくて妹だったし。
それは今、こうしてお高そうな菓子折りを貰ったあたりからも間違いない。
つまり僕は二つも恥を重ねていたわけで。
「……」
……しかし、思う。
どうして僕は。
彼が女の子と歩いていただけであんなに混乱して、勘違いまでしてしまったのか。
「……」
……いや、今はいいか。
それよりも彼女のことだ。
そう思って、顔を上げる。
すると目の前には困った表情を浮かべた少女の姿があった。
チラチラと彼の方を見て何かを言いたそうにしている。
しかし彼はと言うと、目を少女から逸らしつつ頬をかいたりしていて……。
「……」
「……」
でも、やっぱり似てるかも。
沈黙が部屋を包む中、彼と彼女を見比べる。
男と女なので骨格は違うけれど……印象というか、パーツが似ているというか。
ああ、兄妹なんだな、という感じで。
………………少しだけ、安心する。
「……あの、兄さん」
「……なんだ?」
すると、彼女が口を開く。
そして、意を決したように彼を見据えた。
「訳が分からないんだけど。助けてくれた人――古寺さんは今日はいないの?」
……ん?
「言われるままに渡したけど、この娘は古寺さんの家族の人? なんか兄さんとすごく仲がいいみたいだけど」
……あれ、もしかして僕が誰だか知らない?
いや、それはそうか。
外見上、今の僕と昔の僕の共通点なんて全くないし。その二つを結びつけられる方がどうかしてる。
「……えっと、僕がその古寺なんだ。その、彼を助けた本人」
「……え?」
なので、改めて自己紹介する。
少し抵抗があるし言い辛いものの、でも彼の家族だし。
「いやいやいや、そんな訳――」
「本当だよ。ほら、あの病気でちょっと」
「――え?」
引きつった顔で彼女が僕をまじまじと見る。
最初に理解できない顔をしていて、でも段々驚きが表情に現れていく。
「……え」
その姿を少し新鮮に思う。
……思えば、こういうのも久しぶりかもしれない。
この体になって半年以上。こうして自己紹介することもめっきり減った。
最初は職場の人や知り合いに会うたびに驚かれたものだけど、最近は逆に有名になって、知らない部署の人も僕の顔を知ってるくらいだ。
話を通すのが楽なので便利なような、恥ずかしいような。そんな気分だった。
「本当に、あのお兄さんなんですか?」
「うん」
「…………えぇ、変わり過ぎでしょ。美少女じゃん。面影どころか性別から変わってるし。原形残って無いよ……」
「……ははは」
正直だなぁ、この娘。
「美弥、あんまりそういうことは」
「あ、ごめんなさい……」
まあ、美少女かはともかく。
少しあけすけだけど驚く気持ちは分かる。
僕だってそう思うし。最初の頃は鏡に映ってる自分が自分だと認識できなかった。
鏡に映ってるのは偽物じゃないかと、パントマイムしたこともある。
最初はトイレも風呂も大変だったし。
「……すみません」
「いやいや、いいよ。気にしないで」
「ありがとうございます――。
――いや、ちょっと待って。兄さん、こっち来て。申し訳ありません古寺さん。少し時間をください」
「あ、うん」
と、彼女が彼を引っ張って、部屋の隅へ連れていく。
そして、小声で何かを話し始めて――。
「ど…………?……てない……けど……!」
「…や、……いう………………す訳に……」
――顔を寄せ合い話している。
距離が近くて、頬が触れそうな距離で。
まあ話の流れ的に僕のことを話してるのかなと考えつつ。
「……」
……彼らの姿を見て。
なんとなく、思う。
この二人仲が良いなぁ、と。
「…………く………………けど」
「……あ…………き……………………めん」
いや、この二人というか、彼の家族が仲がいい気がする。
そういえば、あの死にかけ事件の時もそうだった。
ご両親は夜を徹して車を運転して来たらしいし、その後は退院するまで仕事を休んで付き添っていたらしいし。
お礼を言いに来たときも、すごく丁寧に頭を下げてたし、お母さんなんて涙ぐんで何度も何度もお礼を言ってたし。
すごく仲がいい、よね?
普通はそんなことしてくれないんじゃないかって思う。
良いご両親だなぁ、なんて思ったし。
妹さんともこんなに仲が良いし。
「………と…………………み……でしょ!」
「……………か…………………から」
「――」
――なんだか。
……少し不思議だけど、彼が家族と仲良くしているのが、嬉しい。
何かが救われるような、そんな気持ちになるからだ。
「……お茶でも入れようかな」
立ち上がる。
何でもいいから、何かをしたい気分だった。
なので、戸棚からお茶の葉や急須を取り出して。
「――あ、おかまいなく!」
「そう?」
お盆に湯呑やコップを乗せたところで、彼女がこちらに気付く。
「はい。いきなりお邪魔してそこまでご迷惑をかける訳には……あれ?」
「……?」
「……そのコップ、兄さんのじゃ?」
「あ、うん」
一緒に食事をする都合上、僕の部屋には彼の食器類も一通り持ち込まれている。
そういえばこのコップは彼のお気に入りで、実家から持って来たんだとか言ってたような……。
「……なんで兄さんのコップがここにあるの?」
「……あー、その」
彼女が彼の顔を見る。
彼は大きく顔を逸らした。
「どういうこと……?」
「いや……」
また二人で話し出す。
その姿はやっぱり距離が近くて。
「……」
やっぱり仲良いなぁこの二人、とそう思った。




