表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/42

7 祖母マルティーナ

 楽しかった外出から帰宅し、着替えを済ませて何気なく机の上の予定表を見た。そこには一年後の結婚に向けて日時とやるべきことがぎっしり書き込まれていた。


 家政の仕切り方の勉強、貴族の派閥や各家の歴史のおさらい、ダンスレッスン、モーリスとのデート。他にも色々あったがそれらの予定は全部なくなった。


「ぼんやりすごしてたらだめよね」


 優秀な弟ならこんなとき勉学に時間を使うのだろうが、自分は特に得意なこともない。どうしたものか。

 婚約を解消して以来、両親は自分に妙に優しい。心配されているのだ。部屋に引きこもっていればもっと心配するだろう。


「何か没頭できるものがあるといいのだけれど」

 そうつぶやきながら予定表を丸めてゴミ箱に捨てた。




 夕食の席。ディディエ伯爵とシャルロット夫人は優しい声で「今日の鶏肉のソテーは味付けが良くできているな」「デザートは冷たく冷やした瓜だそうよ。甘いといいわね」とにこやかにアリスに話しかけてくる。


 冷たい瓜は甘く美味しかったがアリスは昼間の外出が楽しかっただけに今後ぽっかり空く時間をどう過ごすかに悩んでいた。キラキラ近衛騎士のお礼の話は今の両親に話せば過剰に大騒ぎされるような気がする。面倒だ。そのうち話すことにしよう、と判断した。


 夕食後、しばらくベッドの上をゴロゴロと右に左に転がっていたが、「そうだ!」と思いつく。今後、白紙となった時間をどう過ごせばいいかアドバイスをしてくれそうな人がいるではないか。






 翌日。遊びに来たアリスの話を聞いて、祖母のマルティーナは微笑んだ。


「そうだったの。婚約を解消をしたとは聞いたけど、詳しいことは聞いていなかったのよ。一度あなたを呼ばなくちゃとは思っていたけれど。そう。そんなことが。婚約は解消して正解よ。今のあなたはまだ硬いつぼみだけれど、十分に可愛らしいわ。あと三年もしてごらん。顔も体も柔らかいラインになる。今よりもっとずっと綺麗になるわ。いくらでも相手は見つかるわよ」


「それって私が痩せすぎてるってこと?でも食べても食べても肉がつかないんですもの。特に胸が」


「あなたは私の娘時代によく似ているから断言するけど、痩せているのは時間が解決するわ。保証する。それより、私はあなたの流されるところが心配よ」


「私、流されてますか?」


「ええ。盛大にね。『貴族はこういうもの』『レディたるものこうでなくては』って自分で自分をがんじがらめにしてる。そんなにいい子でいる必要はないのよ。人生はあなたが思うほど長くはないわ。もっと好きなことをやりなさい。そうねぇ、自分にはこれがある!ってものをひとつ持つと、人生は変わるわよ」


 祖母はそう言って微笑んだ。


 たしかに自分にはそんな胸を張れるようなものは何もない。それに今までは『無難に大人しく悪目立ちしないように』をモットーにして生きてきた。


「自分に自信と誇りがあれば、人生は楽しいわ。もし、自分にはこの道がある!と思うものが見つかって、その道を突き進みたいと思ったら教えてね。退屈な老人に楽しみを与えてちょうだい」


 祖母は独身の頃に鉱山に投資して大きな利益を上げた人だ。当時女性で表立って投資をする人はいなかったから、随分色々言われたそうだ。祖母と自分はともに金髪に青い目。顔立ちも似ているが、祖母は自分とは真逆の生き方だ。自分はそんな祖母を尊敬している。

 

 とりあえず自分は三年もすれば女らしい体つきになるらしいことはわかった。でも、自分にはこれがある、と誇れる物が思いつかない。スッキリしたようなしないような気分で家に帰った。





 アリスは勉強の中では語学学習がわりと好きだったので手始めに外国語の勉強をしようと思った。だが貴族なら誰でもひと通り話せる隣国のグラース帝国の言葉を学んでも「自分にはこれがある!」と誇れるようになるのは至難の業だ。


 それならコルマ語はどうだろうか。

 ここシャンベル王国は東にグラース帝国、南は海、西は多民族国家ハリル共和国、北は高い山脈に囲まれている。ハリル共和国は言語が何十もあると言う話だから今は置いておこう。


 コルマ王国はグラース帝国の南に位置していてシャンベル王国と国境は接していないが、人と物の行き来は海路を通ってそこそこはある。コルマ王国は石炭の輸出国であり、大切な取り引き相手のはずだが、シャンベル王国ではコルマ王国を文化がやや遅れた国という見方をする。なのでコルマ語を学ぶ人は貴族にはほとんどいない。学んでいる人が少ないところから挑戦してみるのが自分にはいいかもしれない。


 コルマ語を勉強してみたいと父に申し出ると、父は「いい気分転換になるだろう」と賛成してくれた。父は娘が婚約解消で傷ついていると思い込んでいるのだ。実際は清々しているのだが。





 コルマ語の家庭教師は意外なところから見つかった。

 父の喫煙具を扱っている輸入雑貨商のエリックさんの奥さんだ。コリンナさんというらしい。エリックさんがコルマ王国に頻繁に出かけているうちに恋仲になって結婚したそうな。父の「外国語の教師はその国の王都出身者に限る」という方針にも当てはまり、数日後にはレッスンが始められた。




 コリンナさんは三十代の物腰の柔らかい女性だった。ゆるやかなウエーブのある長い黒髪と黒い瞳。異国の美女という印象だった。

 コルマ語のレッスンは楽しくて、どんどん進んだ。自分から取り組む勉強はなんと楽しいことか。そしてなんとサクサク頭に入って来ることか。三ヶ月が過ぎるころには先生とコルマ語で簡単な会話ができるまでになった。




「今日はコルマ王国の文化について勉強しましょう。外国語のレッスンと文化の理解は切り離すことができません。相手の国の文化を知ることが言葉の理解を深めるのです」


 最初に教わったのは、コルマ王国は一夫多妻が許されていること。知識として知ってはいたが、その文化で育った人に聞くのはドキドキする。


「この国との一番大きな文化の違いはそこです。そして文学、演劇、絵画などコルマの文化の多くが一夫多妻の影響を受けています。夫に財力があり、妻たちを大切にできるなら四人まで妻を持つことが許されます」


「妻同士で喧嘩にならないのですか?」


「妻同士を仲良くさせられないのは夫の不手際と言われますし、裕福な家を揉め事で追い出されたりするのは損ですから仲良くしている家が多いです」


「損……」


「コルマ王国では結婚は女性の人生で最大の就職であり使命みたいなものです。平民でも女性の社会進出は遅れていますから裕福な男性に嫁いで実家を援助してもらうのは娘の大切な役割なのです。私もエリックと出会って結婚するまではそう思っていました」


「今は違うんですか?」


 コリンナ先生は私を見て優しく笑った。


「ええ、違います。互いに一人だけを愛して生きていく幸せというものがこの世にあるのだと知りましたから。私は本当に幸せです。それに結婚してもこうして外で働けますし」


 コリンナ先生は

「結婚の形は違いますが、家族を愛し美味しいものを愛するところはシャンベル王国と同じですよ」

 と言う言葉でその日の授業をまとめた。


 美味しいもの、という言葉にアリスがピクリと反応した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

5qe0c38vlojn53ykjavdbi657uaz_if4_ic_px_2jtu.jpg
 
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ