第33話 自覚と目
旅行に行こうという計画が立ち上がって、具体的な日程までが決まるまで時間はほとんど掛からなかった。
というか、旅行に最も適しているのが数日後の週末だったので、悩む時間もないと言った方が正しい。
理由としては、今週末、僕の職場がちょうど忙しくなかったから。
『休みをもらっていいですか?』
『いいよ。暇だし』
休みを申請するとそんな感じだった。
旅行に行くと言えば、羨ましがられながら行ってらっしゃいとの言葉も。
突然の休暇申請でも快く頷いてくれる雰囲気のいい職場だ。
上司や同僚には感謝しつつ、これは旅行から帰ってきたらお土産でも持って行かないとな、なんて思って――。
「――というわけで、出発は明後日でいいかな」
「そうですね。宿も今の時期は閑散期で安いみたいですし、運がいいです」
仕事が終わったある日の夜。
早速、僕は宿の予約をするべく彼と二人パソコンの画面を見ていた。
行き先は隣の県にある温泉地。
有名な温泉地で、全国から旅行客が集まる温泉街だ。僕も一度訪れたことがあるけれど、温泉も見どころも多い場所だったのを覚えている。
「……」
……温泉、か。
なんとなく、少し前を思い出す。
温泉には、以前からよく行っていた。
車で手軽に行けて、暇をつぶすのにはちょうど良かったからだ。
日帰りで行けて、のんびり温泉に浸かって、帰る。それだけで何かをした気になれた。
――休日の朝、することが何も無くて。
でも何かがしたかった。何もしていないと、よく分からない焦燥感に駆られた。それが嫌だった。
……何もせず、ただぼうっとしているには人生は長すぎる。
だから、温泉は気持ちがいいし、疲れも抜けるし丁度良かったんだと思う。
「――それで、ハルさん。部屋のことなんですけど」
「……ん、なに?」
彼の声に意識を戻す。
そして彼が指さしているところを見た。
「……二間続きの部屋?」
「はい、俺たちの場合はこれが一番いいかと」
目をつけていた旅館のページの一角に、その部屋が紹介されていた。
普通の部屋――大部屋が一つあるものとは間取りが違って、部屋が二つ続いている構造だ。記事には大人数向けだとか、グループ向けと書かれていた。
「……わざわざ、これに?」
普通の部屋でいいのでは?
二人で使うには広すぎるような気がする。
ついでに値段も高めになっていて、ちょっともったいないような。まあ倍も高くなっているわけじゃないけど。
「なんでそん――」
「……」
なんでそんなことを、と言いかけて。
ふと、彼の視線が一瞬動いたのを感じて、口を閉じた。
「……」
「その、ですね……ええと」
彼の声は、とても歯切れの悪かった。
彼の目は宙を彷徨っていて、困っているのが見てとれる。
……まあ、うん。
なんとなく理由は分かった。
その、今胸と腰のあたりに視線が行っていたような。
「……」
まあ、彼も男だしね?
ついでにこの体は曲りなりにも女のものだ。女というには少し幼い気もするけれど。
僕も少し前までは男だったし、彼の気持ちは理解できる。……少し恥ずかしいけれど。
「……その」
「えっと」
部屋をいつもとは違う雰囲気が包んでいる。
少し気まずいような、居たたまれないような――そわそわするような、落ち着かないようなそんな空気。
「……えっと、じゃあ……この部屋にしようか?」
「は、はい」
「……ん、よし。じゃあ次は……」
雰囲気を変えるために話を打ち切って無理に話題を変える。
……同じ部屋は、流石に良くないか。
「交通機関はどうする?」
「……ええと、電車がいいかと。レンタカーを借りてもいいですが」
「そうだね……それがいいかも」
――口を動かしながら、内心で一つ反省も。
……自覚が足りなかったかな、なんて。
少し前にも考えたようなことを、もう一度考えた。
◆
「……そういえば」
そして数時間が過ぎたころ。
予定が大体決まって、解散しようというときに、ふと思い出したことがあった。
それはついさっき、自覚が足りないかな……なんて思ったからこそ浮かんできたことだった。
「なんですか、ハルさん」
「……君、いいのかい?」
「なにがです?」
脳裏をよぎるのは少し前の正月のこと。彼はあのとき、気にしていたことがあった。
「僕と一緒に旅行って……君、変な目で見られない?」
「……」
神社の屋台で、僕に奢られると周囲の目が……なんて言っていた。
自覚してみれば、確かに僕は金髪の少女で、彼は大の男だ。
……今更だけど。
僕たち二人で温泉旅行って、客観的にはちょっと犯罪的だなと思った。もちろん僕は成人しているし、むしろ僕の方が年上なので法的には全く問題は無いけれど。
「……いいのかい?」
「………………まあ、いいかなと」
いいんだ。
「いや、だって……それを気にしてたら何もできないじゃないですか。旅行は当然ですけど、近所のスーパーで買い物するときだって見ている人はいますよ」
「……それはね」
見られるのは僕の外見が幼いからで、僕の外見は変えることなんてできない。
唯一の特効薬が利かなくて、病院でさえ安定だと言われた以上、僕はもう元に戻ることはない。幼い外見になったこの体はきっと成長しないし、少なくとも半年間身長は伸びていない。流石に老化はするだろうけど、新しい病気だから今後の経過を予想することも出来ない。
……それが、今の僕だ。
たまに不安になるくらいには、先の分からないところに立っている。
「それで、人目を気にして何もできないのは嫌だから堂々とすることにしたんです」
「……それは」
そう言ってくれるのは嬉しいけど。
でも、彼の負担にならないだろうか。
白い目で見られるって、結構辛いものだ。
僕も昔、母に放置されて小汚い恰好をしていた頃はそんな目で見られてたからわかる。
「本当にいいの?」
「いいんです。いいことにします……だって、ハルさんは悪いことなんて何もしてないじゃないですか」
……うん?
まあ、悪いことはしてないけど。
「悪くないのに、普通出来ることが出来ないなんて、悲しいでしょう?」
「……」
「だから、いいんです」
――それは。
彼の言葉は、僕の質問の意図から少し外れている気がした。
その言葉は僕だけに向けられた言葉だ。
僕は彼の心配をしているのに、彼の言葉には彼のことが含まれていないような、そんな風に感じて。
……彼を、見る。
真剣な面持ちで僕を見ていた
「……」
「……」
静かな時間。
彼と僕の目が合って、でも僕は何も言えない。何を言っていいか分からない。
だから、そのまま僕と彼はしばし見つめ合って――。
「――ただ、その」
その沈黙を破ったのは彼の方だった。
――ただ?
「身分証明書だけは、すぐに出せるようにしていただけると……」
「……」
「……流石に捕まるのは嫌なので」
……うん、まあ、それはそうだね。




