41 老婆
その日、空は澄み切って雲ひとつ浮かんでいなかった。朝までの雨が嘘のようである。
王都大教会でルシュール公爵家のレオンとギデオン伯爵家のアリスの結婚式が盛大に行われている。式を執り行っているのは高齢の大司教だが、副司教クロヴィスが全ての段取りを監督していた。
体の線にピッタリ合わせたウエディングドレスは、アリスの華奢な体つきを強調していて、襟元の大きなひだが花びらのようだ。アリスはまるで妖精の花嫁のように見えた。
首元には公爵家から贈られた豪華な宝石のついたネックレスをかけているが、手首には水晶玉のあのペンダントを巻き付けている。
何度も何度も水晶玉の中を覗き込み、その度に(よし、今のところ無事ね)と確認せずにはいられない。そんなアリスを隣に立つレオンが優しい眼差しで見守り、時折り微笑みかける。
式は無事進み、誓いの口づけを交わした時、アリスは(やっとここまでたどり着いた)という思いで思わず涙がこぼれた。その涙をレオンが指先ですくって「大丈夫だ、何が起きても君を守る」といつもの言葉を囁いてくれる。
小さくうなずいて、アリスは(幸せだわ)とまた涙ぐむ。
結婚式が終わり、礼拝堂から外に出て馬車に乗ろうとした時、周囲の人がざわめいた。
(最後の最後に何か起きた?)と固まるアリスにレオンが空を指さす。見上げると今朝までの雨のせいなのか、空に大きな虹が出ていた。
「運命の女神もさすがに今日は祝福してくれているようだね」
「本当ですね」
嬉しさでまた胸が詰まる。
こんな日が来ると知っていたら自分だけが次々と不運に遭っていた頃にあんなに悲しまなかったのに、と思う。
「姉さん、おめでとう」とアランも嬉しそうだ。
「アリス、幸せにね」と両親は潤んだ目で笑ってくれた。
馬車は大教会からほど近い公爵邸に向かって進み始めた。公爵家の結婚式をひと目見ようとたくさんの人々が道の両側に集まっていた。
窓から外に向かってレオンとアリスがそれぞれ反対側を向いて手を振っていると、その中に一人、黒いローブを着たあの老婆が立ってこちらを見ていた。
「レオン様!ペンダントをくれた人があそこに!」
「どこだ?」
一瞬目を離しただけなのに、レオンに教えようとそちらを見たが、老婆はもういなかった。
「どういうことかしら。なんだか怖い」
「大丈夫。きっと君を祝ってくれたんだよ」
「だといいのですが」
公爵邸に到着してレオンの手に自分の手を置いて馬車を降りると、すでに顔見知りになっている館の使用人たちが勢揃いして出迎えてくれている。
「レオン様、若奥様、おめでとうございます。そしてお帰りなさいませ」
執事の言葉に、アリスは自分が名実ともにこの家の人間になった実感が湧いた。
使用人たちに「若奥様」と呼ばれるのはなんとも気恥ずかしく嬉しく、アリスは夢見心地のままその日を終えた。
目を覚ますと隣にキラキラした銀髪のレオンが眠っていて、(これは現実なのね)とアリスは目を閉じて静かに胸の上で両手を握りしめて女神に感謝の祈りを捧げた。
そっとベッドを抜け出して自分の部屋に戻るとアリス付きのアメリが待っていた。
手早く湯を使い服を着替えていると、やはり伯爵家からついて来たリリーも入ってきた。
「若奥様、本日もお供をいたします。よろしくお願いいたします」
「リリー、今日は王宮にご挨拶に行くからよろしくね」
「かしこまりました」
リリーの素性は承知の上で公爵様がアリス付きの侍女兼護衛として受け入れてくれた。アメリとリリーは(上手くやれるかしら)というアリスの心配をよそに互いの役割を分担して仲良くやっている、
朝食の席でレオンが「目を覚ましたら花嫁がいなくてがっかりした」と文句を言ったが、アリスは寝起きの顔をレオンに見せる勇気はまだ無い。
笑いを堪えているらしいアメリを軽く睨んで
「申し訳ございません」
とアリスは澄ました顔で焼きたてのパンを堪能した。
やがて王宮に向かう時間になり、馬車に向かうと、居並ぶ騎士のうちの一人が妙に線が細い。おや、とその騎士を見ると、公爵家の騎士服を身につけているその細い男はチャドだった。
馬車に乗ってからレオンが
「チャドは我が家で護衛騎士を務めることになった。我流ながら戦闘に関してとても勘がいいと騎士隊長がほめていたよ。なにより身が軽いことは曲芸師並みだそうだ」
と教えてくれた。
「そうでしたか。ホッとしました」
「あんな腕の立つ少年をこのまま牢に閉じ込めたり裏の世界に置いておいたりするよりは、手元で役立たせた方が我が家にとってもこの国にとっても有益だからね」
「なるほど」
そんな会話をしているうちにすぐに王城に到着した。
国王陛下、王妃様、王太子殿下、王女殿下の四人と宰相が揃っている部屋でレオンが無事結婚式を終えたことを報告をした。
アリスは緊張して静かにレオンの隣で頭を下げていたが、国王陛下から
「二人で力を合わせて公爵家のため、国のために力を尽くすように」
とお言葉を賜り、公爵家の次期夫人となる重さを感じた。
丁寧に礼を述べて部屋を退出し、今は肩の荷を下ろしたような気分だ。
「王宮の庭でも見学して行くかい?」
レオンにそう言われて
「よろしいのですか?こんな機会は滅多にありませんから、是非!」
とアリスは飛び上がって喜んだ。
そして見事なバラや季節の花々を眺めていると、背の高いバラの陰からフッと濃い灰色のドレスを着たあの老婆が現れた。




