第26話 止めるべきか、それとも
翌日、僕はいつものようにパソコンを立ち上げる。
一日の仕事を確認し、頭の中で計画を立てて、昨日のようなミスをしないように一つ一つ取りかかっていった。
「……」
いつもと同じ仕事。
いつもと同じ同僚たち。
昨日手伝ってもらったからといって、なにかが変わるわけでもない。
最初に軽く礼を言って、後は通常通りだ。僕が人を手伝った時も似たようなものだし、それでいいとも思う。
だから、今日も僕は変わらず一人で黙々と作業をする。
リモートワークという業務形態の都合上、雑談をする機会はあまりない。時々上司に進捗状況を聞かれたり、誰かにちょっとした質問されたりするけれど……まあ、その程度だ。
「……」
人間は習慣に囚われる生き物だと、どこかで読んだ記憶がある。
それが本当かどうかはともかくとして、現実として今日の僕は昨日までの僕と同じだった。
変わらぬまま朝が終わって、昼の休憩がやってくる。休憩が終わっても、部屋の中にはキーボードを叩く音と資料をめくる音だけが響いていた。
そして、そのまま時間は過ぎていって……。
……
……
……
「……今日は上がります。お疲れさまでした」
『はい、お疲れ様。また明日も頼むよ』
なんてことのない、平穏な一日だった。
なので、最後に上司に一言だけ声をかけて、パソコンを閉じようとする。
『――あ、古寺さん上がりですか? お疲れさまです』
『先輩、お疲れ様でした!』
『そうだ、古寺さん。今度の出社日の後って空いてます? ちょうど部署の若手で集まることになってまして――』
……と、何人かに声を掛けられて、それなりに返事をする。
同僚と後輩にお疲れさまと返し、最後の誘いには予定があると返した。
これもまあ、いつもと変わりない。
最後に部署の皆に挨拶するのも毎日のこと。挨拶は社会人の基本で、当然僕も一人の社会人として欠かさず行っていることだ。
「……」
……でも、そう。
なにもかも、いつものことなんだけど。
「……うん」
……今日はなんだか、普段より少しだけ皆の態度が気易かったような。
そんな印象を受けたのは、僕の勘違いなんだろうか?
◆
少しだけ、冷静になれた気がする。
そんなことを、夕飯を作りながら考えた。
時計を見ると、まだ夕方の六時くらい。
まだ冬なので外は暗いけれど、しかし一般的にはまだ活動する時間だ。
「……」
彼が来るのは……あと一時間は先だろうか。そう思う。
きっとそれくらいの時間に、大学帰りの彼が扉を開けて顔を出すだろう。
……そう、目の下にクマを作って、疲れ切った顔の彼が。
「……あれ、大丈夫なのかなあ」
思わず呟く。
しかし、そんな独り言を漏らしてしまうくらいには心配だった。
というか、あまりに心配過ぎて、気付けば少し前の混乱から抜け出していた。だって、あのときの言葉より目の前にいる彼の憔悴具合の方が気になってしまう。
「……あと少しだって言ってはいたけど」
たしか、一週間後に試験が始まると言っていた。
それからさらに五日間のテスト期間があって、その後は春休みらしい。
なので、彼の無茶もあと二週間くらいで終わるだろう。きっとそれは間違いない。
……しかし、その二週間をあと少しと思うべきなのか、それとも二週間もあると思うべきなのか。
「無茶はして欲しくないんだけど」
本当はすぐにでも止めるように言いたい。
勉強は順調だと言っていたし、ほどほどの所で切り上げてゆっくり休んでほしい。
……でも、それを言うべきなのかと考えると。
「一年は長いよね……」
もし彼が留年すると、この一年が無駄になってしまう。
それは決して軽く見る事は出来ない。
……つい、この間のスーパーでは休めといってしまったけれど。
でも今になって、あれは言わない方が良かったのでは、とも思う。彼が心配だったから言ったことだけど、しかし。
「……」
この日本という国において、学歴というのは非常に重い意味を持つ。
そしてその学歴において、留年というのは大きな失点になってしまうことは間違いない。
就職活動をすれば、必ず面接官に理由を問われることになる。
どうして留年してしまったのかと詰められて、そこに相手を納得させるだけの理由がなければ、必ず不利に働くだろう。
……つまり、これからの二週間は彼の人生を左右することになる。
「……それに」
それ以外にも、金銭的な負担も大きい。
大学の学費だけでなく、借りているアパートの家賃や生活費もある。彼がどうやってそれを賄っているのかは知らないけれど、決して軽く見る事は出来ないはずだ。
「……だから、分からない」
彼を止めるべきなのか。
僕が止めてもいいのか。
……それが分からなくて。
「どうすればいいのかな」
人生には、無茶をしなければならないときはある。
それが学業か仕事かは人によって違うだろうけれど、逃げずに頑張らなければならないタイミングはきっとあるんだ。
だから僕が今するべきことは、彼を応援することなんじゃないかって思って、でも彼が疲れている姿を見ていると心配で。
……だから、分からない。
「……はぁ」
そして、そんなことを悩んでいるうちにも時間は過ぎていく。
気が付けば時計の短針が七の数字を刺していて――。
――キンコン。
そう、チャイムが部屋に響いた。




