表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/89

第13話 夢の変化


 子供が泣いていた。

 誰もいない真っ暗な部屋の中だ。


 一人の少年が、声を押し殺し泣いている。

 そんな姿を僕は少し遠い所から見ていた。


『……ひっく、ぐす……』


 膝を抱えているその少年は、かつての僕だ。

 親に嫌われ、味方もおらず、自分の中に閉じこもることしかできなかった頃の僕。


 ただ泣いてばかりの弱い子供だった。

 まだ幼くて、母を疑うことも出来ずに苦しんでいた。

 

『……なんで……ひっく、どうして……』


 なんで、どうしてそんなに辛いのか。

 それはまだ君が子供だからだよと、内心で呟く。


 人に頼っているから、人を信じているから辛いんだ。

 立派な正しい大人になって、一人で立っていれば辛くない。


 ……そうだ。

 どこかボンヤリした意識の中で理解する。

 

 この小さな僕は、大人になるときに切り離したかつての僕だ。

 大人になるために、立派な人間になるために捨てた弱い僕。


 だから、この子供はもう僕には関係ない――。


「――?」


 と、そのとき。

 

 遠くから、足音が聞こえた。

 ペタンペタンとスリッパで歩くような音だ。


 その音はだんだん近づいて来て、そしてすぐ傍で止まる。

 なんだろうと首を傾げて――。


『――ああ、ハルさん、ここにいたんですか』


 声がした。若い男の声。

 見ると、見覚えのある顔が小さな僕の傍にかがみこんでいた。


『こんな所にいちゃダメですよ。ほら、行きましょう?』


 幼い僕の手を、彼が握る。そして立ち上がるように促した。

 小さな僕は足に力を入れて、少しふらつきながら立ち上がる。


『……』


 彼が手を引く。そして歩き出す。

 僕は手をしっかりと握りしめて彼についていく。


 そして真っ暗な道を一歩ずつ歩いて行って……。


『……?』


 あれ?


 ふと、手を包む感触に気付いた。

 いつの間にか、手を引かれているのが小さな僕じゃなくて、僕自身になっていた。


 ……なんでだろう?

 分からないけど、でも暖かい。


 肌に伝わる温もりがある。

 手の中にそれを感じていると、なんだか無性に嬉しくなってきて――


 

 ――

 ――

 ――


 

 ――そんな夢を見た。

 目を覚ました時、僕は誰かの手を求めるように空に手を伸ばしていた。


「……?」


 なんだかとてもいい気分だった。

 だから、なんの夢を見ていたんだろうと反芻(はんすう)した。


 目を覚まして急速に薄れていく夢を忘れたくなくて――。

 

 ――そうだ。

 僕は、一人で泣いていて、そこに彼が……。


 ……手を引いて……嬉しくて……。


「……?」


 ……え? あれ?

 ……僕、なんかすごい夢を見てない?

 

 布団から置き上がる。

 なんだか少しだけ心臓がバクバクしていた。


「……あんなの」


 彼に手を引かれていた。その温かさが嬉しくて、幸せだった。

 泣いているところを彼に見つけてもらって、手を引いてもらう夢。


 でも、それって。

 そんなのって……。


 ……その、めちゃくちゃ恥ずかしい夢じゃない?

 そんなの、まるで僕が彼に手を引いてもらいたいと思っているみたいな……


 ……夢は欲望の表れだって言うし。


「……っ!!」


 咄嗟に叫びそうになって、口元を押さえる。

 顔に血が集まる感覚。一緒に抑えた頬は驚くほどに熱くなっていた。


「……ぁぁぁぁ」


 余りの恥ずかしさに、じわりと視界がにじむ。

 ……恥ずかしくて、恥ずかしくて、仕方なかった。


 

 ◆



 あんな夢、何かの間違いだよね、なんて思う。

 僕は立派な大人だし、いつだってきちんとしている。


 最近は変わり者な誰かと一緒にいる時間が長くなって、色々変わったような気もするけれど、でもそれで僕の本質は変わってない。


 僕は立派で正しい大人なんだから、あんな子供みたいな欲望が溢れ出した夢なんて見るわけがないんだ。うん、間違いない。


「……ハルさん?」

「なんだい?」

「顔、赤くないです?」

「気のせいじゃないかな?」

 

 うん、顔なんて赤くない。

 もし赤いとしたら、それは外が寒いからだよ。そうに決まってる。彼と話しててちょっと思い出したとか全く関係ない。


「そうですか?」

「そうだから、気にしないで。それに僕より今は君の方が大変なんだから」


 不思議そうな彼の追及を押しのけ、話を逸らす。

 そう。今は僕の夢なんかより、大切なことがあるはずだった。


「君の試験勉強、すごく忙しいんでしょ?」

「……ええ、まあ、はい」


 そう言うと、彼が疲れた表情でため息をつく。

 それはここ最近毎日のように見ている顔で、それもこれも彼の進級が決まる定期試験があと一カ月まで近づいて来ているからだった。


 具体的に言うと、今は十二月の終わりで試験が一月下旬らしい。


「顔、少しやつれてるし……甘いものでも食べるかい?」

「いただきます。自業自得とはいえ大変で」


 買い溜めているチョコを渡すと、彼がすぐに口に入れる。

 そして、また軽くため息をついて――


 ――いや、本当に疲れてるなぁ……。

 取らなきゃいけない単位の数を思ったら当然なんだろうけど。


 聞いたところによると、今期は取れる授業をすべて取っているらしい。

 時間割を見せてもらったら、毎日一限目から五限目まで埋まっていた。そして、その全てにレポートか試験があるらしい。


 ……それはまあ、間違いなく大変だろうなと思う。

 僕が現役の時は半分くらいは空きコマだった気がするし。もちろん学部によって違いはあるんだろうけど。


「……まあ、なんだ。食べたいものがあったら言ってくれていいよ。ココアとか飲む?」

「ありがとうございます……」


 項垂れた彼にお菓子や飲み物を差し出す。

 彼はそれらをもそもそと食べて……。


「ハルさんは……」

「なんだい」

「ハルさんは癒しですね……」

「なんだい、突然」


 このところ、彼はたまに変なことを言い出す。

 なんだろう、癒しって。大したことはしてないんだけど。なんだか顔が無性に熱くなるからやめてほしい。


「天使かと思う時があります……」

「いやいや」


 それは流石に言いすぎだ。

 そういうこと、気軽に言わない方がいいと思うんだけどなあ……後先考えずに変なこと言うと、勘違いされるよ?


 もちろん、僕は勘違いしないけど。

 でも一歩間違えたら変な人に付きまとわれたりするんじゃないだろうか?


「ハルさん可愛い……」

「なに言ってるんだか」


 彼の言葉を適当に流しながら、なんとなく彼から目を逸らす。

 そういうとこだぞ! と思いながら、明後日の方向を見た。

 

 丁度そこには、カレンダーが吊るされていて――。


「――」


 そのカレンダーには印が書き込まれている。

 それは、僕がこの体になって二カ月だという印だった。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  夢の中で(うっすらと)自覚する。  良いですね。  夢という、他の誰でもない己自身が作り出したものに気付かされるというのは。 [一言]  『彼』、疲労困憊で魂の声が漏れ出してるw  い…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ