表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/89

第4話 過去と今


 ――子供の時の夢を見る。

 学校から家に帰ると、いつだって空っぽだったときの記憶。


 親は忙しいといつも言っていた。

 家に帰るのはいつも深夜で、夜遅くに目を覚ますと、不機嫌そうな顔で酒を飲んでいた。


 話しかけたかった。今日あったことを聞いて欲しかった。

 でも話しかけると怒るので、布団に潜って寝たふりをしていた。

 

 いつだって一人。いつだってスーパーのお弁当。

 家が大嫌いだった。早く出ていきたい僕は、すぐにでも大人になりたいと願っていた。


 

 ◆



「……」


 懐かしい夢を見た。僕が子供だったときのことを。

 幼く、弱々しかったときの僕。親から相手にしてもらえなかったあの頃。


「……今は違う」


 ため息をつき、憂鬱な感情を吐き出す。

 そうだ。もう僕はあんなのじゃない。ちゃんと成長したし、自分一人で生きていける立派な大人だ。


「……ふぅ」


 布団から起き上がり、カーテンを開ける。

 今日の空はどんよりと曇っていた。



 ◆



 少女の体になって、しばらくの時間が過ぎた。

 最初は混乱したこの体にもかなり慣れてきたようにも思う。この体に合う服もちゃんと用意した。もちろんスカートじゃなくズボンで。


 キッチンにも足場を用意したし、職場の同僚も慣れてきた。今となっては普通に対応してくれている。元々在宅での仕事だったし、会議の時以外顔を合わせることもなかったのも良かったんだろう。


 当初はどうなるのかと途方に暮れたものの、結局こんなものだ。

 どれほど困難なことでも、一歩一歩確実に歩いていけば必ず達成できる。これまでもずっとそうだった。


 ……トイレや風呂は今でも少し戸惑うけど。

 基本的な知識は病院で学んだし、僕と同じような境遇の人もいない訳ではないようで、その辺りの教育はしっかりと受けられた。


 でも、風呂場でふと鏡を見て、幼い体つきの少女の姿を見ると……えも言われぬ罪悪感に襲われるというか。混乱するというか……。


 ……いや、まあそれはいいか。それ以外は特に問題はないし。


『ハルさん、何か困ってることありませんか?』


 隣に住む彼は、偶にそうやって気を使ってくれる。でも何も問題ない。僕はずっと一人でやって来た。子供の時も大人になってからも。僕は一人で大丈夫だ。


 誰かに頼るつもりなんてない。僕は一人でもちゃんと生きていける。正しい大人なんだから当然だ。


 ……まあ、彼の気遣いが嬉しくない訳じゃないんだけど。


 ――そんなある日のことだ。

 職場でちょっとしたトラブルがあった。

 

 営業が余裕なんてないのに新しい仕事を取って来たみたいで、無理やりにでも予定を詰める必要が出た。


 営業と現場の伝達不足というか、認識の違いというか。

 まあ、僕の業界ではありがちなことだ。これまでもあったし、そういう時は皆で営業の愚痴を呟きながら残業して仕事をこなす。


 腹は立つが、もう契約した以上は仕方のないことだ。

 精々、やらかした営業のボーナスが減ることを願いながら仕事をして――。



 ◆



 ――朝起きると、体の調子がおかしいことに気付いた。

 ようやくデスマーチが終わり、一息ついていた時のことだ。


「……風邪ひいたかな」


 布団から出ると、少しめまいがした。

 ちょっと無理をし過ぎたのかもしれない。ここ二週間くらい、睡眠時間も削って仕事してたから。


「ついてないなぁ……美味しい物でも食べに行こうかと思ってたのに」


 溜息をつきつつ、今日は寝ておこうと決意する。

 体調管理の徹底は重要だ。少しでも悪化しないよう、初期対応に気を使う必要がある。


 だって僕には頼れる人なんかいない。

 動けないときに食事を作ってくれる人も、病院まで連れてってくれる人もいないんだから――。


『――何かあったら、言ってくださいね』


「……」


 ……どこかからそんな声が聞こえた気がしたけど、頭を振って放り投げる。

 あんなもの、関係ない。僕は人に頼らなくても生きていける。


 だから、棚からいざという時の救急箱を出してきて、その中の風邪薬を口に放り投げる。そしてそのまま布団に移動しようとして。


「……あ、今日ゴミの日か」


 思い出す。

 これは今すぐにでもやらないと。


 昨日のうちに玄関脇にまとめておいたゴミ袋を持ち上げ、部屋から出る。

 ちなみに僕の部屋は二階の奥で、例の彼はその隣だ。僕が彼をあの日見つけられたのも、通り道に倒れてたからだったりする。


「……よいしょっと」

 

 体が変わって以来、やたらと重く感じるようになったゴミ袋を両手に抱え、階段を下りる。ゴミ袋が邪魔で、少し見えづらい足元に注意しながら一歩一歩足を前に出し――


「――え?」


 ずるり。

 突然、そんな音が聞こえた気がした。


 足が空を蹴って、体が前へ傾いて行く。


 ――あ、これまずい。


 そう思ったときにはもう手遅れだ、体がどんどん地面に水平になっていく。

 世界がゆっくりになったかのような、そんな感覚があって――


「――あうっ!」


 衝撃が全身に走り……。

 ……ん?


「……あれ?」


 しかし、思ったよりは痛くなくて、恐る恐る目を開ける。

 すると――。


「……あ……ゴミがクッションになって」


 幸運なことに、体と階段の間にゴミ袋が入り込んでいた。

 そのおかげで無事だったのだと遅れて理解する。


「……ふぅ」


 危ないところだった。あと一歩で大怪我だ。

 冷や汗をかきながら、奇跡のような幸運に感謝する。


 よかったよかったと、胸をなでおろしながら立ち上がろうとして……。


「……いたっ」


 立ち上がれずに蹲る。

 踵の辺りから痛みが走った。


「……」


 ……足を捻っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ