40 手に入れられなかった人
アリスが以前から楽しみにしていたタルト専門店で、三人はメニューを見ている。
ローズが迷いなく
「私はこの一日限定五皿の季節の果物盛り合わせタルトにするわ」
と言う。しかしもう夕方で限定五皿が残っているとは思えない。
アリスのそんな気持ちを読み取ったローズが
「大丈夫。ひとつは残っているはずよ」
と言い切る。
(どういうこと?)と思いながらも自分は栗のタルト、レオンも「俺もそれがいい」と決めてウェイターを呼んだ。
「はい、承りました」
なぜか限定の品が残っていたらしい。この店にローズが来るのはたまたまなのだから取り置きできるはずもない。
「うふふ。私ね、望みが叶う人なの。とても運がいいのよ。望んだことはたいてい願いが叶うの」
冗談かと思ったが、本気で言っている表情だ。
「そうですか。運がいいなんて私には羨ましい限りです」
「あら、レオン様を手に入れた人が何を言っているの。私が今までの人生で唯一思い通りにならなかったのはレオン様だけなのに」
「ローズ嬢!」
世間知らずのアリスだってなんとなく察しはつく。この二人は以前何かしらあったのだ。
「あら、もうすぐ結婚なさるのでしょう?可哀想な私が思い出話をするくらいいいではありませんか」
「アリスを巻き込まないでくれ。アリスを傷つけるつもりなら今すぐ俺たちはここを出る」
レオンのきつい口調が親しい人に向けるそれになり、逆にいたたまれない。今ここで話を聞いてもしんどいだろうが、ローズ嬢を一人で置いてきぼりにして店を出るのも嫌な思い出になりそうだ。
「レオン様、私は平気です。ローズ様、どうぞお話を」
「あらそう?アリス様は心が広いのね、レオン様と違って」
運ばれて来たタルトを前にしてローズ嬢の思い出話が始まった。
「私ね、生まれた時から幸運が付いて回っているの。私は逆子で、母は自分か私かどちらかの命を諦めるように言われていたの。ところが生まれる前日に私は激しく動いて逆子が治ったらしいわ」
「それだけじゃないわ。幼い頃、家中の者が流行り風邪で寝込んでも私だけは風邪にかからなかったし、出先で突然土砂崩れが起きても私だけは無傷。たくさんの人たちが巻き込まれたのによ」
「会いたいと念じればなぜかその人に偶然お会いできる。欲しいと思う物は不思議と私の手元に来る。皆が私を女神に愛された人生だと言うくらい運に恵まれているの。だけど、唯一レオン様だけは夫にと望んでも振り向いてもらえなかったわ」
レオンは渋い顔で窓の外を見ている。
「親を通して席を設けても、その日になると必ず何かしら不都合が起きるのよ。観劇に行けば緊急の呼び出しでお帰りになるし、食事に行っても御身分の高い知り合いに会って二人の席に邪魔が入る」
「ろくにお話もできないで困っているうちにあなたと婚約されてしまったわ。こんなことなら親に頼んでさっさとお話を進めるべきだったととても後悔しましたの」
そうだったんですかとアリスが隣の席のレオンを見ると眉を寄せた顔でレオンはローズ嬢を睨んでいる。
「どんな方がレオン様を射止めたのか、ずっとお会いしたいと思っておりましたわ」
「あなたとは縁がなかったのだろう。呼び出しも知り合いの登場も偶然だ。私が仕組んだわけではない」
「ええ、そうなのでしょう。私の恵まれた運を抑え込めるほどアリス様の運は強かったということですわね」
アリスは栗のタルトを食べるのも忘れて驚いていた。
生まれた時から不運まみれの自分だ。何度も何度も自分の不運を嘆いたり恨んだりした挙句に、諦めて不運に慣れるようにした。なのにレオンに関してだけは運は自分の方を振り向いてくれていたということか。
「そうでしたか。存じませんでした」
「君に聞かせるべき話ではなかったからね」
レオンはそう言うと、隣の席のアリスの頬を指先で愛おしそうにスリッと撫でた。
こんな話の後でなんてことをするのだと、アリスは慌てたがレオンはとろけるような顔でアリスを見つめている。
「あらまあ。レオン様のそんなお顔、初めて拝見しましたわ」
笑顔でそう言うローズ嬢だが、声が少し震えているように聞こえるのは気のせいだろうか。
「そろそろおじゃま虫は退散いたします。レオン様、どうぞお幸せに」
そう言うとローズは限定のタルトをひと口も食べずに唐突に席を立って個室を出て行ってしまった。
「引き留めなくて良かったのですか?」
「ああ、構わない。俺は彼女のああ言うところがどうしても受け入れ難かったんだ」
そしてレオンはお茶を飲んでローズとのことを話してくれた。
「君が気にするようなことは何も無い。子供の頃から彼女とは家族ぐるみの付き合いでよく顔を合わせていたんだ。彼女の気持ちもなんとなくわかっていたけど、俺はあの性格が苦手でね。彼女は何でも自分の思い通りになると信じて疑わないんだよ」
「それはそういう人生だったから……」
「俺は当時『そうそう一生幸運ばかりがついて回るはずがない』と思っていた。公爵家の妻には多くの役目がのしかかる。耐えることも、敢えて身を引いて他人を優先することも求められる。世界が自分を中心に回っていると思っている彼女にそれが務まるとはとても思えなかった」
「でも、不運がついて回っている私よりも公爵家にとってはローズ様の方が良かったのかもしれません」
そう口に出して自分で傷ついた。
「そんなことを言うな。俺は不運続きでも笑顔を忘れなかった君を好きになったんだから」




