第10話 夢と過去
本日は二話同時更新です
夢を見た。幼い頃の夢。
まだ僕が当たり前のように、幸せに生きていた頃。
カッコイイおとうさんと、やさしいおかあさんが大好きだったころ。そんな生活が、あたり前のようにつづくと信じていたころ。
ある日とつぜん、ぼくはいらない子になった。
よく分からなかったけれど、気付いたら、なにもかもダメになっていた。
おかあさんが、うわきをしていたらしい。おとうさんも、すきな人がいるらしい。二人はお互いのことがきらいになってしまったらしい。かおも見たくないらしい。ケッコンしたことがまちがいだったらしい。
だから、りこんすることになって……。
『お前が引き取れよ! お前が腹を痛めて生んだ子だろ!?』
『嫌よ! こぶ付きで彼と結婚なんてできるわけないじゃない!』
ぼくはじゃまなんだって言う。どちらの方に行きたいかと聞かれる。おとうさんはおかあさんがいいよなって言って。おかあさんはおとうさんにしなさいって言う。
二人といっしょがいい、と言うとムリなんだっておこられて。バカな子ね、て言われた。
まいにち、まいばん。おとうさんとおかあさんは、けんかをしていた。
ぼくはフトンをかぶって、耳をふさいでいた。そして泣いていた。声をださないようにしていた。だって声をだして泣いたら、またおこられるから。うるさいって。
『あーあ、最悪。あの野郎再婚しやがって。しかも金持ってんのにあんたの学費しか出さないとか』
しばらくして、ぼくはお母さんと引っこすことになった。
そしてお母さんはシゴトをはじめて、夜おそくまで帰ってこなくなった。
『アンタさえいなければ、こんなに苦労しなくていいのに』
お母さんはいつも言う。ぼくがきらいだって。
いなくなればいいのにって。ぼくのせいだって。
どうすればいいか分からなくて、先生にきいたら、もっとお母さんと話をしましょうと言われた。学校であった楽しい話をすればいいよって。だから、話しかけて……。
『疲れてんのよ! 余計な手間を掛けさせんな!』
おこられた。でもぼくはどうすればいいか分からない。
話しなさいと言われた。でも話せないなら、どうしたらいいんだろう。……どうすれば、お母さんは元のやさしいお母さんにもどってくれるんだろう?
『……お母さんは、どうしてぼくのことがきらいなの?』
『……はぁ?』
いつだっただろう。分からなくて、聞いてみたことがある。
理由を知りたかった。それをなおせば、元にもどってくれると思ってた。
だって、昔はやさしかった。お母さんと帰りみちに手をつないで歩いたことがあった。可愛い子ねと抱きしめてもらったことがあった。泣いているときに、やさしく頭をなでてくれたことがあった。だから。
……でも、それを聞くと、お母さんはバカにしたように笑って。
『あー、そうね。あんたが子供だからよ』
『……こどもだから?』
『そうよ。私に迷惑ばっかりかけて。早く大人になりなさい。そんでさっさと家から出ていって』
大人になればいいんだろうか。
それなら早く大人になりたい。大人になって家をでなきゃ。そうすればきっと……。
『大人になろう』
そう決めた。必死に頑張って、勉強した。料理や家事だって。
大人になれば、成長すれば、きっと、お母さんもまた元のお母さんになる。そう信じて――。
――
――
――
――そんなわけ、ないのにね?
◆
そんな、夢を見た。
「……最悪だ」
心臓がバクバクと鳴っている。
息が荒くて、全身は汗で塗れている。べったりとパジャマが張り付いていて、それがどうしようもないくらい不快だった。
「……相変わらず、嫌な夢だよ」
昔から何度も何度も見ている夢だけど、見るたびに最悪の気分になる。
馬鹿な子供だったときの記憶が問答無用で現れて、見たくもない顔を見せつけられる。これほど嫌なことがあるだろうか?
「なにが、元に戻るだ」
そんなことある訳がない。あの母は最後まで最悪の親だった。周りにいた他の大人から見たら別の感想があるのかもしれないが、子供の僕からしたらそれ以外の感想はない。
嫌いだし、憎んでいる。一人で子供を育てて苦労したのだと思うが、それに同情できないくらいには嫌な思い出が多い。顔も見たくないし、実際にもう十年近く顔を見ていない。どこに住んでいるのかもわからないし、連絡先だって知らない。
そもそも、大学入学のとき、家を出て連絡したら電話が繋がらなくなっていた。それがあの母の返事なのだと思うし、僕もそれはそれとして納得した。
父も大学入学時に四年分の学費をこちらに渡して、そのときに二度と連絡するなと言われて終わりだ。聞くところによると、新しい家族と幸せに暮らしているらしいが、もう僕には関係のない話でしかない。
「……本当に、馬鹿だったよ」
無垢に、母を信じていた。
その言葉の全てに真実が含まれているのだと思っていた。適当に僕をあしらっていたなんて思わなかった
……だから、僕は。
「……わからないよ」
いつからだろう。人と親しくなるのが怖くなった。目の前にいる人が突然豹変するのではないかと怖くなる。親しい人に、微笑んでいる人に、いきなり怒鳴りつけられるのではないかと。
だって、元は幸せだったんだ。優しい両親だった。それがたった一晩でめちゃくちゃになった。だったら、何を信じればいいんだろう。大切なものが一瞬で崩れ去るものだと知ってしまったのに。
優しいことも、辛いことだって、永遠には続かない。
なんでもそうだ。些細なきっかけで、人は好きだった人を嫌いになる。あったはずの繋がりは簡単に壊れてしまうことを僕は知っている。
……だから、僕はずっと一人で。
「……ダメだ」
そこまで考えて、頭を振る。
ダメだ。こんなこと考えるべきじゃない。
だって僕は立派な大人だ。あんな両親とは違う。正しい大人だ。
だからこんな普通じゃないことを考えるべきじゃない。
……でも。
「……彼は」
つい、そんなことを思った。
隣人の彼。怪我をして、助けてくれた。
……その、彼は。
「……寒い」
急に寒気を感じて、布団の中に潜り込む。
そのまましばらく、体が震えていた。
◆
「――それで、今度妹がこちらへ来るんですよ」
「へぇ……妹さん受験生なんだ」
夕飯時。彼と食卓を囲む時間。
僕たちはいつものように食事しながら会話をしていた。
卓袱台の上には、ご飯と彼が買って来た総菜。そして、僕が簡単に作った料理が並んでいる。二週間が経ち、足もかなり良くなってきて、これくらいは出来るようになった。彼も美味い美味いと食べていたし――。
――なんと言うか、作った甲斐もあったなって。
「大学を見て回るために、出来ればこちらに泊まりたい――なんて言ってまして。もしかしたら、そのときは少し騒がしくしてしまうかもしれません」
「いいよ。それくらい。積もる話もあるだろうしね」
僕の作った料理を箸で口に運びながら、彼は少し申し訳なさそうにする。
ぼくはそれに頷いて返した。
久しぶりの再会だ。きっと話し合いたいことも、分かち合いたいこともあるだろう。……まあ、全部想像だけど。家族が家を訪ねてくる、という状況は、僕には縁が遠すぎてイメージすることしかできない。
……でも、きっと良いものなんだろう。だから彼は申し訳なさそうにしながらも、少し嬉しそうに口の端が上がっている。
「……家族は、大切にしないとね」
僕の家庭は壊れていたけれど、普通はそうじゃないことくらい知っている。昔は楽しそうに笑い合う姿を見て羨んだことだってあった。
……少し、彼が普通に家族と仲良くしているのが妬ましくて、嬉しい。
「……ハルさん?」
「なんだい?」
「……今日、何かありましたか?」
……? 何か?
突然、そう問いかけられて首を傾げる。
「その、落ち込んでいるように見えて。気のせいだったら申し訳ないです」
「……」
落ち込んでる……そう言われても、特には――。
『――アンタさえいなければ、こんなに苦労しなくていいのに』
……昔のことだ。
何度も見てきた夢でしかない。
「なにもないよ」
「……そうですか?」
彼が心配そうにのぞき込んでくる。
でも大丈夫だ。僕は立派な大人で、ちゃんと一人で生きていけるんだから。
「何かあったら、俺に何でも言ってくださいね?」
「ふふ、なにがそんなに心配なんだか」
僕は大丈夫だ。絶対に大丈夫。
そうに決まってる。
「……」
……でも、ふと思う。
彼とこうしているのは一体いつまでだろうか、と。
……きっと長くは続かない。全てが壊れてしまったあの日のように、終わる日は必ずやってくる。
そうだ。それに、この足だって、もうすぐ――。