第21話 嫌わない人
『どうしよう、見つからない……』
彼と逸れた後。
僕は彼を探して走り回った。
まずスマホで連絡を取って、でも彼は自分のいる場所がよく分かってなくて。目印を決めて、そこへ向かった。
……それでも上手くお互いの状況のすり合わせが出来なかった。いつまでたっても合流できず、彼の顔を探して、焦り、走り回った。
『なんで、こんなことに』
もっと気をつけておけばよかった。そんな後悔が湧いて来る。
体が小さいことなんてわかっていたのだから、もう少し周囲に気をつけていれば、こんなことにならなかったのに。
いや、それとも逸れた時の合流場所を事前に決めておくべきだったか。これまで人と外出することが無くて、思い浮かばなかった。
注意不足に準備不足。言い訳のしようもない失敗だ。
『今日は、彼に楽しんでもらおうと思っていたのに』
勉強が一段落着いたのだから、彼に息抜きをして欲しかった。
それなのに、これだと逆に疲れさせているかもしれない。
――彼に、迷惑をかけているかもしれない。
『……っ』
走りながら、唇を噛む。
折角の外出だったのに。
折角楽しかったのに。
――折角、彼の役に立てていたのに。
『……これじゃ、僕は』
彼の役に立ちたかった。
彼に迷惑を掛けたくなかった。
……これじゃあ、立派な大人でいることが出来ないよ。
◆
――二時間が過ぎて。
僕と彼はようやく合流し、最初に軽食を食べた広場の片隅で向かい合っていた。
日が傾き、空が色づき始める頃。
すでに餅まきも終わり、周囲からは人が減り始めている。
……もう、家に帰る時間だった。
「ごめんね」
「いえ、謝らないで下さい。俺こそハルさんの指示通りに動けなくてすみません」
二人して、頭を下げ合う。
彼は頭を掻きながら、申し訳なさそうにしていた。眉尻を下げた顔。
……少し疲れたような様子もあって、それが悲しい。
もっと上手くやれたはずなのに。迷惑を掛けずに済んだはずだったのに。そんな言葉ばかりが頭の中を埋め尽くしていて。
「これ、買って来たんです。ハルさんもどうぞ」
「……これは」
彼が手に持っていたコップをこちらに差し出す。
受け取るとそれは暖かくて、中には白い液体が入っている。
……甘酒?
「座って飲みませんか?」
「……そうだね、ありがとう」
促されるままに石段に座りこむ。
ついさっきまで走り回っていた体が一気に重くなった気がした。
二時間近く必死に動き回ったからだ。
その疲れがまとめて襲い掛かってきている。
「……」
甘酒を両手で持つ。暖かかった。
口を近づけると甘い匂いが鼻孔を刺激する。
一口、口に含むと、それはただただ甘かった。
「……その、ごめんね」
「いえ、そんな。俺の方こそ」
改めて謝罪すると、彼は慌てたように訂正する。
……ああ、ダメだ。
逆に気を遣わせている。そんな謝罪は自己満足でしかない。
また、彼に迷惑をかけてしまった。
彼に迷惑を掛けたくなかったのに。
役に立ちたかったのに。
「……」
……でも、謝罪も迷惑になるなら、僕はどうすればいいんだろう。
わからない。正解が全く浮かんでこない。
混乱している。後悔や他のよく分からない感情で頭の中がぐるぐるしている。
「……君にだけは、迷惑を掛けたくなかったんだけどな」
「え?」
だから、混乱していたから。
つい、そんな言葉が口から出てきた。
普段だったらそんなことは絶対に言わないはずだった。
……でも心が重くて、体も疲れてて。
「迷惑……?」
「……あ、その」
「俺は迷惑だなんて思ってませんよ? ……それに、それを言うなら俺の方こそ、普段散々迷惑かけて世話になってますし」
「……いや、その……えっと」
彼が驚いた顔でこちらを見ている。
また変なことを言ってしまった。慌てて誤魔化そうとして、でも言葉が上手く出てこない。
「……その」
「……ハルさん」
彼がこっちを見ている。真っ直ぐな目。
彼の目と僕の目がしっかりと合っている。
――彼の表情が変わっていく。
驚きを残していた顔から、思案するような顔へと。
「……ハルさん」
「その、ね」
「そういえばハルさん、迷惑って言葉をよく使いますよね」
「……え?」
突然、彼から予想していなかった言葉が飛んできた。
よく使う? そうなんだろうか。全く意識していなかった。
「……俺に迷惑を掛けたくなかった。そう言ってました。どうしてハルさんは俺に迷惑を掛けたくないんです?」
「それは」
どうしてって、そんなの普通だと思うけど。
人には迷惑をかけるべきじゃない。当然のことだ。
そうでしょ?
だから僕は今まで人に迷惑をかけないように生きてきたのに。
「当たり前じゃない?」
「当たり前かもしれませんけど、当たり前で済ませたらダメな気がしたんです」
なんだそれ。
よくわからない。
「……」
……でも彼がそういうのなら、もう少し考えてみよう。
そう思い、重い頭で思考を巡らす。
「――」
迷惑を掛けたくないのは、立派な大人でありたいからだ。
僕は立派な大人になりたかった。
人の役に立って、迷惑を掛けない大人になりたかった。
……では、なんで僕は立派な大人になりたかったのかと言うと。
「……」
……それは、僕が排斥されたくなかったからだ。
そうすることでしか、僕は人の輪の中に入れない。そうしないと嫌われてしまう。
人と仲良くなるのが怖くて、だから普通に居場所を作れない僕には、それしか社会の中で生きていく方法がなかった。
……つまり、僕は。
……立派な大人であること以外に、人に近づく方法を知らなくて。
だから、結局――。
「――僕が、君に迷惑を掛けたくないのは」
「はい」
「……君に、嫌われたくなかったから、なのかな」
「……ハルさん」
また、つい本音が口から漏れだした。
こんなこと言うべきじゃない気もするけれど、でも胸の中に抑えておくだけの元気もなかった。
……そうだ。そういうことだ。
だから僕は彼の役に立ちたくて、迷惑を掛けたくなかった。
彼がいなくなるのが、嫌だったから。
「迷惑をかけると、俺がハルさんを嫌いになるから、と」
「……」
それなのに、今日は彼に迷惑をかけてしまった。
それが悲しくて、怖くて。だから心がどうしようもないくらいに重い。
どうしてもっと上手くできなかったんだろう。
そんな後悔が、胸の中を埋め尽くしていって――。
「――じゃあ、大丈夫ですね」
「……え?」
でも、そんなとき。
彼のそんな言葉が耳の中に入って来た。
何を言っているのだろうと顔を上げると、彼が穏やかな表情で微笑んでいる。
「俺は、ハルさんに迷惑をかけられたとしても、ハルさんのことを嫌いにはなりませんから」
「……え?」
……何を、言ってるの?
「そもそも、今回のことでハルさんに迷惑をかけられたとも思っていませんが……俺はハルさんになら、迷惑を掛けられてもいい。そう思っています」
「……」
「むしろ、それでハルさんが楽になるなら、積極的に迷惑をかけてくれてもいいんです。俺にとって、ハルさんはそういう人ですから」
何を言っているのか分からない。
言っている言葉は分かる。意味も理解できる。でも訳が分からない。
「そ、そんなのおかしいよ」
「そうでしょうか?」
そんなの、これまでの人生と違いすぎる。
そんなの知らないし、見たこともない。
迷惑を掛けたら、嫌われる。それは当然のことでしょう?
常識だ。僕にとってはずっとそうだった。
だって、ほら、あの母親だって。
かつて、なんで僕のことがきらいなのか聞いたとき。
『――子供だからよ』
『――私に迷惑ばっかりかけて。早く大人になりなさい。そんでさっさと家から出ていって』
なんて、そう言ってた。だから。
「ありえないよ、そんなの」
だから、そんなの嘘だ。
彼がつく、優しい嘘だ。
……そんなの、あっていいはずがない。
「ハルさん、前に言ってましたよね」
「え?」
「意味もなく人を嫌う人がいるって。そんな人に目をつけられたら怖いから、人の多い所にはいかないって」
「……それは、まあ」
いきなり話が飛んで驚いたけれど、それは確かに言った気がする。
少し前、一人で初詣に行くか悩んで、結局行かないことにしたとき。
トラブルに巻き込まれたくないから、今年の正月は家にいようと決めた。
病気だから、目立つから。
……変な人――意味もなく人を嫌う人だって、世の中にはいるからって。
「意味もなく人を嫌う人は、確かにいます」
「……うん」
「だから、その逆がいてもいいと思うんです」
……?
「意味もなく、ハルさんを嫌いになる人がいるなら、何があっても、ハルさんを嫌わない人がいてもいい」
「――」
「俺は、そう思います」
………………なんだ、それ。
……分からない。
さっきからずっとそうだ。何を言っているのか訳が分からない。
理解できない。そんなの知らない。
僕の人生はそんなのじゃなくて、彼の言うことはありえなくて。
混乱して、頭の中がぐちゃぐちゃで。
「……」
……でも。
……目の前にいる人が、微笑みながらこちらを見ている。
それをみていると、何故だか分からないけど。
目の奥が、どうしようもないほど熱くて、変で。
「……うん………………うん」
理解できないけれど。
理解できないまま、僕はなんとなく二度頷いた。




