第36話 写真
しばし彼と時間を過ごした後、店を出る。
そして、すれ違う人を避けながらのんびりと進んでいった。
目的地もなければ、急ぐ理由もない。今回はそんな旅だ。
なので、彼となんてことのない会話をしつつ、行く先の店を物色したりしながら歩いていく。
昔ながらの温泉地だからだろうか、途中に観光地図にも載って無いような小さな史跡を見つけたりもして、それに風情を感じたりもする。道の角に小さな看板が一つだけ置かれているような、そんなところもいいな、なんて思って――。
「――あっ……と」
道行くさなか、下駄の爪先が道の小さな段差に引っかかった。
一瞬バランスを崩しそうになって、慌ててバランスを取る。
「この辺りは少し段差が多いですね」
「……だね、気をつけないと」
古くから栄えた土地だからこそ、道が良くない場所もある。段差や坂も多く、そんな場所を履きなれない下駄で歩くのは少し大変だった。
「……まあ」
とは言っても、大変だけど、嫌ではない。
その不便さも新鮮だなあ、なんて思ったりもするからだ。
日常なら不必要だと切り捨てられることも、旅先なら珍しい体験とすることも出来る。キャンプで火おこしを楽しむようなものだ。それらもまた、旅行の魅力なのだと思う。
ふと立ち寄った店にある奇抜すぎる味のお菓子とかだってそうだ。
普段ならこんなもの誰が買うんだと首を傾げたくなるけれど、旅行先なら話は別。ついつい冒険心が湧いてきて買ってしまうこともある。
……多くの場合、後で頭を抱えることになるのは横に置いておくとして。
「――あ、神社だ」
「本当ですね、寄っていきますか?」
ふと、細い道の先にある鳥居を見て足を止めた。
特に理由はない。予定していたわけでもない。
ただ、なんとなく気になったので石段の方へと向かう。
観光地の中にポツンと建っているその場所はそれほど広くない。しかし入り口横の大きな看板は大きく、遠目を引くようにできていた。
見ると、どうやらこの地方の戦国武将ゆかりの場所だと書かれている。
あまり聞いたことの名前だと思って、彼と二人うろ覚えの歴史を話しながら横を通り過ぎた。
足元に注意しながら、ときに彼に手を借りながら石段を上る。
境内にいるそれなりの数の観光客を見て、有名な場所なのかなと思いながら拝殿の前で手を合わせた。
お御籤なんかも引いたりして、結果に一喜一憂する彼を見て。
いつかの初詣のように、二人でお御籤を結わえた。
そして――。
「この神社、すごい数の絵馬が並んでますね」
「有名なのかな?」
神社の一角に絵馬が吊るされた場所があった。
そこには多くの人が思い思いに願い事を書いてある。
お金が欲しいとか、彼女が欲しいとか。どこどこに合格したいとか、就職したいとか。ああなったらいいな、こうなったらいいな、と。
夢だとか希望だとかを詰め込まれた絵馬が所狭しと並んでいる。
「俺たちも書きますか?」
「……」
彼の提案。そして、未来の事
それらについて、少し考えて。
「……いや、僕はいいかな」
なんとなく、断った。
◆
冬の短い日が傾いてきて、街が茜色に染まるころ。
温泉地を一通り歩き終えて、僕たちは休憩することにした。
僕たちの泊まる宿の近くに無料で足湯が解放されている場所があって、そこに彼と並んで腰を下ろす。
「……あたたかい」
「ですね」
下駄を脱ぎ、浴槽の中に足を入れると、疲れが解けていくような気がした。
普段の運動不足と慣れない下駄で疲れ切った足に、暖かいお湯は優しすぎる。思わず変な声が出そうになるくらいだ。
「……はふぅ」
足から伝わってくる感覚に身を任せる。
目を閉じて、小さく息を吐いた。
視界がふさがると遠くから人の声が聞こえてきて、それをぼんやりと聞いて――。
「――しかし、こんなにのんびりとした旅行は初めてかもしれません」
「……うん?」
目を開く。顔を上げて彼を見た。
隣にいる彼の足が動いて、水面に波紋が生まれる。それが僕の足を擽った。
「普段の旅行はもっと予定が詰まっていたと言いますか……出来るだけ多くの場所を回るために細かくスケジュールを立ててたんです」
「……あぁ」
そういう旅行もあるんだろうな、と思う。
言われて思い出したけれど、学校の修学旅行はそんな感じだった気もするし。
当時のことはあまりいい思い出ではない。
けれど、あれはあれで色々なものが見られて興味深かったような……。
「……」
……と、そこまで考えて。
一つ、思うことがあった。
「――その、じゃあ、今日は退屈じゃなかったかな?」
彼の普通がそれならば。
目的もなくうろついていた今日は、つまらなかったんじゃないか。そんな不安が浮かんでくる。彼は本当は退屈していたけれど、僕に気を使ってくれたんじゃないか、無理してくれていたんじゃないか、と。
……そう思うと、胸の辺りが苦しくなってきて。
「いいえ、楽しかったですよ」
しかし、彼はそう言った。
「普段は入らないような小さい店にも入ったりして、新鮮でした。予定通りに動いてると、評判の店にしか行かなくなりますし」
こういう旅行も良いものです。
彼は笑いながら手元の袋を揺らす。その中には、ここに来るまでの店で買った物が詰まっているはずだった。
二人で選んだお土産だ。
駅前の店にあるようなものではなく、少し変わったものも入っていた。
「それに、のんびり写真も取れました」
開いたスマホには、最初の貸し浴衣の店やカフェ、神社の写真なんかも表示されている。そういえば彼はことあるごとに写真を撮っていたな、なんて今更ながら思った。
「写真、好きなのかい?」
「いえ、好きというほどでは。普通です」
好きじゃなかったら数十枚も撮ったりしないと思うけど。
でも彼の中ではそれほどでもないんだろうか。
……少し、常識というか、価値観の違いを感じた。
それは当然のように写真を撮る、写真が生活の一部になっている人間の言葉だと思う。
「ハルさんは写真撮ってませんでしたね」
「……まあ、そうだね」
僕はと言うと、これまでの人生で写真を撮ったことはあまりない。
集合写真とかには一応映るけれど、それ以外には縁が無かった。それは、何故かというと――。
「……」
――写真を撮ると言うのは、後に残すことだと思う。
撮った瞬間のことを残しておきたくて、いつかの時に思い出したくて。
昔のことを忘れたくないからこそ、人は記録に残すのだと。
……だから、これまでの人生であまり思い出したいことのない僕には、写真を撮るという習慣自体がなかった。
いつか、未来のとある瞬間。
今この時を、良い思い出として振り返る自信が僕には無かったから。
「……未来、か」
「?」
小さくつぶやくと、彼が僕を覗き込む。
少し不思議そうな、でも穏やかな表情。
ああ、でも。
かつてはそうだったかもしれないけれど、今は違うのかもしれない。
彼との日々は楽しくて、温かくて。
今日も僕は自然と笑っていた。愛想笑いでもなく、心から楽しくて。
……だから、今日のことをいつか笑顔で思い出せるんじゃないかって、そう思って――。
「君、さ――」
――でも。ふと。
――あと、一年。
そう、思い出す。
「……」
……そうだ、今がどうあれ、その時が来たら、彼は。
それなのに、未来のことなんて。
「……」
「ハルさん?」
軽く、頭を振る。
そして、ふとした時に浮かんでくる嫌な考えを頭から追い出した。
今は旅行の途中で、それは考えるべきじゃない。
……だから、意識して笑顔を浮かべて彼を見る。
「……ううん、なんでもない」
「そうですか?」
……今は、楽しむべき時だ。そう思って。




