6 面白い店
アリスとモーリスの婚約解消は短期間でけりがついた。
アリスの母シャルロットは「アリスの婚約は解消します。あちらに応じてもらえない場合は破棄します」の立場から一歩も引かなかった。夫のディディエはそれを受け入れて両家の話し合いの場に臨んだ。
モーリスの両親は息子の行いをとても恥じて、解消に同意した。むしろ一方的に婚約破棄としなかったことを感謝された。婚約破棄となると貴族籍統括管理部への届けにその理由を書かねばならないからだ。解消ならば『双方合意の上で解消』の記載だけで済む。
モーリスからは形式的な短い謝罪の手紙が一通来た。その型通りの文面を読んで彼と最後まで心が通わなかったことをアリスはほろ苦く笑った。
アリスとモーリスの婚約解消は貴族の間でちょっとした話題になった。礼拝堂の奇跡の噂とセットで面白おかしくネタにされたのだろう。
「女の子の間ではモーリスの評判は急降下よ。彼には当分誰も近寄らないと思うわ。いい気味よ」
友人のイレーヌはクッキー片手に鼻息が荒い。
「イレーヌ、私ね、婚約を解消しても寂しくもなんともないの。以前から自分が彼と合わないのは薄々気づいていたし。だからもう彼には興味も関心も無いわ。せっかく会えたんだから楽しい話をしましょうよ」
イレーヌは「うん、そうね」とうなずいて話題を変えた。
「あなたが思ったより元気だから安心したわ。そうそう、最近二番街に面白いお店ができたのよ。一緒に行かない?」
「面白いお店?」
「ケーキがテーブルに置かれた後に山盛りのホイップクリームが運ばれるの。好きなだけ自分でクリームをすくって足せるのよ!」
「最高。行くわ。ケーキはちゃんと大きいんでしょうね?気取った大きさだったら嫌よ?」
「ちゃんと大きいから安心して!それにしてもアリスはいいわよね、たくさん食べても太らなくって」
「それはそれで悩みの種よ」
ふっくらと女性らしい体つきのイレーヌに比べたら自分の身体は細すぎて貧相だ。
外出は勇気がいるがケーキの店なら安心だろう。アリスはモーリスと鉢合わせするのを恐れてずっと街への外出を控えていた。自分が悪いわけではないけれど、とにかく彼には会いたくなかったのだ。
イレーヌと待ち合わせしたのは午後二時ごろ。普段着で来るようにと言われてアリスはストンとしたワンピースを着てきた。胸の高さで切り替えがあって、胸から上はアイボリーホワイトで、下は紺色。ヒールの低い靴を履いてきた。
「お待たせ!さあ入りましょうか」
やって来たイレーヌも落ち着いた色味のピンクワンピースと歩きやすそうな靴だった。ワクワクしながらお店に入ると、店内は昼なのに薄暗い。たくさんの植物が床に置かれ天井からも鉢が吊り下げられて森の中みたいになっている。
「すごいわね」
「お店自体も面白いでしょ?」
二人でおしゃべりをして笑い、運ばれてきたベリーのケーキにクリームをたっぷり上乗せして食べた。生のベリーのジューシーさと甘酸っぱさ。下に敷かれたカスタードクリームのまろやかさ。山ほど盛り付けたホイップクリームのコク。どれもため息が出るほど美味しい。おしゃべりして笑い、楽しい時間を過ごしていた。
なのに笑っていたイレーヌが突然アリスの背後に目をやって黙った。何事かと振り返ったら自分のすぐ後ろにきらきらしい男の人が立っていて、アリスは驚きのあまり「ひっ」と声が出てしまった。
「歓談中失礼します。私はレオン・ド・ルシュール。先日、礼拝堂が倒壊したときにあなたが私の乳母を助けてくれたそうですね。乳母があなたで間違いないと言うので一言お礼をと。驚かせたのなら申し訳ない」
見るとあの日アリスが抱きかかえて避難させた老婦人が男性の後ろに立っていた。
「あの時の!」
「あの時はお嬢さんに本当にお世話になりました。頬のお怪我はその後どうなりましたか」
「ああ、もう、全然!全然なんともありません。気になさらないでくださいね」
キラキラ男性は背が高く体格が良く美しい。年齢は二十代半ばだろうか、鍛え上げてあるらしい胸板は厚く、腹回り腰回りはギュッと引き締まっている。短めの銀色の髪を後ろになでつけていて、目鼻立ちだけでなくあらわになった額までもが美しかった。ブルーグレーの切れ長の目は見ていると吸い込まれそうだ。
突然、「失礼します」と男性がその美しい顔を少しだけアリスの顔に近づけてアリスの顔を見た。美形が急に見つめてきたのでアリスは慌てふためいた。
「ななななんでしょう?」
「まだ少し傷が残っていますね。若いお嬢さんの顔に傷をつけたこと、エマがずっと気に病んでいるんです。もしご迷惑でなければ一度ちゃんとお礼をさせていただけないでしょうか」
顔の傷は気にする人は気にするだろうが、アリスは全く気にしていなかった。細く浅い傷だからいずれ消えるだろうし、もし痕が残ったとしてもごく小さいものだから化粧で隠せばいいと思っていた。そもそも傷はエマという老婦人のせいではないのだ。
「この傷はガラスか何かが飛んできたからで、そちらのご婦人のせいではありません。どうぞお気になさらないでくださいませ」
アリスはそう言ってお礼を固辞したが老婦人は「それでは私があちらに渡った時に女神様に叱られます」と大げさなことを言う。話を聞いていたイレーヌまでが「ご婦人の気が済むようにして差し上げるのも助けたあなたの役目よ」などと言い出して最後はアリスが折れた。
「どうかお名前を教えて下さい」と言われて「アリス・ド・ギルマンです」と告げると「ギルマン伯爵家のご令嬢でしたか。では後日連絡を差し上げます」とキラキラ男性は老婦人を連れて自分の席に戻っていった。
「すごいわね!本物のレオン様よ!レオン様とお話できるなんて!」
イレーヌが興奮している。
「えーと、ルシュール家って言うと……」
「あなたレオン様を知らないの?近衛騎士団の中でも一、二を争う剣の腕前にしてルシュール公爵家の嫡男じゃない!」
「うわぁ。あのルシュール公爵家?てことは国王陛下の甥ってこと?ひぇぇ。しかも近衛騎士団なの?色々と手に入れ過ぎじゃない?お名前は聞いてもあのお顔に気を取られて頭に入って来なかったのよ。あんなきれいな顔の男の人、私初めて見た」
「あの瞳!見た?私、目が離せなかった。アリス、冥界への手土産に絶対にお礼の席に行きなさいよ!」
「冥界への手土産って。まだ十五歳なんだから殺さないでよ」
二人で大興奮しながらもケーキを食べ尽くし、帰ろうとしたら支払いは先程お帰りになった方がもう済ませていると店員に言われる。美形はやることまでスマートだと二人は感心して店を出た。




