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第19話 綿菓子


 参道の中に足を踏みれると、そこは人の海のようだった。

 外から見てもそう思ったけれど、中に入るとなお実感する。


 満員電車かと思うくらい人が密集していて、気をつけていても人と接触するのを避けられないほど。

 周囲は人で遮られて、前を向いても背の低い僕じゃ何も見えない。隙間から覗く景色で今自分が前を向いていることが辛うじて分かるくらいだった。


「……」

 

 ……大人だったら、少し歩き辛い程度だっただろうに。改めてそんなことを思う。

 この体になってしばらく経つけれど、視界が悪いというのはいつだって大変だ。


 気を抜くと訳も分からないうちに流されて、どこかに運ばれてしまうような、そんな感覚があった。

 

 ……もしかして、子供が迷子になりやすいのはこういうところにも理由があるのかもしれない――なんて、そんなことを考える。


「ハルさん、こちらに」

「うん、ありがとう」


 だから、大変なので、彼の影に隠れるようにして進む。そうすると、少しだけ歩くのが楽になる。彼が作ってくれた道を辿るように僕は歩いて行った。


 前を行く彼の背中を見て、それを追いかける。

 目の前のそれは、なんだか大きく見えた。


「――ハルさん」

「なに?」


 ふと、彼の声。僕の名前を呼んでいる。

 呼び込みや雑談の声が入り交じる中でも、不思議とその声だけは良く聞こえた。


 見ると、彼が半分振り向いている。

 その顔には笑顔が浮かんでいて。

 

「折角だし、なにか買いません?」

「買う?」

「屋台ですよ。いい匂いがしてますし」


 彼の視線を追いかけると、人の間からタコヤキの屋台が見える。

 そこからはソースのいい匂いがしていた。


「タコヤキが食べたいのかい?」

「いやあ、小腹が空いてしまって」


 彼が照れるように頭を掻く。

 まあ、彼が食べたいというのなら、僕は全く問題はないけれど。


「いいよ。確かこの辺りに一休みできる広場があったと思うし」

「そうなんですか?」


 周りは見え辛いけれど、去年の記憶が正しければそうだったはず。

 そこへ移動すれば、ゆっくり食べることも出来るだろう。


 なので、早速屋台へ向かって移動し――。



 ◆



 ――買い物の後、広場の隅へ移動し、石段に腰を下ろす。

 僕たちの手元には、屋台で手に入れた戦利品が握られていた。

 

 彼の手元にはタコヤキの白い入れ物が握られていて、僕はと言うと一抱えある袋を持っている。表面にキャラクターの書かれた袋だ。半透明のビニール越しに白いモノがうっすらと見えていて……。


 ……いやまあ、ただの綿菓子なんだけど。


「ハルさん、綿菓子好きなんですか?」

「ん、まあ、昔はね。好きでよく買ってたんだ」


 何故僕がそんなものを握っているのかと言うと、タコヤキの屋台で列に並んでいる途中、隣の屋台で売られていたこれが気になったからだ。

 なんだか無性に懐かしくて、つい買ってしまった。


「昔はって……今は違うんです?」

「甘すぎる気がして……歳を取ったからかな」


 綿菓子を食べきれなくなったのは一体いつの頃だっただろうか。

 子供の頃は食べ終わるとガッカリしていたはずが、気付けば食べきるのも一苦労になっていった。


 最初の一口二口はいいんだけど、すぐに辛くなる。

 挙句の果てには胃もたれっぽい症状にも襲われたりとか。

 

 それで、余らせて捨てる訳にもいかないし、段々と買わないようになった。もう数年は食べてない気がする。

 

 ……でも、それなのに今回こうして買ったのは、自分の体が少し変わったことに気づいたからで。


「実は体がこうなってから、甘いものが美味しく感じるようになって」


 それで、今なら綿菓子を美味しくいただけるんじゃないかなあ……と。

 

「味覚が変わったんですか?」

「……うーん、と言うよりも舌が新品になった気がする」

 

 新品? と彼が首を傾げる。

 分かりにくかったかもしれない。違う言い方をすると、これまでの慣れがなくなったというか。


 酒とかコーヒーを思い出してほしい。

 人生で最初に飲んだとき、とても苦く感じたと思う。でも、飲み続けているうちにあまり苦さを感じなくなった経験は無いだろうか。


 僕はそれを舌が慣れたからだと思っていて、そういうのが体が変わったのを機にリセットされた気がする。何を食べても新鮮に感じるというか。


 ……あと、実は変わって以来、昔は毎日飲んでいたコーヒーが妙に苦いし。


「……そんなこともあるんですね」

「あくまで僕の感覚だけどね。もしかしたら気のせいかもしれない。

 ……まあ、それはともかく食べようか。綿菓子はともかく、タコヤキは冷めると美味しくないし」

 

 目を丸くしている彼を促して、包みを開ける。

 彼は蓋を開けてタコヤキに爪楊枝を刺し、僕は綿菓子を袋から取り出した。そして、指先で綿菓子をちぎり取って、一口。


「……」

 

 ――甘い。

 懐かしい味が口いっぱいに広がる。


 舌の上で砂糖が溶けていって、それが妙に幸せだった。


「……美味しい」


 思わず頬が緩む。

 それで、なんとなく幼いころのことを思い出した。


 ――かつて、あまり好きでなかった正月。

 家から逃げ出して、一人境内のベンチに座って食べた綿菓子は、しかしどうしようもなく甘かった。


「……うん」


 もう一度つまんで口に入れる。

 さっきと変わらない味が、舌を刺激する。かつての慰め。


「……ハルさん」

「なんだい?」

「少しでいいんで、俺にも少し分けてくれません?」


 見ると、彼が羨ましそうにこちらを見ている。

 もしかして彼も綿菓子が懐かしくなったんだろうか。


「代わりに俺のタコヤキを差し出しますので……」

「いいよ?」


 なぜかうやうやしくタコヤキを差し出す彼に了承を返し、彼のタコヤキを一つ貰う。そして綿菓子を彼に向けた。


「……普通の、綿菓子ですね」

「綿菓子だね」


 彼が綿菓子を口にいれ、呟く。

 僕もタコヤキを口に入れた。口の中にタコヤキ味が広がる。


「……普通のタコヤキだ」

「タコヤキですね」


 ……何故か、二人して当然のことを再確認する。

 そして二人で顔を見合わせ、よく分からないけど笑い合う。


 ――そんなやり取りが、不思議なくらい楽しかった。

 

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