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第2話 戻らない体


「あ、あの、どういうことなんですか!? なんで体が変わったままに!?」

「……落ち着いて下さい。もう一度検査をしましょう」


 一晩経っても体は戻っていなかった。昨日寝る前と変わらず、髪は長く金色のままで、体も小さいままだ。

 ……なんで? これじゃまるで僕が……。


「……っ」

 

 ……い、いや、そんなはずはない。そんなことありえない。

 僕は真っ当で正しい大人だ。実は心に傷があったなんて、そんなはず。


「あ、あの、先生、これは間違いですよね? 僕の体は治りますよね?」

「……今晩、もう一度薬を飲んでみましょう。過去に二度目の服用で治ったケースもありますから」


 ……二度目で?

 それなら、僕もその人と同じ?


「我々は治療に全力を尽くします。だからどうか落ち着いて。まずは精密検査をしましょう」

「……は、はい」


 ……そうだ。それならきっと二度目で治る。今回は間違いだったんだ。

 そうに違いない。だって僕の心は健康だ。このまま治らないなんて、そんなこと――。


 ――

 ――

 ――


 ――しかし。


「なんで、なんで戻ってないんですか!?」

「……これは」


 次の日。朝起きても僕の体は治ってなかった。

 体は小さいまま、窓に映った顔は、泣きそうな表情でこちらを見ていた。


「……残念ですが」

「そ、そんなこと……おかしいですよ! 僕は……」


 先生が首を横に振る。

 でもおかしい。ありえない。僕はいつだって立派に生きていたはずだ。


 人よりずっと早く独り立ちして、親に頼らず生きてきた。

 他人に頼らねば生きていけない人間より、よっぽどちゃんとしている。そのはずなのに!


「診断書を書きましょう。退院後のことはソーシャルワーカーの方に相談してください」

「そんな、こと……」

 

 ……でも、どれほどありえないと叫んでも、現実は変わらない。

 検査をしても治る手掛かりは見つからず、分かったのはこの体が完全に女性のものになっているということだけ。

 

 次の日もその次の日も、退院して家に帰ってきても、何度鏡を見直しても、僕の体は変わったままだった。



 ◆



 家に帰って、インターネットで調べてみた。

 薬を飲んでも戻れなかった人について。薬以外の方法で元に戻れた人はいないのか。


 元の体に戻りたいし、僕に傷なんてないと証明したい。

 だっておかしい。そんなはずない。薬が効かなかったのは何かの間違いで……


「……」


 ……しかし、何も見つからない。

 病気の原因は未だに何も見つかっていない。未知のままだ。だから僕は何もできず、何も変わらないままだった。



 ◆



 役所などに向かい、各種手続きを行なった。

 

 認めたくなくても、やるべきことはやらなくてはならない。

 僕は体が変わってしまって、当然免許証の写真などを替える必要がある。少し調べれば必要な手続きも書類も全て分かったので、後はその通りにするだけだった。


 そして、すべての手続きを終えた後、会社に事情を説明する。

 体が変わったことと、手続きも終わったので仕事にもすぐに復帰するつもりであることを伝えた。

 

 上司は驚いて、僕を気遣うようなことを言っていたが……でも、僕は自立した人間なのだから、ちょっと病気になったくらいで周りに迷惑はかけられない。


 僕は正しい社会人だ。きちんと働いて社会貢献しなくては。

 それでなくても入院して仕事に穴をあけてしまっているのだし、泣き言を言っている暇はなかった。

 

 元々在宅で働いていた身だ。体が変わったばかりで違和感も強いが、きっとすぐに慣れる。そうに違いない。そう思って――。


 ――

 ――

 ――


「――ん、く」


 手を伸ばす。精一杯背伸びする。

 全力で体を伸ばし、棚にある鍋に指を引っかけようとした。


「……く……む……はぁ、無理か……」


 しかし届かない。全力で体を伸ばしても、キッチンの上にある収納スペースには手が届かなかった。……これでは、調理器具が取り出せない。


「なんて不便な体だ」

 

 身長が低すぎる。踏み台を買っておけばよかった。

 もう夜なので今更買いに行くわけにもいかないし。


「もうちょっとなんだけど」


 指先は引っかかる。

 だからなにか、少し背を伸ばせるものがあればいい。


 何かないだろうかと周りを見渡す。


「――段ボール箱でいけるか」


 部屋の片隅にいくつかの箱が置いてあった。

 引っ越しの時に持って来て、そのまま開けずに放置していたものだ。


 ……確か、中には昔の本とかが入ってたような。

 近寄って開けると、中は懐かしい教科書が詰まっている。少しくらいなら上に乗れそうに見えた。


「……よし」


 早速とばかりにキッチンまで運び、その上に乗る。

 少し不安定な気はするけれど、さっさと用事を済ませようと手を伸ばし、鍋を手に取って――。


「……あっ」


 ――そのとき。

 足元でバキリと何かが壊れる音がした。

 

 突然足元がなくなったような感覚。そして鍋を持ったまま体はグラリと揺れて。


「……っ」

 

 咄嗟に鍋を投げ出して、顔から落ちる前に手を床につく。

 そしてなんとか床に頭を打ち付けるのを防いだ。


 ……しかし。


 ガン、と大きな音が鳴る。

 そしてグワングワンと金属が回る音がキッチンに反響した。


「やってしま……え?」


 そして、それだけでは終わらない。

 なんだろう、頭の上から皿がこすれるような音がする。


 上を見る。

 するとそこには今にも崩れそうになっている食器があって――。


「――!!」


 咄嗟にその場から転げる様に駆けだす。

 キッチンからワンルームの自分の部屋へと全力で逃げ込んだ。


 ――ガシャン! と凄まじい音がした。

 そして続けざまにガシャガシャと陶器が砕ける音が響く。頭の冷静な部分で、アパート中に聞こえてそうだな、なんて思った。


「……ああ」


 立ち上がり、キッチンを覗き込む。

 そこには食器の残骸が一面に広がっていて、正しく足の踏み場もなかった。


「……なんで、こんな」


 少しの間呆然として、やがて現実を理解する。

 やってしまった。少し横着して適当な足場を使ったばかりにこの有様だ。


 ……ちょっと泣きそうになって、慌ててそれを拭う。

 でも辛い。段ボールなんて使った自分が悪いのかもしれないけれど、それにしたってこれはあんまりじゃないか。


 それでなくても最近は辛いことがあったのに……。

 

「………………………………片付け、しないと」


 しばし呆然と見つめて、そのあとに呟く。


 もう色々嫌になりそうだけど、それでも放置するわけにはいかない。

 仕方なく、砕けた食器を包むものを探した。


 ――と。


 キンコンと、そんな音がした。

 チャイムが鳴った音だった。

 


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