第34話 サングラス
そして二日が過ぎる。
旅行当日、朝。
アパートから出て、ふと見上げた空は快晴だった。
「いい天気だね」
なんとなく、背伸びをする。
二月にしては暖かく過ごしやすい今日は旅行日和と言えるかもしれない。
「ハルさん、準備できました」
「うん、僕も大丈夫だよ」
出発前の戸締り確認も問題は無し。
荷物はもうレンタカーに積まれていて、後は僕と彼が乗り込んで出発するだけの状態だ。
これから僕たちは目の前の車で目的地に向かう。
行き先の温泉地は二つ隣の県。
距離的には高速道路を使って移動すれば三時間くらいの所にあって、少し遠いけれど十分車で向かうことが出来る場所だった。
最初はバスと電車にするかと悩んだけれど、結論としてはやっぱり車の方が便利だということになった。理由としては時間が短縮できることと、交通機関と値段が同じくらいなこと、あとは僕たち二人とも免許を持っていて運転出来たことが挙げられる。
「じゃあ、途中までは僕が運転するから、その後はお願いね」
「はい、任せてください」
なので、今回は彼と交代で目的地まで運転することになっていた。
一人でも無理ではないけれど、やっぱり長距離の運転は疲れる。安全のためにそうしたほうが良いと思った。疲れ切った状態じゃ楽しむものも楽しめないし。
「……でも、運転するの久しぶりかも」
ふと、運転席に乗り込みながらつぶやく。
最後に乗ったのはこの体になったばかりの頃か。当時、あの病気の患者は免許の更新に講習が必要だと言われて乗ったきりになる。随分と久しぶりだ。
……まあ、とは言っても技術的には大丈夫だと思うけど。この体になってからはあまり遠出してないけれど、でも以前はよく車に乗っていた。それに講習でも最初ちょっと混乱した後は問題なく運転出来たし。
「……」
……ただ、今、少し不安に思うのは。
……やっぱり、変化したこの外見のことだろうか。
この少女の姿で車に乗って、おかしなことにならないか、と。そう思う。
法律的には問題ない。僕は教習所に通い、試験を受けて正しく免許を取った。免許証の写真を変え、追加の講習まで受けて免許の更新をした。
身長も百四十はあるし、運転に支障はない。本来僕が公道を運転していても文句をつけられる謂れはない。
……でも、しかし。
現実とて、僕の外見は少女のものだ。そんなのが車を運転していたらきっと目立つことになる。最悪、警察に止められてしまうかもしれない。
まあ、もしそうなっても、免許証を見せればそれで解放されるだろうし、そこまで心配しなくてもいいんだろうけれど。
……なんだか少し不安になってきた。最近、体の変化を改めて実感しているからだろうか。
「どうかしましたか?」
「……ん」
彼の声。
隣でシートベルトを締めている。
「……ちょっと、ね」
「そうですか……あ、そういえば」
と、彼が思い出したようにつぶやく。
そして手元の鞄から何かを取り出した。
「こんな物があるんですが」
「……なにこれ」
差し出されたものを受け取る。
そして手にとって見ると――メガネケースだ。
「これ……サングラス?」
「ええ」
開けて中を見て見ると、中にはサングラスが一つ入っていた。
それも普通のじゃなくて……。
……なんか、レンズが大きくない?
「どうしたの、これ」
昔の洋画に出てきそうな感じの大きなサングラスだ。
僕がかけたら顔が半分近く隠れるんじゃないかと思うくらいの大きさ。
「掛けてみてください」
「……まあ、いいけど」
今の僕には合わない気もするけれど、まあ彼が言うことだし。
言われるがままに掛けて、こちらに向けたバックミラーを覗き込んでみる。
……うーん、やっぱり似合わないような。
「……どう?」
「微妙ですね」
彼もそう思うのか。
だったらなんで、こんな物を?
「でも、子供には見えなくなった気がします」
「え?」
それは……。
言われて鏡を覗き込む。
そこには、似合わないサングラスを掛けた金髪の女がいた。
よく見ると幼いように見えるものの、しかし一目見ただけではそう感じにくくなっているような。
「……」
……そうか。彼はそのために。
「……ありがとう」
「いいえ」
サングラスを掛けなおし、座席の位置を体に合わせて調節する。
座席は一番前で止まって、それに合わせてバックミラーとサイドミラーを調節した。
「出発しようか」
「はい」
彼にそう声を掛けて。
僕は、さっきより気楽な気持ちでアクセルを踏み込んだ。
◆
そして。昼になった頃。
出発前の不安とは裏腹に、あっさりと、特に問題なく僕たちは温泉宿に到着した。
途中のサービスエリアまで僕が運転して、その後は彼が。
備え付けのカーナビは優秀で、道に迷うこともない。実に順調な旅路だったと言えるだろう。
そしてそのまま、荷物を置くために予約していた宿に向かって――。
「――ようこそおいでくださいました」
「よろしくお願いします」
女将さんに歓迎されて、中に入る。
宿帳に記帳して、念のために一応女将さんに免許証を見せて子供じゃないことを説明した後、チェックインにはまだ早いので、荷物だけ預けて外へ出る。
「さて、どこかに行こうか」
「はい、行きましょう」
荷物を手放して外に出ると、なんだか開放感があった。
外へ出て大きく息を吸うと、硫黄が特徴的な温泉地の匂いがする。
隣を見ると彼がバックパックを背負って歩いていて。
行く道の先を見ると、沢山の土産物屋や観光地の案内表示。
浴衣姿の人を含む多くの人が歩いていて、道行く先ではお客を呼び込む声が響いている。
多くの人が楽しそうに笑っていて、賑やかで。
これからそこに入っていくと思っただけで、少しワクワクしてくるような。
……久しぶりの旅行は、そんな感じで始まった。




