第18話 初詣
『初詣に、一緒に行きませんか?』
彼は、あのときそう言った。
目の下にはクマが浮いていて、少し肌も青白い気がして、でも表情は明るくて。
『疲れてるだろうし、家で休んでたほうが良くないかな?』
『いえ、折角の正月なんですから。家にいたらもったいないですよ』
勉強が一段落着いたのなら、遊んだらダメだなんて言うつもりはない。
でもすごく疲れているように見えたので、息抜きよりも寝ていた方がいいのではと思い――しかし彼は首を横に振った。
ついでに力こぶを作るポーズをして、元気だというアピールまでしている。今晩ゆっくり寝れば大丈夫ですよ、なんてことも言っていた。
……まあ、そう言うのならと思って。
『それなら、行こうか』
『はい!』
『うん、じゃあ予定を決めないと。待ち合わせの時間は――』
――
――
――
――そうやって、話をした。
家で過ごすはずだった正月の予定が、大晦日の夜に唐突に決まった瞬間である。
少し驚いたけど、でも僕も初詣に行きたかったので、問題は全くなくて……。
『……あれ?』
……ふと、そこで気付く。
もしかしてこれ、僕の為なんだろうか。先日、初詣に今年は行けそうにない――みたいな話をしたし。
あのときも誘われて、でも勉強があるからと断った覚えがある。
もし彼がそれを覚えていて、だから今回初詣に誘ってくれたのだとしたら。
『……』
……彼が何を考えているのかは分からない。もしかしたら自意識過剰で、普通に彼が息抜きに行きたかっただけなのかもしれない。
『……うん』
――分からないけれど、でも。
今回の外出は彼がちゃんと楽しんで、息抜きできるように頑張ろう。そう決めた。
◆
正月の朝、神社は普段の静かな雰囲気が嘘のように賑わっていた。
参道へと続く通りには両脇に縁日が並び、甘い砂糖やソースの匂いが辺りから漂ってくる。
見上げると、大きな神社が階段の上に建っていて朝日を浴びて輝いている。冷えた空気は少し気持ちが良くて、どこか清々しかった。
楽しげな雰囲気があって、皆が楽しそうに顔をほころばせている。隣に立つ人と笑い合い、寄り添い合いながら歩いていた。
見ているだけで胸が弾んでしまいそうな光景。
そこにこれから自らも加わるのだと思えば、それも一入だった。
……ただ、少し予想外だったのが――。
「……えっと」
――人の密度だった。
参道が人で埋まっている。
真っ直ぐに歩くのも難しいように見えた。目の前が人で埋まっていて、壁が目の前にそびえたっているようにしか見えない。
右を見ても左を見ても人、人、人。
一度中に入ったら両脇の屋台も見えなくなりそうな……。
……気圧されてつい視線を逸らし、改めて前を向く。
当然、何も変わっていなかった。
あれ、ここってこれほど人が多かったっけ。そんなことを思う。
去年はここまでじゃなかったような……。
「……」
……いや、僕が変わっただけか。
以前の体は身長が高かったし、周囲より頭一つ出ていたから。視点が変わると見える世界が変わるのは、この数か月何度も確認してきたことだ。
……人が多いのは分かっていたけど、これほど威圧感を感じるとは思っていなかった。
「随分人が多いですね。この神社がこんなに賑わってるなんて知りませんでした」
と、彼の声が上から聞こえてくる。
見上げると、彼が驚いた顔で坂の上の神社を眺めていた。
「家から近いと思うけど、来たことなかったのかい?」
「全然です。……死にかける前は正月は友達の家で飲み明かしてましたから」
去年は後始末に実家に帰ってましたし――なんて言いながら彼が目を逸らし、自嘲するように頬をかく。
「でも、こんなに賑わってるなら顔を出しておけばよかったですね。……もったいないことをしたかもしれません」
それはまあ、確かにそうかもしれない。
ここの神社は、この地方では一番大きい神社の一つに数えられるし、だからこそ正月のお祝いも盛大だ。餅まきとかもやってるし、一見の価値はあるだろう。
……しかし、そうか。
彼はもったいなかったと思うのか。
「……じゃあ、頑張らないと」
小さく、呟く。そうだ、それなら頑張って案内しないと。
もったいなかったと思うのなら、今日はこれまでの分も楽しむべきだと思う。勉強も頑張っていたし、それも加えて精一杯息抜きできるようにしないと。
――彼の役に立てるように。力になれるように。
「……よし、今日は僕が奢っちゃおうかな」
「え?」
「出店とか、お守りとか。こう言う場所はやっぱり値段が高いし、そういうの僕が出すよ。これでも社会人だからね!」
大学生だし、お金はあまりないだろう。それじゃあ楽しめるものも楽しめない。
ここは立派な大人として、人生の後輩に手を差し伸べるのはなにも間違っていないと思う。
職場でも新人の歓迎会では上司や先輩職員が奢っていた。そういう点で見ても何もおかしくない。
「いや、ハルさん、流石にそれは」
「遠慮しなくていいよ? 大丈夫、結構持って来たからね」
彼が慌てたように止めるけれど、でも遠慮は無用だ。
今日は、彼に全力で羽を伸ばしてもらいたいし――。
――ん?
「ハルさん、それは勘弁してください」
……あれ、なんだろう。
彼が遠慮というか――本気で嫌がっているように見えるというか。
「どうしたんだい?」
「申し訳ないですし……それにその、言い辛いんですが、想像してみて欲しいんです」
「うん」
「俺とハルさんが屋台の前に立つとします。その状態でハルさんがお金を払ったら――それを見た人はどう思うのかを」
「……?」
どういうことだろう?
言っている意味がよく分からない。
「今俺がしているのは、外見の話です。……成人男性と、その、若い女性が並んで買い物をして、女性の方がお金を払うんです」
「……あ」
そこまで言われて、彼が何を心配しているのかを察する。
今の僕の外見だ。今の僕は客観的に見て、まだ幼い――十代前半くらいの少女の姿をしている。そんな子供に大人の男が奢られていたら、周りの人はどう思うのか。
……うん、まあ、白い目で見られるのは間違いないだろう。
「ハルさん」
「……うん」
「今日はむしろ、俺に出させて下さい。……もしかしたら大学の人間もいるかもしれませんし」
「……そうだね」
彼の立場やプライドの為にもそうしたほうがいいだろう。
僕が彼の立場だったら、必ずそうする。間違いない。
「……」
……少し、自分の外見への配慮が足りなかったのかもしれない。そんなことを思った。