第1話 変わった日
よろしくお願いします
おかしな病気が流行り出した。
それは発症者の体を作り替える病だった。
とある男は、体から猫のような毛が生えた。
とある女は、身長が数十センチ伸びた。
とある老人は、幼い子供の姿になって。
とある幼子は、性別が変わってしまった。
かつてない奇病。物語の中にしか無かったはずのそれ。
物理学的な法則をいくつか無視したその病気は、しかし現実のものとしてそこにあった。
発見されたのはちょうど一年くらい前。
当初、世界はそれはもう混乱した。多くの科学者が死にそうな顔になり、医者は説明を求められて頭を抱えていた。
一部では物理法則の崩壊が危惧され、世界の終わりが叫ばれた。ノストラダムス的な予言がどこからか湧いてきて、街頭には終末論者が立った。
原理は不明。原因も不明。
発症者の分布と時期から、ウイルス説や細菌説はほぼ否定され、発症するか否かは運次第だと言われた。
恐怖にかられた人々はパニックになり、一部の人間は逆に進んで罹ろうとした。
どこもかしこも大騒ぎになって、暴動やデモなども起きた。まさに世紀末とも言うべき光景が世界中に広がって――。
――しかし、一か月後、それはあっさりと終息した。
治療薬が発見されたからだ。
さして特別でもない、既存のとある病気の治療薬。それが何故かてきめんに効いた。
これも理由は分からない。訳が分からない。
薬を飲んだだけで減ったはずの質量が戻るのを見た物理学者が、大学を辞めて出家したくらいには理解不能だ。
……しかし、例え分からなくても、世界は沈静化した。
薬を飲めば一部の特殊な事情の人間以外は問題ないと分かり、皆胸をなでおろした。
そして、一年経った今となっては、この病気は日常の風景の一つとなっている。
◆
朝起きると、体が少女のものになっていた。
気付いたのはベッドから体を起こした時。頭を引っ張られているような違和感があった。
なんだろうと手を回してみたら、金色の帯のようなものが布団に垂れていて。
混乱し、鏡を見て――少しして納得する。
ああ、あの病気か。とうとう自分の番がやって来たのか、と。
鏡の中に、金色の髪をした幼い少女がいる。
年のころは十代前半くらいだろうか。それくらいの見た目だ。
「僕は、こうなったのか」
驚いたものの、恐れはない。
だって治る病気だ。治療法はすでに確立され、ほとんどの人は治療すればすぐに治る。
治らないのは一部の特殊な事情がある人だけ。その人だって普段から定期的に治療薬を飲めば予防できることが分かっているので問題はない。
不思議ではある。解明は全くされていない。
でも、治療法が分かっているのなら、恐れることはない。
むしろ最近なんて、一部の若い人には娯楽のように捉えられているとニュースで言っていた。外見が変わることを楽しみ、SNSに上げて遊んでいるのだと。一年前はなによりも恐れられていた病気は、今となってはその程度の扱いだった。
「……ビックリはしたけれど」
でもまあ、どこまで行ってもその程度でしかない。
やるべきことをして、薬を飲めば明日には元に戻っている程度の問題だ。
だから、冷静な対応を。
僕は立派な大人なのだから、必要以上に慌てるわけにはいかない。
「……えっと、電話番号は」
ベッドに戻り、枕元の携帯電話を手に取る。
そして、片手で持てなくなった携帯を両手で操作した。
この病気になったら、まず地域の保健所へ。あらかじめそう決まっていた。
◆
「――では、おねがいします」
話はあっさりと終わった。
車をすぐに回してくれるらしい。ついでに服の手配も。流石に今の服装で外に出るわけにはいかないので助かった。
なにせ、改めて確認すると、体が酷く縮んでいる
身長はおそらくかなり低い。昨日までは普通だった身の回りのものが、一回りも二回りも大きく見えた。
着ている服もぶかぶかでまともに着用できてない。寝巻代わりのTシャツの襟は大きく開いて、肩が見えそうになっている。短パンはずり落ちそうになったので、紐で無理やり結んでいた。
……みっともないが、これは仕方のないことだ。元は成人男性だった僕が、こんな体に合う服を持っているはずがない。だから服を持って来て貰えなければ、情けない姿で外に出る必要があっただろう。それは一端の社会人として遠慮したいところだった。
「……ふう」
……でも、とりあえずは大丈夫みたいだ。
連絡も無事に済み、少し気が抜けて溜息をつく。
そして、何をするでもなく天井を見上げた。
「……」
――なんとなく、先程の会話を思い出す。
保健所の職員と話したこと。確認事項の一つを。
『精神の状態に不安はありますか?』
と、そんなことを質問された。
これは、治療に大きく影響を与えるからだと聞いている。
この病気は、精神状態に大きな影響を受けるからだ。
理由はこれも分からない。でも、この病気は人の心の傷に強くまとわりつくのだと言う。
薬を飲めば、通常、体は元に戻る。
……しかし心に傷を抱えている人だけは例外的に薬を飲んでも治らず、変わったままの姿で固定化されてしまう。
とはいえ、それも予防のために普段から薬を飲み続けていれば問題は無い。
だが、少数いるのだそうだ。自分の心から目を逸らし、結果的に体が戻らなくなってしまう人が。
「まあ、僕には関係ないけれど」
でも僕にそんな心配は必要ない。
当然、保健所の人にも不安は無いと答えた。
心も体もケアは万全だし、これまでに違和感を覚えたこともない。
なにせ僕は、個人で完結している。他の人間のように他者に左右されたりはしない。
友達や恋人なんて不確かなものに依存はしないし、だから僕はいつだって安定している。僕――古寺晴は冷静で正しい大人だ。この体だってすぐに治るに違いない。
「……」
そう、結論を出して、車を待つ。
いつものように音楽をかけ、椅子の背もたれに体重をかける。
……コップに注いだ水がいつもよりずっと多く感じて、それが少し印象的だった。
◆
病院に運ばれ、軽い検査の後、問診で僕が僕だと認められる。
その後は病室に移されて、薬を飲んだ。
たった一晩の宿となる病室は一人部屋で、少し安心する。
他人の気配があると、僕はよく眠れないから。もう幼いころからずっとだ。
「……」
一晩。それで体は治ると聞いている。
明日の朝にはもう元の体だ。この少女の姿も短い付き合いだった。
「……寝よう」
ベッドに横になり、目を閉じる。
おやすみなさい。また明日から正しい社会人として頑張らないと。
「――」
――眠りに落ちていく。
その途中、目を閉じる直前に見た錯覚が瞼の裏に浮かんだ。
……窓に映った少女の顔は、なんだか泣きそうに見えた。
◆
――遠くから、鳥の声が聞こえて目が覚めた。
もう朝かと目を擦り、体に伝わるシーツの感触に違和感を覚える。
……ああ、そうだ。
僕は昨日、例の病気にかかって、入院していたんだった。
でももう治っているはずだし、すぐに退院だろう。
その後は家に帰って、早速仕事にとりかからないと――。
「――ん?」
……あれ?
何かがおかしい。目を開けて、それに気づいた。
手が小さい気がする。それに金色の何かが視界の端で揺れている。
「……なに、これ」
頬を触る。慣れたものとは違う柔らかい手触りがそこにあった。
それに声もおかしい。僕の声じゃない。これじゃまるで、少女のような。
「……」
震える手で、ベッドの脇に置かれたスマホに手を伸ばす。
そして、カメラアプリを起動して――。
――見た。
「……なんで」
そこにいたのは、昨日と同じ金髪の少女だった。