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裏話 隣人の計画


 妹の電話から数日が過ぎて、いくつかの科目で単位の取得が確認できたころ。

 朝と晩、食事のたびに顔を合わせるあの人は、やっぱりどこか元気がなかった。


 普段はこれまでと同じように微笑んでいるけれど、しかし、ふとした時に悲しそうな顔をする。こちらをじっと見つめ、軽く唇を噛んで何かに耐えているような。そんな表情を浮かべている。


 話しかけると嬉しそうに笑う。一緒にゲームを楽しんだりもする。

 それなのに、気が付くと俺の顔を遠い目で見つめている。


 ……それが何故か分からなくて、困っていた。

 

 なにせ、心当たりは何もない。

 最初に様子がおかしくなったのは、俺の進級が決まったときだ。そのお祝いの席。


 まさか、それが原因だとも思えない。

 あの人は俺の成功を疎むような人じゃない。それくらいのことは、これまでの日々で分かっている。


 ……だから、分からなくて。

 

「もう少し頼ってくれたらな」


 そう思う。

 言ってくれれば、俺に出来ることなら何でもするのに、と。

 

 しかし、ハルさんは悲しそうな顔をするだけだ。かと言って無理に聞き出すことも出来ない。

 その結果として、何もできないままに時間は過ぎていった。



 ◆

 


 ――そんな日が続いたある日。

 一カ月に一度、ハルさんが病院へ向かう日がやって来た。


 検査のため、お湯だけを口にして出かけて行ったあの人は、これまでと同じように日が沈むころに帰ってきた。そして真っ先に検査値に問題なかったよ、と報告してくれる。


「もう健康な人と変わらないんだって」


 よかったと。安定しているって先生から告げられたと。

 次は半年後でいいんだと。もう朝早くからお腹を空かせなくていいんだと。


 そう、ハルさんは嬉しそうに言う。

 明るい声で、とても良いことがあったんだと。


「……」

 

 ……でも。

 結果が良かったのは、確かに喜ばしいんだけど。


「……良かったじゃないですか」

「うん」


 それなら、なんで。

 どうして、あなたはそんなに悲しそうな顔をしているんだろうか。

 

 笑っている。でも悲しそうに眉は下がっている。

 口調も無理をしているのが分かって、何かを隠しているような、そんな風に見える。


 ……きっと、何か辛いことがあって。

 でもそれを押し隠しているんだと。そう思った。

 

 それは最近の悲しそうな顔と関係があるんだろうか。

 でもやっぱりそれが俺にはわからなくて、それがどうしようもないくらい悲しい。……好きな人が悩んでいるときに、何もすることができない無力感があった。


 だから、そんなハルさんを見ていられなくて、何かを探した。

 なんでもいいから、ハルさんの気を紛らわすことが出来るようなものはないか、と。


「……あ」


 そして、それを見つけた。

 部屋の隅に置かれた、偶々目についた雑誌――表紙に大きく旅行と書かれたそれを机の上に引き上げて、適当にページを広げる。

 

「それなら……ハルさん、お祝いをしなくちゃいけませんね」

「……?」

「これとかどうですか?」


 雑に開いたページは、右端に折り目が付いていた。

 大きな文字で温泉宿、個室風呂付きなんて見出しが書かれている。


 ハルさんに見せながらざっと流し読みすると、近場の温泉宿の紹介のようだった。

 隣の県にある大きな温泉街で、誰でも一度は耳にしたことがあるような観光地だ。


 ……そういえば。

 ハルさん、温泉が好きなんだよなと、思考が遅れて追いついた。


「息抜きに、行ってみませんか?」

「……え? 旅行に行くのかい?」


 ハルさんが目を丸くしている。

 まあ、突然だし驚くのも当然だろう。俺自身、そうやって誘いながら少し動揺していた。


 ……でも、とっさだったけれど。

 冷静に考えてみると悪くない案かもしれない。


 だってこの人、かなりの温泉好きだ。

 ついでに旅行好きで、史跡巡りも好きだったりする。


「い、いきなりだね」

「……確かにそうかもしれません。でも、この春休みは大学最後の春休みですから。旅行の一つでもしようかな、と前から思っていたんです」

「……なるほど?」


 適当に言い訳しながら思い出す。

 いつだったか、ハルさんと旅行について話したことがあった。


 これまでにどんな場所に行ったとか、そこでどんなことをしたかを話して――。


『――僕はね、温泉が好きなんだ』


 そんな言葉から始まった、熱が入った旅行話はよく覚えている。

 温泉の気持ちよさとか、足湯が好きだとか、そんな普通の話から始まって、温泉街の雰囲気――周囲の観光客の格好だとか、呼び込みの声だとか、古い町ならではの足元の悪さだとか、そこら中にある史跡だとか……まあそんな普通はあまり気にしないようなマニアックな話も結構飛び出していた。


 小さい店にある、変わったものが好きなんだと。

 楽しそうな顔であの人は語っていて、こちらとしても理解できる話と理解できない話が入り混じっていて、少し反応に困ったりもして。


『……でね、変わった食べ物を買って――それが美味しくないのも楽しいよね?』

『ええ、そうかもしれませんね』


 ……でも、それよりも。あの人が本当に楽しそうにしていて、俺はそれが好きだった。

 普段は落ち着いた雰囲気なのに、旅行の話をするときだけ表情をコロコロ変えるのは少し反則だと思う。


 ……本当に可愛い人だな、と。

 ついそう思ってしまうくらいにはあの人が輝いて見えた。


「――うん、ここに行きましょう、ハルさん」


 ――だから。

 

 ハルさんの気分転換のためにも、是非連れていきたい。そう思った。

 そうしたら、ハルさんがかつてのように笑ってくれるんじゃないかと期待した。


「どうです?」

「……………………うん」


 そして、結果として。

 ハルさんは頷いてくれた。



 ◆



 それから、出発までの間、春休みの余った時間を最大限に利用してあの人を楽しませるために色々と案を練った。

 

 現地の様子や貸し出し用の浴衣屋の場所を調べたり、評判のカフェの場所なんかも見つけておいたり。ハルさんの外見上、見咎められた時のことを覚悟したり、少しでもその可能性を減らすべくサングラスなんかの小道具も準備したりもした。


 宿はちゃんとハルさんも温泉を楽しめるように個室に露天風呂がついているものを選んで、ついでに食事も個室で出来るものにしておいた。人目は出来る限り少ないほうが良いかと思ったから。


 そして――。


「――」

 

 ――最後に。

 なによりも大切な事として。


「部屋は、分けないとな」


 二間はある部屋を探しておく。

 これはあの人の為だけじゃなくて、俺も含めた二人のために。


「……あの人、無防備すぎるから」

 

 その辺り適当にしていると、あられもない姿を見ることになりそうだし。

 俺の理性のためにも、それは回避したいところだ。


 この前の深夜の訪問もそうだったけど。

 たまにあの人、目を見開くような防御力が低い服を着てたりするんだよなぁ……。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 故意な無防備じゃなくてガチ無防備を提供してくれるTSっ娘に感謝
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