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裏話 隣人の理由

今日から三日間、男視点の投稿をします


 最近、少し変わったな、と思うことがある。

 なんのことかと言うとハルさんのことだ。


 具体的に言えば、ほんの数日前にハルさんが俺の部屋を訪れた時のこととか。


『君、ちょっといいかい? そこで屈んで』

『……? はい』

『ん……よし、襟が曲がっていたよ』


 ハルさんは背伸びしながら俺の首に手を伸ばす。

 そして襟を直してくれた。

 

 小さい手が首元に触れて、金色の髪と碧色の目がすぐ近くにあった。


『……あ、ありがとうございます』

『大人なんだから、身だしなみは整えないとダメだよ?』


 初詣くらいからだろうか。少し、距離感が近くなった気がする。

 ついでに遠慮が無くなった気も。こういう時、以前は曲がっているよと口で言って終わりだったのに。


 ……そうだ。あの日以来ハルさんは変わった。


 こちらを伺うような目をしなくなった。

 ずっとあった違和感も無い。追い立てられているような雰囲気だって。 


 ――まあ、とは言っても。

 

『ねえ、今日も夕飯食べに来るでしょう?』

『勉強大変だね。家事手伝ってあげようか?』

『朝ごはん食べてないよね? 作るからうちにおいでよ』


 献身的なところは変わらなかったけれど。

 焦りや違和感がなくなっても、ハルさんは当然のように俺に手を差し伸べた。


 どうやら、やり過ぎとも思える献身はハルさんの素だったらしい。

 きっと、元々面倒見がいい人だったんだろう。人のために行動することを苦に思わない人だった。


『僕がやりたくてやってることだから』


 そう言って、ハルさんは少し前とは違う影のない顔で微笑む。

 だから、それならばと俺もついつい甘えてしまって。


『勉強、頑張ってね』

『はい』


 申し訳ないと思いつつも、とても居心地が良かった。



 ◆



 しかし、そんなハルさんとは裏腹に、俺の状況は何も解決していない。

 試験はまだ終わっていないし、留年の危機は去っていなかった。


「睡眠時間、減らそうかな」


 勉強は、一応順調だった。

 でも、こういう試験はどこまで努力しても完璧にはならないものだ。


 教授の気まぐれで突然問題が難しくなることがある。

 直前の授業一時間分の内容が数十点分も出題されることも。

 かつては受講者の半分近くが単位を落とした科目だってあったと聞いた。

 

 単位数に余裕があれば、運が悪かったねと諦める状況。

 しかし、普通の学生にそれが出来ても、今回の俺にそれは許されない。


「……留年だけは、避けないと」


 もし留年してしまったら。

 そうなれば、親にも妹にも迷惑をかけることになる。


 なにせ現状のまま大学に通うとすれば、当然だけど授業料が追加で必要になるし、バイトをしているとは言っても生活費だって必要だ。


 それなのに、さらにもう一年。

 一体どれくらいの金が消えるのかは考えたくない。もしかしたら、高校二年生の妹の将来にも関わってくる可能性もある。


 ……だから、焦っている。

 俺が馬鹿をやったせいで妹が大学に通えなくなるなんて、あっていいはずがないのだから。


 ……もし、万が一留年したら、そのときは―― 


「――ん?」

 

 と、スマホに一件の着信があった。

 誰かと思い画面を見ると、そこには妹の名前がある。


 ……丁度考えていた相手だ。

 タイミングがいいなと思いながら、画面をタップした。


『もしもーし、兄さん今ちょっといい?』

「……美弥、どうした?」

 

 少し、懐かしい声が聞こえてきた。 

 実家にいた頃は毎日聞いていた声だ。


 四歳ほど離れた妹で、今年で高校二年生。

 兄妹仲は良好な方なので、こうして家を出た今でも偶に連絡をしてくることもあった。


『いやー、もうすぐ春休みでしょ? 兄さんはどうするのかなって』

「どうするって……」

実家(いえ)に帰ってこないの? 』

「……」


 兄さんの部屋が埃に埋まっちゃうよー?

 なんて、冗談めかした声。妹がそう言うのも、俺がここ一年ほど実家に帰っていないからだろう。


 一年前の冬の一件以来、俺は実家に帰っていない。

 それは留年回避のために色々と手を尽くしていたからでもあり、休む時間があるなら勉強するべきだと思ったからでもある。


 ……あと、やらかしたばかりなので、それを少しでも取り返す成果が欲しかったというか。具体的に言えば、留年回避してから帰りたかった。


「……まだ考えてない」

『えー? あと一カ月も無いよ?』


 それはまあ、言われてみればそうだ。

 しかし、最近は勉強にハルさんにと考えることが多かったから。


 ……帰省か。どうしよう。


「ごめん、近いうちに決めるよ」

『もう……ねえ、そんなに勉強が忙しいの?』

「……まあ」


 むぅ、と電話の向こうで妹が唸るような声。

 そして少しして、小さくため息が聞こえた。

 

『……頑張ってね。留年したら大変だよ? お母さんが言ってたけど――』

「……」

『――その場合は、アパートを引き払って、実家から学校に通うんでしょ?』


 ……ああ。そう決めている。

 それは生活費の節約の為であり、これから大学に通う妹の学費のためだ。


 そして、その場合でも卒業には問題ない。

 留年した場合、一年分の余裕が出来るので、通学に時間がかかっても十分に必要な単位が取得できる計算だった。

 

「……頑張るよ」

『うん! じゃあ、勉強の邪魔をしたら悪いしこの辺で。また今度ね!』

「ああ、また」


 通話が途切れる。

 一定の電子音を吐き出すそれを机に置いた。


「……」


 ……なんとなく、目を瞑る


 ハルさんの笑顔が浮かび上がってきた。

 最近、ハルさんはよく笑ってくれるようになった。


 碧色の目を細めて頬を緩ませる姿を思い出す

 照れているのか、少し頬を染めながら俯き。金色の髪を弄る姿も。


 でも、それなのに、もし留年してしまったら。

 

「……やっぱり、休んでる場合じゃないよなぁ」


 俺は、あの人の力になると決めたんだから。


「よし!」


 だから、机に向かう。

 そしてテキストを開き、何度も読んだ文章をもう一度目で追いかけた。

 

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