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第39話 急用

今日から更新再開です。

しばらく毎日投稿の予定。


 それはきっとかつての夢。

 僕の体が小さくなってしまう前、男だったときの記憶だ。


『…………次は、どこに行こうか』


 部屋の中、(かれ)は旅行雑誌を開いてなんとなく眺めている。

 色とりどりの写真と、目を引く宣伝文句。そしてそれらが魅力的に見えるよう作られた冊子。そのページをパラパラとめくりながら、次の旅行先を物色している。


『……』


 行ったことのある場所があって、行ったことのない場所がある。

 歴史的に魅力的な場所もあって、温泉が魅力的な場所だってあった。


 それらを(かれ)は見比べている。

 どこが良いだろうか、どこが他の場所より条件に合っているだろうかと。


 ……どこなら、いつかのように――。

  

『――ここでいいかな』


 そして、しばらく悩んだ後に一つの温泉地に目をつける。

 雑誌の端に折り目をつけて、予定に合いそうな日付にボールペンで丸をした。


 そして、次に交通機関の手配をしようとして。


『……』

 

 思う。出発は朝早くが良いな、と。

 そして帰ってくるのは夜遅くが良い。


 仕事が終わって、寝て、起きてすぐに家を出る。

 家に帰ってくるのは次の日に影響を残さないギリギリの時間だ。そして次の日は仕事へ行く。

  

 ……それが一番良い。

 一番良くて、一番今まで通りだ。


『……』


 ――しかし、ふと思う。

 いつだったか、同僚に世間話の一環でこのことを話したとき、酷く驚かれた記憶がある。


 なんでそんな無茶なスケジュールをと。

 もう少しゆとりを取ったらどうかと。


 それに僕は何と答えたんだったか。

 旅行が好きだから、とでも答えたのかもしれない。多分そんな感じだ。


 それは間違っていない。

 僕は確かに旅行が好きで、いつだって楽しんでいると思う。それは正しい。きっと間違ってない。事実のはずだ。


『……………………でも』

 

 ……間違ってはいないけれど。

 一つだけ、思い出すこともあって。


『――』

 

 ――ずっと、ずっと旅行をしていたい。


 小学校の修学旅行の夜。

 他の生徒が寝静まった部屋の中で、そう願ったことがあった。


 特別楽しかったわけじゃない。

 むしろ、どんな場所でも最後列に居て、よく分からないことも多かった。


 もっと遊びたいと思える友達がいたわけでもない。

 人と馴染めない僕は、やっぱりあのときも孤立していた。 


 それでも。

 そうだとしても、僕は。


『……かえりたくないな』


 ――ただ、家に、帰りたくなかったんだ。


『……』


 旅先の夜は、どこか夢見心地で。

 青白い月明かりは、さみしいけれど幻想的で。


 そこには、少しだけ現実を忘れられるような。

 そんな優しさがあったから。


 ――

 ――

 ――


『――』

『――ハルさん?』

『……え?』


 声がして、顔を上げる。

 いつのまにか目の前に彼がいた。


『……えっと』


 そして、気付く。

 声と体が少女(いま)のものに変わっている。視界の端には金髪が見えて、手の平は小さくて、片手ではコップが掴み難い。


 僕と彼は、いつも食事をするときのように、卓袱台を挟んで向き合っている。


『大丈夫ですか?』

『……う、うん』

『そうですか。なら話を戻しますけど、さすがにこれは無茶だと思うんですよ』


 彼の指が机の上の紙を指している。

 見ると、そこには旅行の計画らしきものが書かれていた。


『行きはともかく、帰りは余裕を持ちましょう。ハルさん次の日は仕事でしょう?』

『……それは、そうだけど』


 彼が少し困った顔で言う。

 心配そうな顔で、僕の体を気遣って考え直すように言ってくる。


 それは、まあ、そうなんだけど。

 正しいんだけど。普通はそうするべきなんだけど。


『……でも』


 ……でも僕は。

 家に……居たくなく、て……?


『……?』


 あれ、そうだっけ?

 いや、以前はそうだったような。でも、今は?


『……えっと』


 ――目の前には、かれがいる。

 少し眉を落としながら、それでも微笑んでこちらを見ている。


 そう思うと。

 なんだか、どこか強張ったところから力が抜けていく気がして。


『次の日に備えて、少しはゆっくりする時間を作った方が良いですよ』

『……いっしょに?』

『……え? 一緒? 一緒にゆっくりするってことですか?

 ――まあ、それはもちろん、構いませんけど』


 そうなんだ。

 それなら、いいのかな?


『……じゃあ、そうしようか』

『ええ。――それに、無理しなくても旅行なんてまた行けばいいんですから』


 彼が笑う。

 何度だって行けばいいんですよ、と。


『そっか』

『はい』

『そっかぁ……』

『そうです』


 そうやって話していると、なんだか段々可笑しな気分になってくる。

 だから、僕と彼はしばらく笑い合って――。



 ◆



 ――目が覚めた。

 よく分からないけれど、妙に爽快な目覚めだった。


「……?」


 なんだか頭がすっきりとしていて、気力に満ち溢れている。

 もしかして今日が休日だからだろうか? それとも、覚えていないけど良い夢でも見ていた?


「……ん」


 まあ、なんにせよ良い気分だ。

 なので、少し勢いをつけてベッドから起き出し、軽い足取りで洗面所へ向かう。


 身支度を手早く済ませて、エプロンを身に着け、髪を後ろでまとめた。


 そして、今日は何を作ろうかなと考える。

 朝から調子がいいし、少し手の込んだものでも作ろうかななんて思い……。


「……あれ」


 と、そこでスマホの通知に気付いた。

 黒い画面にSNSの通知が表示されて、そこには見覚えのあるアイコンがあった。


 ――彼から?


 なんだろうとスマホを手に取る。

 ロックを解除して、中を確認して……。


「急用?」


 そこにはまず謝罪の文があった。

 次に急な用事が入って今日の朝食は一緒にとれそうにない、とも。


 急で申し訳ないと。

 そんなことが書かれている。


 ついでにその文章を読んでいる途中、隣の部屋からバタバタと急いで部屋を出るような音も聞こえて来て。


「何かあったんだろうか?」


 その慌てた感じから、よほどのことが起こったんだろうと想像する。

 大学から呼び出しでもあったのか、それとも急なバイトでも入ったのか。分からないけれど、まあきっと仕方のないことなんだろう。

 

「……んー」


 大変なことじゃないといいけど、と思いつつスマホを机に置く。

 少し心配で、でも僕に出来ることは現状何もない。


「……」


 なので、しばらくスマホを眺めた後、立ち上がってキッチンに戻る。

 そして自分の食事だけでも作ろうと考えて……。


「……パンでいいか」


 とりあえず、食パンを焼いて食べることにした。


 

 ◆



 それから。

 特に用もなかったのでのんびり家事をしながら時間をつぶした。


 掃除をして、洗濯をして、アイロンを掛けたりして。

 昼食も適当に済ませて、なんとなくスマホを見たりもして。

 

「――」


 家のことをしているうちに、時間は過ぎていく。

 別に家事が溜まっていた訳ではないけれど、でも他にすることもなかったし。


「……」

 

 そして、結果的に。

 夕方になるころには大掃除並みに部屋は綺麗になって、ついでにまだ早い気もするけれど春の服の準備も終わったりしていた。


「………………買い物、行こうかな」


 時計はもう五時を回った。

 スマホは何も変わらないままだ。真っ黒な画面が僕を見つめ返している。


 反射した画面に映る少女の顔は仏頂面だ。

 無駄に整った顔がこちらを真顔で見ている。


「……ふぅ」


 溜息をつきつつ、立ち上がった。

 いつまでもこうしているわけにはいかない。


 夕飯の準備のために部屋を出る。

 身だしなみを整え、手提げかばんを持ち、靴を履いて、そして扉を開けた。


「……あっ!」


 すると、視線の先。

 アパートの駐車場を、よく見知った人影が歩いている。


 彼だ。そう思った。

 だからすぐにでも声を掛けようとして――。


「――――ぇ」


 ――でも、彼に向かって手を上げたところで。

 彼が一人じゃないことに気付く。


『……次からはちゃんと連絡してくれ』

『いくら連絡しても、また今度って言うからでしょ? それに大学の見学をしたいって前から伝えてたし』


 そして、遠くから彼と親しげに話す声も聞こえてくる。

 ついでに気安い感じで肩を叩いていたりもして。


「――――――」


 ――彼の隣に、知らない女性がいた。

 

 


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― 新着の感想 ―
[良い点]  更新再開感謝です!  待ってましたー! [気になる点]  ハルさん男性時代から無自覚に生きづらかったのだろうか。  「此処」ではない何処かへと常に意識があったのだろうか。   ひょっとし…
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