裏話 隣人の自覚
隣人視点が書けたので今日から更新再開です。
全四話です。
それは学年末の試験が終わった夜。天井を見ながらなんとなく考えた。
自分自身と、ハルさんのこと。そしてこれまでと、これから先のことを。
「……」
ふと横を見れば机の上にはテストの問題用紙と教科書が転がっていて、内容が丸やバツで評価されている。
その結果を表す数字はそれなりに大きくて、単位取得に必要な点数より一回りは上のものばかりだ。
出席日数には問題ないし、レポートの類も正しく提出している。
同じ授業を受けている数少ない真面目な友人にも何度か確認させてもらったりもした。
試験にイレギュラーはほとんどなく、あったとしても十分に対応できる範囲だった。書き損じや名前の記入ミスも何度も確認した。
「……だから、まあ」
進級はまず大丈夫だろう。
そう言えるだけの自信はあった。
例の死にかけ事件から始まった一連の問題はなんとか終わりが見えて、進級という形で決着がつきそうだ。
これで無事、家族に迷惑を掛けずに卒業できる。それが嬉しくて、大きく息を吐きたくなるような安心感があった。
「……」
……でも、しかし。
そんな安心感があっても、今頭の中を埋め尽くしているのは別のことだ。
隣の住んでいるあの人。恩人で、今は少女の姿になった人。
ついさっき結果を聞いて、おめでとうと笑ってくれた人。
「……」
少し、思い出す。
この一年と少し、ハルさんに救われてからの日々を。
――あの日のこと。
死にかけていた俺に気付いてくれた。
声をかけ続け、手を握ってくれた。
感覚の薄れた手でも確かに分かる温もりがあって、それが俺を引き戻してくれた。
――変わった後のこと。
足のケガをしたハルさんを背負って歩いた。
かつての恩を返すために、出来る限りのことをしようと思った。
拒否されて一度離れて、それでも傍にいたいと願った。
治ってからも付き合いは続いて、二人で色々な所へ行った。
お互いの家に訪問しあうようになって、共に時間を過ごすことが増えた。
初詣に行って、あの人の素顔を垣間見た。
……毎日、食卓を一緒に囲んだ。
特別ではないこと、なんてことのない雑談をした。
――そして、先日。
『これはね、僕の我がままだ』
深夜の訪問があった。
泣きそうな顔で無理をする俺を諭してくれた。
『……ダメ、かなぁ』
心配だと、声を震わせていた。
人に気を使ってばかりのあの人が言った我がままは、俺の為だった。
『……本当? なら良かった』
……頷くと、ほっとした顔で微笑んでくれた。頬は赤く染まり、下から覗き込む瞳は潤んでいた。
「……」
そんな日々があった。
目を瞑ると蘇ってくる記憶があって――。
「……あぁ」
――だからこそ。思う。
「……俺、ハルさんのこと好きだな」
それはもちろん、恋愛的な意味で。
俺は、友人としてではなく、一人の男としてハルさんのことが好きだ。
……それを今、ようやく自覚した。
試験が終わって、少し自分の心と向き合えた結果かもしれない。
◆
気付いてみると、それは驚くほどにあっさりと胸の中に納まった。
どうして今まで気づかなかったのか不思議に思うくらい大きくて、疑う余地がないくらい自然な感情だ。
なにせ俺がハルさんのことを好きになる理由なんていくらでもある。
恩もそうだし、毎日の料理や天使みたいな外見のこともそうだ。
ハルさんには多くの魅力があって、だから俺は当然のようにあの人のことが好きになった。
「……そうだよな」
元は男だったとか、かつての姿だとか。
そういう事とは関係なく、俺はあの人と共に生きていきたい。そう胸を張って言える。
「……」
……ただ。
この感情に一つ問題があるとすれば。
「……あの人には、言えないよな」
この感情を伝える訳にはいかないということだろう。
だって、それはそうだ。
「……俺が気にしなくても、あの人は気にするだろうし」
元は男だった。それならきっと、あの人の恋愛対象は男じゃない。
なのに俺に告白されたら困ってしまうだろう。
だって、俺から見たハルさんの外見は異性でも、ハルさんから見た俺は同性だ。そんな相手に恋愛感情を持てるかと言うと……。
「……無理だよな」
逆に考えてみれば当たり前だ。
俺がもし病気で女の姿になったとして、男に恋愛感情を持てるかと問われれば、答えは『NO』になる。
……それはきっとハルさんも一緒だ。
「……はぁ」
だから、諦める。
俺はハルさんに迷惑を掛けたいわけじゃない。
――恩のあるハルさんに、自分勝手な感情を押し付けることなど、あっていいはずがないのだから。
「……」
まあ、少しだけ悲しくはあるけれど。
これはきっと、仕方のないことだ。
「……はぁ……ん?」
そして何度目かの溜息をついた、そのとき。
机の上のスマホが震え出した。
「……あいつか」
なにかと思って見てみると、そこには妹の名前が表示されている。
誰かと話したい気分ではなかったので、どうするか一瞬悩んで……。
「……はい、もしもし」
『あ、兄さん?』
……まあ、気分転換にはなるかと出ることにした。
電話口からは懐かしい声が聞こえてきて、それに少しホッとする。
『聞いたよ。試験大丈夫だったんだって?』
「ああ、うん」
『良かったじゃない、おめでとう!』
先程試験結果を母に連絡したので、恐らくそこから聞いたんだろう。
……裏のない素直な祝福に頬が緩む。
妹の喜んでいる声が嬉しくて、少し照れくさかった。
「……ありがとう。迷惑をかけて、ごめん」
だからお礼と、そして謝罪をする。
この一年、実家の家族には多くの心配と迷惑をかけてしまった自覚があった。
『いいよー、上手くいったんだし』
「……ああ、ありがとう」
『うんうん。まあもう夜遅いから積もる話はまた今度ね。……あ、そうだ。いつ帰ってくるの?』
「……ん?」
『だから、実家にいつ帰省するの? この前考えとくって言ったでしょ?』
ああ、そういえば。
一月くらい前にそんなことを言ったような。試験勉強が忙しくて忘れていた。
……どうしようか。
今までの春休みなら、一、二週間くらいは帰っていたけれど……。
「……」
『兄さん?』
「……少し、待ってほしい」
『えー、また?』
電話からの不満そうな声には申し訳無く思う。
しかし今すぐ予定を決めるのは難しかった。
「……ちょっと気になることがあるんだ」
なにかというと、ハルさんのことで。
先程のお祝いの席で、なんだかハルさんの様子がおかしかった。
突然黙り込んで、目を揺らしていて……あれが何だったのか気になる。
「ごめん、また今度連絡するよ」
実家には申し訳ないけど、放っておく事は出来ない。
恋愛は諦めるしかなくても、ハルさんは恩人だ。力になりたいと思うし、落ち込んでいる姿を見るのは悲しい。
『……もう! そればっかり!』
「ごめん」
『いいよもう。そっちがその気なら、こっちにも考えがあるからね!』
「……あ」
そんな言葉と共に、通話が途切れる。
耳に当てたスマホからは通信が終わったことを示す音が聞こえていた。
「……考え? ……なんだ?」
スマホを机に置きつつ、首を傾げる。
「……………………まあ、いいか」
しかし、しばらく考えても分からない。
なのでとりあえず気にしないことにした。
そしてまた、仰向けになって……。
「……」
……目を閉じると、ハルさんの顔が浮かんできた。




