Scene_002_異世界
町中は人通りが少なく、誰もが金飾りの装飾品や宝石をあしらった指輪を付けている。
歩いていくと、修道服を着ていて、黒髪で赤茶の瞳の女性が一人で声を上げていた。
「どうか、レウズ教復興のための献金をお願いします。皆様のお力添えがあれば、より多くの方をお救いすることができるのです」
町の人が通り過ぎていく中、女性はこちらを真っ直ぐ見つめてくる。
まさかとは思うけど、声をかけてくるつもりじゃ……。
「そこの君、ああ。もしかして転移者の方ですか? どうか献金をお願いします」
まだあそこにいたか。
あいつ、転移者にまでタカりやがって。
詐欺師め。
町の人たちが通り際に、小さな声で女性を非難する。
無視するか、相手にするか難しい。
ヤバそうな相手だけど、非難されてるのは何だか見過ごせない。
それにどんなキャラなのか、少し気になる。
ゲームに近いこの世界なら用意されてる加入イベントかもしれないし、きっと上手くいくはずだ。
俺は思い切って女性に近付く。
「ありがとうございます。私はエズメと言います。良ければあなたの名をお聞かせください」
女性は感激している様子で、指を組んだ手を打ち震わせながら話す。
俺はホログラムを出して操作する。
一覧にある保有物から所持金を確認すると、剣や防具、回復薬や食糧と共に10万ゴールド入っていた。
俺は5000ゴールド引き出し、手元に現れた金貨袋をエズメに手渡す。
「ありがとうございます。あの……もし良ければ一緒に冒険をさせて頂けないでしょうか? その、お仲間が一人もおられないようですし、私はレウズ教復興のために各地へ布教しなくてはなりません。それに私は神に認められた者だけが扱える、耐性を持つ相手のいない希少な光魔法を行使できます。転移者の方でも習得できた方はいないとお聞きしています、必ずお役に立てるはずです」
一緒に冒険? こんなにあっさり加入してくる感じなら、慎重に決断した方がいい……のか?
俺が困っていると、女性は我に返ったように周囲を見渡す。
周囲の人々からは冷たい目が向けられている。
「す……すみません。要求ばかりでご迷惑でしたね、私の考えは甘かったようです」
女性は金貨袋を俺に返し、逃げるように走っていく。
俺はその場に立ち尽くす。
女性に向けられていた避難の声。
ただ立ち尽くす自分。
手元の金貨袋が消え、所持金の額が10万ゴールドに戻る。
これで良いのか? ゲームみたいなもんだからって、ゲーム感覚でやっていって。
でも現実で普通にやってて上手くいかなかった分、その方が上手くやって行けるんじゃないか?
頬に一筋の冷たい汗が流れる。
立ち尽くしたまま考え事をしていると、女性の悲鳴が聞こえる。
俺はその方向へと急いで向かう。
エズメが大きなサソリのモンスターと戦っている。
それをラクダのような生き物をつなぎ、荷車に乗っている善人そうな顔つきの商人が、町の方から冷たい目で見守る。
サソリの背には不自然に小さな穴があり、エズメは腹に深手の傷を負い、修道服に大きな血のシミができている。
エズメは町の方へと後ずさるが、砂に足を取られて転び、そこへサソリの尖った尾が突き立てられる――—
間一髪だった。
剣を振ると、サソリの尾が切れ吹っ飛んでいく。
緊張で冷や汗が垂れる。
剣を握り締め直しながら、レヴララの言葉を思い出す。
有利な固有スキルや特攻系をその場で取る。
焦らないことだ。
開きっぱなしのホログラムには、ギフト一覧の固有能力取得にある《迅雷》と《虫類特効》が黄色く点灯していた。
大きなサソリは鋏を上げ、こちらを威嚇する。
エズメが座り込んだまま手指を組み、何か言い始める。
「混沌から解放されし純善たる光。かの牢獄を打ち破れ!」
振り下ろされたサソリの鋏を弾き返すと、鋏にヒビが入る。
心臓をバクバク言ってて、息切れする。
もう片方の鋏を開いた隙間から切り裂く。
これでもう攻撃手段はないはずだ。
速くエズメを回復しないと、ゲームと違って蘇生がないかもしれないし死ぬかも知れない。
でも、こんな大きな相手をチマチマ切ってる暇はない。
サソリが怯んでいると、天から細い光の柱が降り注ぎ、数秒かけてその胴体に風穴が開く。
するとサソリは黒い煙を出し、それに溶け込むかのように消える。
俺は急いでホログラムを開き、回復魔法にスキルポイントを割り振ってエズメに使う。
エズメの傷が癒えたのかは分からないが、苦しそうな表情が少しずつ和らぐ。
「……ありがとうございます。でも、そこまでなさる必要はないのに」
エズメは少しふらつきながら立ち上がり、町の方へと歩く。
心配になる足取りだ。
このまま放っておいて大丈夫だろうか。
商人がエズメを見下ろした後、こっちを見る。
「すみません。私はこの商人さんと大事な話があります。席を外していただけますか?」
何だか不安だけど、俺は言われた通り、二人から離れ町の方へと戻る。
少年の姿が見えなくなり、商人がエズメに声をかける。
「おい、お前。やっぱりこの町の外へ出してやってもいいぞ」
「……どうせ条件があるのでしょう?」
「その通り。あの転移者の所持金全てを俺に渡せば、安全に隣町まで送り届けてやる。見たところまだ初心者だ、10万ゴールドは持っているだろう」
「そんなこと絶対にしません」
商人は笑みを浮かべる。
「問題だ。お前の評判は地に落ちている。雇う者も献金する者もいない。それに数日は食事を口にしていないのだろう? さて、お前には選択肢がある。このまま滞在し続けて餓死するか、献金を求め続け衛兵から斬られて死ぬか、さっきみたくモンスターから襲われて死ぬか、俺に従うか。死ぬか従うか。どちらが正解かなんて簡単なことだ」
「……分かりました。待っていてください」
エズメはフラフラと町の方へと向かう。
俺が建物の陰に座り休んでいると、隣にエズメが座る。
俺は少しエズメから離れる。
休んでる間に通りすがりの人の立ち話を聞いた。
このエズメという人は他の町でも見かけられたそうで、その時も献金を募っていたらしい。
その金を酒場で使い、飲み明かしていたということだそうだ。
よくよく考えてみれば、MMORPGでお金を貰おうとする相手はそのまま持ち去るのが多い。
俺のことを転移者と言ってたし、所持金の額なんかも見えてるかも知れない。
どうせ隙を窺って、全て持ち去る気だ。
どうせ現実と変わりっこない。
転移先で都合のいい展開が待ってるなんてのは幻想だ。
「お休みされているところすみません。先ほどのモンスターとの戦闘で怪我をしませんでしたか?」
俺は首を横に振る。
「……それならよかった。えっと、命を助けて頂いたお礼に何かさせてほしくて。いいでしょうか?」
俺が黙っていると、エズメは項垂れ、手指を組んで呟き始める。
戦闘中もやってたけど、魔法の詠唱だろうか?
あの時の光の柱がそうだとすると、ラグがあり過ぎだが。
「神よ、力を与えてくださったあなたへの非礼をお許しください。役目を全うできず申し訳ありません」
俺はエズメの様子を見て、固唾を呑む。
この人は詐欺師かも知れない。
でも、切羽詰まったようなこの様子は何かがおかしい。
何がこの人をここまで追い詰めてる?
……今の風評が嘘で、いじめのようなことを受けているとしたら放って置けない。
何かが起きる前に、俺にできることがあるかもしれない。
「……な……なって……ほしい。仲間に」
思うように声が出ない。
引きこもり中、一切喋らなかったから仕方ないだろうけど……こんな様子見せてしまったのだから、さぞ失望させてしまったことだろう。
エズメは暗い顔でこちらを見る。
俺は少し息を吸い、口を開く。
「……仲間になって……一緒に戦って、くれたら嬉しい」
「あ……ありがとうございます! 必ずお役に立って見せます!」
エズメのお腹が鳴る。
「アハハ、安心したら急にお腹が空きました」
俺は所持品から非常食と水を選ぶ。
乾パンのようなものがいくつかと竹筒の水筒が一つ、俺の両手の上に現れる。
「……食べて」
「いただきます!」
エズメは頬を薄赤くしながら、乾パンをゆっくりと食べ、水筒の水を飲む。
どうやら旅費すらない状態だったようだ。
助けてよかったのかはまだ分からないけど、命は救えたらしい。
しばらくして、エズメは俺に寄りかかって眠る。
少しだけ重い。
俺はホログラムを操作し、《案内》と書かれている場所に触れ、《世界観》《戦闘システム》などといった内容を閲覧していく。
食事
・現実と同じように、生きるには食事と睡眠が必要。
・食べ物は所持品一覧に保管すると腐らない。
時間経過
・現実世界と同じ。
地形変動
・六年に一度、ギルド本部とその周辺を除き地形変動が起きる。
地形変動の起きる日にモンスターの活動は活発になる。
未来経路
・転移者のみ、[未来経路]を入手可能。
[未来経路]は特定のモンスター討伐時やレベルアップ時、依頼完遂時、転移者キル時に入手できる。
所持品一覧から使用すると消費され、未来で起こり得ることをランダムに30秒間体験し、起こる日時と取得順をアイテム名として保管する。
XXに[未来経路]を移すと、その体験が現実に起こる。
……いくつものタイトルと箇条書きが並んでいる。
俺はそれらを見ながら、ついつい眉をピクリと動かす。
やっぱり情報量が多いし、見ただけだと分からないのもある。
でも最低限、目は通しとかないと。
とりあえず気になってた所持金については、額を他人から見られることはなく、自分の意思でホログラムを操作しない限り引き出されないらしい。
突然、小さな音とともに《通知》と書かれた四角ボタンが薄い赤枠と共にホログラム上に現れる。
それに触れると、案内という件名と日時、差出人にはジャムルと出る。
ボイスメモを再生しますか? というダイアログが現れたので、とりあえず[はい]を押す。
「よお。もしまだ移動していないんだったら町を目指せ。ホログラムの一覧からマップを選んで、黄色の点が君の位置だ。町の位置はなんとなく分かるだろう。着いたらまた……いや、着いてるみたいだな。早いもんだ。街で死ぬことはないし、暇ならこの世界のことを色々と調べてみてくれ。ホログラムに目を通すだけでも十分かもな」
ホログラムには、再生を終了しました、とダイアログが出る。
ホログラムを閉じた後、ついつい小さなため息が出た。
この案内人、雑過ぎないか?
それにどうやって俺の居場所を調べてるんだ。
「こんにちは。先程はお見事でした」
俺とエズメの元に、荷車に乗っていた商人が近付いて話しかけてくる。
商人はエズメを見下ろす。
「しかし、何故そのような詐欺師を助けたのですか?」
「詐欺……師?」
「ええ。ここいらでは有名な詐欺師です。献金を募り、献金した相手に近付き、根こそぎ財産を奪っては各地を巡る極悪人。そして奪った金で豪遊し、貧民となった者を嘲り笑う。……あの時は町の外へと突き出し、私の恨みを晴らすつもりでしたが。生き延びてしまったようですね」
俺はエズメを抱え、壁にもたれ掛からせて離れる。
「しかし、こやつがこの町へ来たのはラッキーです。この町から安全に出るには、交易隊か輸送隊の同行が不可欠。ここに閉じ込め、飢え死にさせる。そうしなければ、我々の恨みは晴れません」
商人は憎しみに満ちた顔でエズメを見る。
エズメの寝顔は満ち足りているが、少し不安そうにも見える。
「転移者様も、どうかご協力を」
俺が返事を渋っていると、商人は微笑んで立ち去ってゆく。
エズメの隣に座り直し、寝顔を見つめてみる。
どうにも悪人とは思えない。
ホログラムと睨めっこしていると、何かが頬をつつく。
驚いてその方向を見ると、エズメは安心し切ったような顔で笑う。
「何か調べているのですか?」
「この……世界のこと、何も知らないから」
「もしかして、レウズ教に関する説明文が記載されていたりは」
「ない……みたい。それより、エズメが詐欺師かも知れないって話を……聞いたんだけど」
エズメの顔色が一気に青ざめる。
「献金を求めていると、そういった悪い噂も立つものです」
「そう……かも」
「それより、お買い物されませんか? この町はお金持ちが多く、レアかつ有用なものが多く流通します」
「いや、この町を出よう。二人なら1万ゴールドで出られるから」
町の外の方へと歩くと、エズメが俺の手を掴む。
「まっ、待ってください! せっかく来ましたし、それに道具を揃えてから直に砂漠を渡る方が安上がりなはずです。あなたはお強いのですから」
「……分かった」
エズメは冷や汗を垂らしている。
焦ってる様子が怪し過ぎて、俺は冷ややかな目線をエズメに向ける。
エズメはこちらから目を逸らし、申し訳なさそうに俯く。
事情は気になるけど、よくよく考えてみれば詐欺師なんていうのは犯罪者だ。
そういう手段を取るヤツなんて、やっぱりどうかしてる。
詐欺師なのがハッキリしたら、パーティーから追い出して逃げよう。
同情して助けるなんてしたら、エズメの思う壺だ。
いつのまにか、日が沈み始める。
「もう夜になりますし、野宿できる場所を探しましょう」
「宿は?」
「数万ゴールドかかるので……野宿した方がいいです。幸いこの町の気温はマジックアイテムでコントロールされてるので、快適なんですよ」




