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第24話 お互いさま


 気が付くと隣の部屋を見ている自分がいる。

 それはこれまでの僕には無かったもので、だから分からなくていつも混乱していた。


 ――でも、そんなとき、ふと思い立った。

 そもそも、僕の内にあるこの感情に名前をつけるなら、『どの』気になるなんだろう、と。


 だって、気になるという想いは一つじゃない。

 意識を向けている状態を表しているだけで、その意識に乗る感情は千差万別だ。


 学者が研究対象に向けているのは好奇心だろうし、道行く人が美しい花や景色に向けるのは感動かもしれない。

 仲のいい友人に向けるのは友情だろうし、逆に嫌いな相手だからこそ気になることだってあるだろう。


 だから、僕が今彼に向けているのは、いったいどれなんだろう。

 そう思って――。



 ◆



 ――そんなことばかり考えていたからだろうか。

 その日、仕事の予定がずれ込んで、時間が来ても業務が終わっていなかった。


『君の仕事が遅れるなんて珍しいね』

「……申し訳ありません」


 別に仕事の量が多かったわけじゃない。

 仕事の量は正しく管理されていて、通常通りの仕事をすれば定時に終わることが出来る程度だった。


 それなのに、時間が来ても終わってないのは……単に、僕が真面目に仕事と向き合っていなかったから、なんだろう。


 ……考え事をしていたから。


「すみません。今日は残業させてください」


 画面の向こうの上司に頭を下げる。

 自分のミスだ。当然、自分が責任を取る必要がある。明日の仕事に影響を及ぼさないように、きちんと終わらせなければならない。


 ……今日の夕飯は彼と一緒に食べられないかもしれないけど。


『それは構わないけれど……』

「はい」

『そうだね、少し手伝おうか?』

「……え?」


 言葉に、下げていた頭を上げる。

 上司はなんてことのない顔でこちらを見ていた。


『普段、君には皆のフォローで世話になってるからね。偶には君のことを手伝っても罰は当たらないだろう?』


 年末も遅くまで残ってくれたみたいだし、なんて言いながら上司が笑う。

 でも、それは……。


「……その、ですね」


 確かに僕は普段から同僚のフォローはしている方だと思うし、年末も確かに遅くまで残っていた。

 しかし、それは全て僕が立派な人間でいるためで、僕がしたくてしていることだ。


 それに今回、責任は全て僕にある。

 僕が余計なことを考えずに真面目に仕事をしていればこんなことにはならなかった。


 だから、上司に手伝わせたりして、迷惑をかけるわけにはいかない。

 僕は立派な大人でありたいし、そうあるべきだし……。


「……」


 ……そう、思う。

 それが正しいと思う。


 ……思うんだけど。

 なんでだろう。上司の提案に惹かれている自分がいて――。


 ――『ハルさん、ありがとうございます』


「……」


 ……どこかから、声が聞こえた気がした。

 それは最近どうしても気になっている彼のものだった。


 ……もし。

 もしだけれど。


 ……この申し出を受ければ彼と夕飯を食べることが出来るんだろうか。

 そんなことを思った。


『遠慮しなくていいんだよ? 今日は私も予定はないしね』

「……えっと、その」


 考える。もし残った仕事を一人でやればどうなるか。

 それはまあ、順調に終わるだろう。別に難しいわけじゃない。少し時間がかかるだけだ。


 ……でも、彼と夕飯を食べるのは難しい。


「……その、ですね」

『うん』


 逆に、上司に手伝ってもらったら?

 それなら、きっと彼との時間に間に合うだろう。


 ……しかし、その代わり上司に迷惑をかけてしまうことになる。

 それは立派な大人として避けたくて。


「……」


 …………………………僕、は。


「……よければ、なんですが」

『なんだい?』

「……手伝っていただいても、よろしいでしょうか」


 少し悩んだ後。

 僕は気が付けば、上司にそう言っていた。

 

 間違っている気がする。人に迷惑をかけるべきじゃない。

 でも、僕は……。


 ……なんでだろう? 自分でも分からない。

 ありえないはずの選択肢を、こうして上司に告げている自分自身が理解できなかった。


『……そうか、なら手伝うよ』

「……お願いします」

『ああ。……しかし、あれだね。少し驚いた』

「え?」


 顔を上げる。

 上司は少しだけ目を見開いて、まじまじとこちらを見ていた。


『今までの君なら、きっと断っていただろうから』

「……それ、は」

『ああ、勘違いはしないで欲しい。別に断って欲しかったわけじゃないんだ』


 画面の向こうで、上司が少し慌てたように手を振る。


『ただ、嬉しくてね』

「……嬉しい?」


 唐突な言葉に首を傾げる。

 だっておかしい。今僕は迷惑をかけたのに。

 

 なんでそんな言葉が出てくるんだろう?


『いいかい、古寺君』

「……はい」


 上司の真剣な声音に姿勢を正す。

 

『それでいいんだ。困ったら、助けを求めればいい。それは決して間違いじゃない』

「……」

『仕事をしていれば、失敗することはある。誰にでもある。私にもある。そういう時は周囲の者に手伝ってもらうし、君にも手伝ってもらったことはあるよね?』

「……それは、はい」


 それはまあ、たしかに。

 珍しいけれどそういうこともあった。


『つまり、お互い様なんだよ。こういうのは。手助けしてもらうことを、迷惑だなんて思わなくていいんだ』

「……はい」


 上司の言葉は、僕に言い聞かせるようだった。


 それは今まで僕の持っていた常識とは違っていて、しかし僕を批判するためのものではない。その声からは、僕に対する気遣いを感じられた。


 ……それが理解できたから、僕は。

 不思議だけれど、言葉がストン、と中に入り込んでくる気がして。

 

『だからね、今度からもっと頼って欲しいな』

「……はい」


 言われるままに、頷く。

 でも、抵抗はなかった。


『うん、遠慮はいらないよ。それは未来の私の為でもあるんだから』

「え?」


 と、上司のそれまでとは違うトーンの声がした。

 顔を上げると、上司は笑顔を浮かべている。

  

 ……未来のため?

 それはどういう?

 

『だって――君が困っているときに助けなかったら、私が困った時に、君に助けを求め辛いだろう?』

 

 上司は、冗談めいた口調でそう言った。



 ◆



 その後、仕事はあっさりと終わった。

 上司以外にも、手助けを申し出てくれた人がいたからだ。……そして、その中には年末の後輩もいた。


「……」


 冬の短い日は既に落ちて、しかし多くの人がまだ道を歩いている時間。

 僕は夕飯の材料を買うべく、スーパーへの道を歩いていた。


 仕事が早く終わったので、買い物に出る時間もあったからだ。


「……」


 歩きながら、考える。今日は今までとは違うことをした。

 自分の失敗を人に助けてもらうなんて、これまでの僕ではありえなかったことだ。

 

 ……でも、後悔は無くて。

 どこか、清々しい気さえした。


「……」


 ……そういえば。

 なんとなく、上司の言葉を思い出す。


 ――『手助けしてもらうことを、迷惑だなんて思わなくていいんだ』


 たしかにあのとき、上司はそう言った。

 そしてそれは、少し前に聞いた言葉と似ている気もした。


 ……あの初詣の日、彼が言った言葉に。


「……でも」


 でも、似ているけれど。

 感じたものは、彼とは違って。


「あれ、ハルさん?」

「え?」


 そのとき、声が聞こえた。

 顔を上げると、道を挟んだ向かい側に人影が見える。


「……あ」

「奇遇ですね。買い物ですか?」


 彼がいた。


 

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