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裏話 隣人の想い


 そして、正月がやって来た。

 初詣の日。朝から待ち合わせをして、二人でアパートを出る。


 駅まで歩き、電車に乗って一時間程度。

 見上げた神社は盛況で、大勢の人が楽しそうに歩いていた。


 ハルさんも、そんな様子を見て楽しそうな顔をしていて――。


「よし、じゃあ今日は奢っちゃおうかな!」

「え?」


 ――あと一歩で俺が社会的に死ぬところをなんとか食い止めた。

 外見が小学生かそこらの少女に奢られてる姿を、万が一でも大学の知り合いに見られた日には、卒業まで後ろ指差される羽目になるのは想像に難くない。


「今日は俺に出させてください」

「……うん、そうだね」

 

 必死に説得し、なんとか納得してくれたハルさんと二人で参道へ足を踏み入れる。

 そして色々と見て回りながら、神社の中を進んでいった。


「――折角だし、何か買いませんか?」

「――ハルさんは、何をお願いするんです?」


 屋台が立ち並び、人が多く歩く中を並んで歩いた。

 買い食いをして、参拝をして、おみくじを引いたりもする。綿あめを食べて、神様に祈って、小吉のくじを結わえた。


 ここまで気楽なのは久しぶりだった。

 課題漬けの日々はハルさんのためとはいえキツかったから。


「……しかし、大きな神社だ」

 

 歩きながら、思わず呟いた。

 最初に外から見た時も思ったけれど、中にいるとますますそう思う。しばらく歩いていても全体図がなかなか見えてこない。


 どちらが入り口だったのかも分からなくなって、不安になる。

 その一方、以前から出入りしているハルさんはしっかりと把握しているようで、その案内に従いながら進んでいった。


「……」


 その途中。ふと気になって隣のハルさんを見る。

 するとハルさんもすぐにそれに気付き、こちらを見上げた。


 ……目が、合う。

 

「……?」

 

 不思議そうに首を傾げるその表情は笑顔だった。

 綺麗というか、可愛いというか……つい、見惚れてしまいそうな、そんな表情。

 

 ――目を細め、穏やかに微笑んでいる。


「……」


 なんとなく目を逸らしながら、思う。

 ハルさんの様子に、ここ最近感じていた焦りがあまり見えない。そんな気がする。


「……よかった」

 

 小さく呟きながら、胸をなでおろした。

 最初の目的――ハルさんのことが分かったかと言うとそうでもない。せいぜい綿菓子が好きだと判明したくらいか。

 

 ……でも、少しでもハルさんが喜んでくれるならそれでいい。


「そういえば、この神社では正月は餅まきがあるんだ」

「餅まきですか?」


 なんてことのない時間が過ぎる。

 特別ではない時間。しかし、ハルさんが楽しそうに笑っている時間だ。


 ……こんな時間が続けばいい。そう思った。

 

 ――でも。


「……あ」


 突然だった。目の前で、ハルさんが人の波にさらわれていった。

 一瞬呆然として、すぐに追いかける。人を掻き分けて、流されていった先へと急いだ。……でも、見つからない。


 少し遅れて、SNSで安否の確認だけは出来た。

 でも合流がなかなかできない。


 ずっとハルさんに案内してもらっていたからだ。

 どう歩いたらどこに着くのかが分からない。必死に歩いて、でも見つからなくて、時間だけが過ぎていった。



 ◆



 ハルさんの姿を見つけたのは、二時間後のことだった。


「ようやく、見つけた」

 

 肩で息をしていて、少し足元がふらついている。

 一月の寒空なのに、頬に金色の髪の毛が幾本か張り付いていて、それがハルさんの疲労を物語っている気がした。


「ごめんね」

「謝らないで下さい。俺こそハルさんの指示通りに動けなくてすみません」


 二人して頭を下げ合って、少し離れた広場へ移動した。

 ハルさんを休ませなければならないと思ったからだ。


 移動する途中、何か飲めるものはないかと周囲を探し、一番最初に目についた甘酒を買って、ハルさんに手渡した。


 ……朝、綿あめを食べた所にもう一度座る。


「……その、ごめんね」

「いえ、そんな。俺の方こそ」


 もう一度謝るハルさんを止める。

 謝らないで欲しい。謝るなら俺の方だ。


 だって、俺はハルさんにボディーガードをするなんて言ったこともあった。それなのにハルさんが流されていくのを見送ることしかできなかった。

 

 ……俺が、もう少ししっかりしていたら。そう思う。

 もう二度とこんなことが無いようにと胸に刻んだ。


「……ハルさん」


 改めてハルさんにその旨を伝えようと顔を向ける。


「――君にだけは、迷惑を掛けたくなかったんだけどな」

「……え?」


 ハルさんが、小さくつぶやいた。

 

 その声に驚き、顔を覗き込む。

 驚いたのは言葉の内容ではなく、その声の調子だった。


 ――その一言に、今日はあまり感じなかった焦りのようなものを強く感じたから。


「俺は迷惑だなんて思ってませんよ? ……それに、それを言うなら俺の方こそ、普段散々迷惑かけて世話になってますし」


 慌ててそんなことは無いと訂正しつつ、頭の中で先程ハルさんが呟いた言葉を改めて確認する。どういうことだろう、と。


 ――君にだけは、迷惑を掛けたくなかったんだけどな。


 ……別におかしくはない言葉だ。

 

 俺は迷惑だと思っていないけれど、しかしこの状況で使うこと自体は変ではないと思う。はぐれてしまって、合流に時間がかかった。お互いに迷惑をかけあったとも言えるだろう。言葉だけを見ると不思議ではない。


 ……でも、それなのに、妙に引っかかる自分がいた。


 迷惑。その言葉が妙に気になる。


「……そういえばハルさん、迷惑って言葉をよく使いますよね」

 

 そして、気付いた。

 以前からハルさんはその言葉をよく使っていた気がする。


「……俺に迷惑を掛けたくなかった。そう言ってました。どうしてハルさんは俺に迷惑を掛けたくないんです?」

「それは……………………普通じゃない?」


 普通のことだ。でも普通で済ましてはいけない気がした。

 そこがハルさんにとって重要な所だと、何故かはわからないけれど感じていた。


 ――ハルさんの、傷に触れている気がした。


「……ぅ」


 ハルさんが俯く。

 小さくつぶやいて、それが何かは分からなかった。


「……」


 その後は何も言わないまま、少しばかりの時間が過ぎる。

 静かな時間。遠くから夕暮れのカラスの声が聞こえた。


 俺は、ハルさんの言葉を待った。

 いくら時間がかかっても、ハルさんの本音が聞きたかった。


 ――そして。


「――僕が、君に迷惑を掛けたくないのは」

「はい」

「……君に、嫌われたくなかったから、なのかな」

「……ハルさん」


 消えてしまいそうなほどの、か細い声。

 しかし、確かにハルさんはそう言った。


 ………………嫌われたくない、か。


「……」


 それを聞いたとき、ストンとなにかが収まった気がした。

 

 ……少し、考える。

 もしかしたら、この人はずっと、それに怯えていたのかもしれない。


 焦躁を感じていた。追い立てられているようにも見えた。

 お礼を言って、ほっとしていたことも。


 その理由が、嫌われたくなかったからなのだとしたら。


「……迷惑をかけると、俺がハルさんを嫌いになるから、と」

 

 なんとなく、理解する。

 もしかしたら、この人はいつもそうやって怯えているのかもしれない。嫌われるかもしれないと、人を信じられないのかもしれない。


「……」


 ……そうだ。

 

 そう思えば、ハルさんが完治した日のことも、少し理解できる気がした。

 なぜあのとき、俺を遠ざけようとしたのか。それが、嫌われるのが怖かったからだとすれば色々と繋がってくるじゃないか。

 

 ……ようやく、少しハルさんのことが分かった気がした。

 ……そして、それが分かったから。


「――じゃあ、大丈夫ですね」

「……え?」


 俺は、意識して明るい声でそう言った。

 ハルさんが顔を上げ、大きな目と視線が合った。

 

「俺は、ハルさんに迷惑をかけられたとしても、ハルさんのことを嫌いにはなりませんから」

「……え?」


 それは、ハルさんが分かっていなくて、でも俺からすると当然のことだ。


「そもそも、今回のことでハルさんに迷惑をかけられたとも思っていませんが……俺はハルさんになら、迷惑を掛けられてもいい。そう思っています」

「……」

「むしろ、それでハルさんが楽になるなら、積極的に迷惑をかけてくれてもいいんです。俺にとって、ハルさんはそういう人ですから」


 俺は、ハルさんのことを嫌いにはならない。少なくとも迷惑をかけられたくらいでは絶対に。それはあの日、俺がハルさんに救われた日から変わらない事実だ。


 嫌なことがあったから嫌いになるとか、良いことがあったから好きになるとか、そういうことじゃない。

 あなたが、あの日俺を救ってくれた人だから。だからこそ俺はハルさんのことが好きなのだと。


「………………そ、そんなのおかしいよ」

「そうでしょうか?」


 こちらを見上げるハルさんと向かい合う。

 ……目が大きく揺れている。理解できないと困惑しているのが分かった。


「ありえないよ、そんなの」


 首を大きく横に振りながら、ハルさんが呟く。

 信じられないと全身で否定していた。

 

 その姿を見て俺は、どうしてハルさんはそうなってしまったのだろうと考えた。


 心の傷は、生まれながらにあるものじゃない。

 何かきっかけがあってそうなるものだ。


 なにかがあったんだろうか。それとも誰かがいたんだろうか。


「……」


 ……そういえば。

 以前、ハルさんが、と思い出す。


「ハルさん、前に言ってましたよね」

「え?」

「意味もなく人を嫌う人がいるって。そんな人に目をつけられたら怖いから、人の多い所にはいかないって」

「……それは、まあ」


 少し前のことだ。

 俺は過去にハルさんの周りにそういう人がいたのかもしれないと思った。

 

 ……だから、今、改めて思う。

 ハルさんが怯えているのは、その人のせいだとしたら。


 俺は、ハルさんにどうしても伝えなければならないことがある。


「意味もなく人を嫌う人は、確かにいます」

「……うん」


 あなたの過去に、そういう人はいたのかもしれない。

 それが今、あなたを苦しめているのかもしれない。


 ……でも。


「だから、その逆がいてもいいと思うんです」

「……?」

「意味もなく、ハルさんを嫌いになる人がいるなら、何があっても、ハルさんを嫌わない(すきになる)人がいてもいい。……俺は、そう思います」


 信じて欲しい。

 俺は、その人とは違うのだと。


 俺はあなたのことが好きで、あなたを嫌わない。

 何故かって、それはあなたがあなただからだ。


 泣かないで欲しい。怯えないでいて欲しい。

 今日二人で歩いていたときのように、笑っていて欲しいんだ。


 そう、俺はハルさんに伝えたかった。


「……」


 ……しばしの沈黙が、辺りを包む。

 気が付けば、日は落ちて辺りは暗くなっていた。


 人がいない広場の中、俺は只々待つ。

 そして、どれくらい時間が経っただろう。


「……うん………………うん」


 ハルさんは、小さく二度頷いた。



 ◆



 帰りみち、人の少なくなった通りを歩く。

 日はもう完全に落ちて、道を街灯が照らしている。


 ……その中を、逸れないように寄り添って歩いた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  過去作もそうなんだけど今作は特にお互いの胸中・心情の描き方が丁寧な印象を受けます。  じっくりコトコト煮詰められている。 [一言]  はやく煮詰まれー。
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