第35話 二人の旅行
ところで、旅行と言えば何をするべきなのだろうかと考える。
一人ではなく、二人の旅行ではどんな違いがあるのだろうと。
少し前。一人で温泉に来ていた頃。
僕は温泉に浸かってのんびりとしていた。それに飽きたら適当に散歩して、お土産屋を漁ったりして、ぼうっと過ごしていた。
目的はない。意味もきっとない。
やりたいときにやりたいことをする時間だった。
時間が余った暇人の気楽な一人旅だ。
そんな旅行が僕の普通で――。
――けれど、今は違う。
二人で歩いていて、彼と僕がいる。なのに、そんな自分勝手な事は出来るはずもない。
温泉という施設の都合上、僕と彼の行動が完全に別れてしまうことも問題だ。それではわざわざ二人で来た意味がないし、誘ってくれた彼にも申し訳ないような気がする。
これは初詣のような短時間の外出とは、きっと違う。
だから僕は、誰かと過ごす初めての旅行で、何をするべきなのかと考えて――。
◆
――道を歩きながら、なんとなく辺りを見る。
通りの両脇に所狭しと道が並び、周囲には店から漏れてきた軽快な音楽が流れていた。
美味しそうな食べ物の匂いと、それを楽しみながら会話をする人々の声。
甘い匂いの店の前には食べたいと縋りついて強請る子供と、仕方ないと苦笑しながら財布を出す母親の姿。
お土産屋の店先には街の雰囲気に合った衣装の人が立ち、道行く人に声をかけている。声を掛けられる側の観光客も浴衣を身に着けていて、それもまた、この場所の非日常を演出しているように見えた。
道行く先では鮮やかな浴衣で着飾った若い集団が楽し気に写真を撮っていて、近くのベンチには落ち着いた色の浴衣を着た老夫婦らしき年配の人達が座っている。そんな風景。
見渡す限り、どこもかしこも楽しげで、華やかで。
旅行という非日常を満喫するために整えられた雰囲気を感じて。
「……浴衣、俺たちも着ますか?」
彼の声。
横を見上げると、楽しそうに周囲を見ている。
「折角ですし。ほら、あそこでレンタルしてるみたいですよ」
指差した先には一つ店がある。
その看板には浴衣の文字と、着付けも手伝いますと書いてあった。
書かれている値段も程々な感じ。
決して安くはないけれど、しかし旅行中だと考えれば出せない金額じゃない。
……でも浴衣、か。
「……えっと」
「おや、ハルさんは乗り気じゃないですか?」
彼が首を傾げる。
その、乗り気じゃないというか……思えば、今まで浴衣を着たことはなかったなぁ、とそう思ったから。
いや、着たことが無いというのは違うか。
正確には、旅館の外で着たことはない、ということになる。温泉上がりに旅館の中で浴衣を着たことはある。でも、そのまま外出したことはなかった。
それは何故かというと――。
「その、少し恥ずかしくて」
「恥ずかしい?」
――昔から、あまりお祭りごとで積極的に行動することが無かったように思う。祭りに行っても、何か食べながらのんびりしている時間の方が長かった。
催し物に参加はしないし、参加しても隅の方にいた。目立たないように、変に見えないように。
……だって。
「はしゃぐのって恥ずかしくない?」
「……え?」
ふと、周りの目が気になることがある。
それは一人で焼肉屋に入るときかもしれないし、カラオケに入るときかもしれない。お洒落なカフェなんかも入り辛いなあと思うし、噂によると一人で遊園地に行くとそういう気分になったりするらしい。
ここは自分が来る場所じゃないという疎外感がある。
気にしすぎかもしれないし、他の人は何も思っていないかもしれないけれど、気後れして足が避けてしまう瞬間がある。
「今まで一人で旅行してたから……ああいうのは、僕がすることじゃない気がするというか」
「……ふむ」
だから、今回の浴衣もそうだ。
家族連れとかカップルだとか老夫婦だとか。そういう人がすることであって、僕みたいなお一人様がすることじゃなかったというか。
……一人、はしゃいでいる気がして恥ずかしかったというか。
「しかし、今は二人ですよ?」
「……ん、それは」
それは、そうだ。
今、僕の隣には彼がいる。以前の旅行とは違って一人じゃない。
それは間違いのないことで。
「……そうだね」
……思う。それなら。
一人じゃなくて、二人なら。
少し位、羽目を外してもいいんだろうか?
かつては見ているだけだったそこに、入って行ってもいいんだろうか?
疎外感はあったけれど、嫌いなわけじゃない。
楽しそうにしている人たちを見て羨んだこともあった。
「……その」
「はい」
だから、そう思ったから。
顔を上げて、彼の顔を見る。
……少し言葉に悩んで。
単純に、考えていた通りを言うことにした。
「ねえ、君……僕と一緒に、はしゃいでくれるかい?」
恥ずかしいし、抵抗もあるけれど。
でも、彼が一緒に居てくれるなら。
「――――はい」
すると、少し空白があって。
彼は、僕の目を見て頷いた。
◆
――三十分後。
僕と彼は道行く人と同じような浴衣姿に身を包んでいた。
僕は体に合わせた女性ものの浴衣を、彼は落ち着いた色の浴衣を身に着けている。
「似合ってますね。可愛いですよ」
「……あ、うん、ありがとう。君も似合ってるよ」
彼に褒められて、少し気恥ずかしく思いながら僕も褒め返す。
そんな僕たちを微笑ましそうな目で見る店員のおばさんから目を逸らして道に出た。
――薄暗い店内から出ると、外は明るくて。
一瞬、目が眩む。
しかし、すぐに落ち着いて、周囲を歩く人に紛れながら道を歩き出した。
「よし、じゃあ、浴衣も着たことですし、さっき言ってた入り辛そうなカフェにも入ってみましょうか」
「へ?」
「一緒に、はしゃぐんでしょう?」
彼が、道行く先のカフェを指差して言う。
看板にはくるくると丸まった文字で読めない店名が書かれていて、門構えからして男一人では入り辛そうな感じだった。少なくとも僕一人なら絶対に入らない感じ。
え、これに入るの?
僕には似合わないような……外見的に。だってほら、窓の向こうに若い女の子がいっぱい居て、大きなパフェの前でパシャパシャ写真を撮ってるけど?
あ、いや、今の外見は少女のものだから大丈夫なんだろうか?
……なんか初めてこの外見になって良かった気がしてきた。
「……えっと」
「ほら、折角ですし」
彼に促されるままに足を進める。
そして中に入って、席について――。
「はい、写真撮りますね。笑ってください」
「え、こ、こう? ぴーす?」
普段は絶対食べないような外見重視のパフェが目の前にやってくる。明らかに食べ難い形で地域の名産品が積み上げられたやつだ。
それと一緒に写真を撮って、二人で食べて。
……でも、そんなことをしているうちに。
少し居心地が悪い気はしたけれど、段々慣れてきて。周囲じゃなくて、目の前の人のことを見るようになる。
「……」
一人なら周りを見てしまうけれど、二人ならお互いのことだけを見ていられるのかもしれない。
……そんな恥ずかしいことを、少し考えた。




