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裏話 隣人の後悔


 色々と考えた結果、睡眠時間を削ることにした。 

 とりあえず二時間ほど減らして、空いた時間を試験対策に使っていく。


「キツいけど、やるべきだよな」


 その結果として、勉強のスケジュールに余裕が出来る。

 以前の復習をしつつ、直近の授業の内容も十全に確認できた。


 ……まあ、そうやって確認する教科書の内容はもうすでに大体理解しているんだけれど。

 これまでの努力の成果だ。しかし、それでもまだまだ十分でない気がして、手を抜いてはいけない気がした。


「……出来ることをやらないと」

 

 そして、そんな生活をしているから。

 無茶の結果として、色々と体にガタが出てきて――。


「……コーヒーでも飲むか」


 ――仕方ないので、別のもので穴を埋めることにする。

 例えばコーヒーとか、栄養ドリンクとか。ふらつく頭を苦味で気付けして、重くなる瞼を炭酸でこじ開けた。

 

 体には良くない。それは事実だろう。

 しかし残念なことに今の俺に手段を選んでいる余裕はない。

 

 まあ、どうせあと少しだ。

 体を誤魔化せば、誤魔化している間は健康体と変わりないと思う。


『――君、大丈夫かい?』


 ……ハルさんは、そんな俺を見て心配そうな顔をするけれど。


 大丈夫かと言われたら、きっと大丈夫ではないんだろう。

 でも、元々こうなったのは俺の過ちが原因だ。


「……俺が、馬鹿だったから」

 

 ――ずっと、後悔している。


 二年前、間違ってしまったことを。

 俺が酒に溺れたりしなければこんなことにはならなかった。


 今のようにギリギリの状態で試験に追われることもなかった。折角の大学生活をもっと有意義に使えたはずだった。


 本当は、もっとやるべきことがあったんだ。

 友人たちが酒に溺れていったとき、俺は彼らについて行ってしまった。間違っていると思っていたのに、止めるのではなく俺も一緒に酒を飲んでしまった。


 ダメだと言うべきだった。

 過度な飲酒は止めようと彼らを説得するべきだった。


 空気なんて読むべきじゃなかった。

 友人でも、いや、友人だからこそ諫めるべきだった。


 ……気のいい奴らだった。

 結果的にダメになってしまったけれど、それでも彼らと過ごした日々は、間違いなく楽しかった。

 

 でも今、当時の友人たちが今どうなっているのかを俺は知らない。少なくとも事件以降、学校では一度も顔を合わせていない。風邪の噂では、あの後も彼らの生活態度は改まらず、何人か退学したのだと聞く。ギリギリのところで引き返せたのは俺だけだ。


「……」


 ……だから、悔やんでいる。


 正しい行動はいつだってわかっていた。

 間違っていることから目を背けていた。

 

 俺がもっとちゃんとしていたら。

 そうだったら、今も皆学校に通っていたかもしれないし、あの日死にかけることもなかった。母や妹を泣かせることだって――。


『――君、どうしたんだい?』


 ……まあ、あれがきっかけで、ハルさんと仲良くなれたことだけは、本当に良かったと思えるけれど。

 

「……」


 俺は、今努力しなければならない。そう思う。

 努力して、もう一度やり直さなければならない。


 ……少し自罰的な考えだけど。

 今苦しむことで過去の過ちの禊が出来る気さえしたんだ。



 ◆



 そして、そんな生活がしばらく続いたある日。

 学校からの帰り道で、偶然ハルさんを見かけた。


 日はもう沈んで、街灯だけが道を照らしているころ。

 灯りの少ない住宅街の中では人の姿は見え辛い。……でも、ふと道の向かいを歩く金色に気付いた。

 

「ハルさん、奇遇ですね、買い物ですか?」

「……君か、珍しい場所で会うね」


 近寄ろうとすると、その前にハルさんが駆け寄ってくる。

 走る前に右左を何度か確認してから道を渡って……なんというか、それがハルさんらしいなと思った。


 ……真面目で、いい人だから。


「君は帰り道かな? 遅くまで勉強お疲れさま」


 そんなことを考えている間にハルさんが目の前に辿り着く。

 暗がりに隠れていたハルさんの顔が街灯に照らされて――。


「――?」


 ――驚く。


 思わず、目を奪われた。

 ハルさんの笑顔がいつもと違って見えて……どこか、華やいでいるようにも見えたから。


「ん? どうしたんだい?」

「あ、いや、すみません。……少し驚いてしまって」


 その笑顔に、なぜか酷く動揺している自分がいた。

 何を言っているのかもよく分からないままに、ハルさんの言葉に返事をする。


 ……なんだこれ。

 

「その、ちょっとね。良いことは、確かにあったかな」

「……なる、ほど。だから笑ってたんですね」

「え、もしかして僕ニヤニヤしてたかな」


 ハルさんが頬に手を当てたり、困った顔をしたりとコロコロと表情を変える。……やっぱり最近のハルさん、表情が豊かになったな、なんて、少し上の空で思った。

 

「いえ、ニヤニヤというか……笑顔がいつもより笑顔だったというか」

「……な、なにそれ?」


 そうだ。前とは違った。

 今のように恥ずかしそうに頬を真っ赤に染めて、目を揺らしてはいなかった。

 

 少し前のハルさんは、もっと控えめに微笑んでいて――。


「そ、そうなんだ」

「はい」

「へ、へえ…………あ、その、えっと……。

 ……き、君はどうなの?」

「俺ですか?」


 ――と、ハルさんが少し強引に話題を切り替える。

 金色の頭を軽く振って、こちらを見据えた。


「そう、疲れた顔をしてるから」

「……ああ」


 話が間近に迫った試験のことになって、現実に引き戻される。

 ハルさんの顔が照れた顔から打って変わって心配そうな表情になった。


「……君、ちょっと顔色が悪いよ。少し休んだ方がいいんじゃない?」

「それは、そうかもしれませんけど」


 気遣ってくれているけれど、でも今は努力しなければならない時だ。

 合理的ではないかもしれないけれど、そうしないと前に進めない気さえする。


 ……だから、ハルさんから目を逸らす。

 心配そうにこちらを覗き込む顔を見ていられなくて。


「そうだ、なにか気分転換でもしたらどう?

 ……何かしたいことはない?」


 ハルさんが矢継ぎ早に提案してくる。

 俺を心配してくれている。少しでも休ませようと思ってくれているのかもしれない。


 心配してくれるのが、申し訳なくて……。


「……」

 

 ……不謹慎だけど、少しだけ、嬉しい。


 ハルさんはいい人だ。

 それをよく知っているからこそ、俺はこの人の力になりたいと思った。


「……そうですね、これから買い物ですか?」

「え、うん」


 そんなハルさんに困った顔をさせたくなくて。


「……じゃあ、気分転換のために一緒に行ってもいいですか?」


 少しだけハルさんの好意に甘えることにした。



 ◆



 ――時間が過ぎて、夜。

 夕飯を食べ終わり、一人机に向かう。


「……」


 ノートをめくり、問題を解きつつ頭の片隅で考える。

 今日の買い物について。久しぶりに思い切り息抜きが出来た気がする。


 二人で歩いて、何てことのない話をした。

 夕飯の献立について話して、どの食材を選ぶか悩んだりして――。


「――栄養ドリンクの時は、少し驚いたけど」


 ハルさんに怒られたことを思い出す。

 声を荒げるハルさんは滅多に見られない。というか、あの死にかけ事件以来じゃないだろうか。


「……うん」


 頑張ろう。そう思った。

 当然だけど試験に落ちればハルさんに会うのも難しくなる。


 ……それはとても寂しいことだ。


「よし!」


 あと残りは二週間。

 ふらつく頭に気合を入れて、目の前の文章に集中する。


 ……そして、その日は寝落ちするまで机に向かい続けた。

 

 

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