4 司祭オーギュスト
休息の日の前夜。
王都の西地区にある神聖教会の司祭オーギュストは、いつの間にか礼拝堂の扉に挟んであった差出人のない手紙の内容に困惑していた。
手紙には明日の礼拝を外で行ってほしいと書いてあった。その理由が奇妙奇天烈である。まとめるとこうだ。
『街で倒れていた老婆を助けて以来、自分に関わる不幸を事前に見えるようになった。昨日この教会の礼拝堂のことを見た。礼拝に参加する信者たちに何かあってはと心配で手紙で知らせることにした。青空礼拝に変更してほしい』
手紙は上等な便箋と封筒だし、使ったペンもインクも上等なものと思われる。筆跡も美しく整っている。自分がここの信者であることを証明するために書かれた説話の内容も最近自分がした話だ。
熱心な信者の中にはごくまれに自分が奇跡を見た、経験したと主張する者がいる。だがほとんどは思い込みか偶然だ。教会に籍を置くようになって四十年。五十歳になった自分は一度経験があった。聖痕が現れたと主張する婦人がいたが、それはただの湿疹だった。
「まあ、雨も上がりそうだ。久しぶりの青空礼拝も悪くないか」
二週間の長雨の後でなかったら決断しなかったし、真夏や真冬だったら躊躇しただろう。オーギュストの中で手紙の信憑性はあまり高くはなかった。
そして礼拝当日の休息の日。
雨は上がり、長雨で洗い流された空は澄み切っていた。
朝早くから若い助祭と下働きをしている者たちとで汗をかきながらベンチを全て外に運び出し、青空礼拝の形を整えた。
やがて信者たちがぽつりぽつりと集まり始め、事前に知らせがなかった青空礼拝に驚いていたが、久しぶりの青空だったので喜んでいる者がほとんどだった。
今日の説話は「誠実なる者に祝福が与えられ、不誠実な者には罰が下される」という内容だ。今日も参加しているであろう手紙の差出人に向けて『遊び半分や自己顕示欲のためにあんな手紙を書くと罰が下されますよ』という気持ちを込めた。
説話は終わり、参加者が仮置きの祭壇の前に一列に並んで感謝の挨拶をし、献金箱にお金を入れ始めたときだった。オーギュストの背後で一度、ミシッという音がした。手紙がなかったら聞き逃していたであろう音だったが、オーギュストは素早く振り返った。
一見何事もないように見えた。しかし音は続いていた。ミシッ、ミシッと軋む音は築八十年の古い木造の礼拝堂から出ていた。
「皆さん!すぐに礼拝堂から離れて!下がってください!」
両腕を広げ献金箱の前に立っている信者たちを少々乱暴に後ろに追いやった。驚き慌てる信者たちだったが、ノロノロと後ろに下がり始めた。
メキッ!メキメキッ!バリバリバリッ!
古い礼拝堂は屋根の隙間から入り込んだ雨水をたっぷり吸い込んで重くなっていた。雨漏りはいつものことだったので誰も気にしていなかったが、雨水は長い年月をかけて柱や天井を腐らせていた。礼拝堂は大量の水を含んだ自らの重さに耐えかねて、この日、腐っていた箇所から崩れだしたのだった。
信者の悲鳴、逃げ惑う姿。オーギュストはそれらを一度は振り返ったが、礼拝堂から目を離せずにいた。礼拝堂を見上げたまま何歩か後ずさり「司祭様早く逃げて!」と信者に腕を引かれてもなお動けないでいる。
長年慣れ親しんでいた礼拝堂の屋根が中央から内側へ向かって崩れ落ちていく。屋根と壁が互いに支え合う構造の礼拝堂はしまいに轟音と共に内側に向かって左右から地響きを立て様々なものを飛ばしながら崩れた。
悲鳴を上げたり呆然と立ちすくむ信者たちの前で、オーギュストは礼拝堂だったものを呆然と見つめていた。手紙の指摘は本当だったのだ。
「奇跡だ。奇跡が起きた」
司祭のつぶやきを聞いた近くの信者たちは、予定にない青空礼拝を行った日に礼拝堂が崩れた幸運を言っているのだろうと勘違いをした。そして「これは奇跡だ」「神様の御加護だ」と互いに言い合って両手を心臓の上に重ねて頭を深く垂れた。神聖教の祈りの姿勢である。それを見た後方にいた者たちも同じように祈りを捧げた。
少々の誤解と『信者たちの目の前で礼拝堂が突然倒壊した』というショッキングな事実はあっという間に王都内に広まった。
所属する教会の垣根を超えて信者たちから寄付が寄せられて、短期間のうちに新しい礼拝堂の再建築の目処が立った。
オーギュストが王都の神聖教大教会の副司教に呼び出されたのは、それからしばらく経ってからのことである。
王都にある神聖教の中心地、王都大教会の来客用の部屋で、オーギュストは大教会の副司教クロヴィスに向かい合って座っている。
白い刺繍糸のみで刺繍を施した純白のローブを着た老人は髪も髭も真っ白だ。オーギュストのローブは灰色で刺繍などの装飾は無い。刺繍付きの純白のローブが許されているのは大教会の大司教と副司教のみである。
「それで君に送られてきた手紙とは?」
「はい、これでございます副司教様。送られて来たのではなく、教会の扉に挟まれておりまして、直接持ち込まれたものと思われます」
オーギュストもクロヴィスも白い絹手袋をしていた。
クロヴィスは丁寧に封筒から便箋を取り出して時間をかけて手紙を読んだ。そしてそれを丁重な所作で封筒に戻し、手袋を外すと両手を心臓の上に重ねてからオーギュストを見た。
「これは大変なことだね。書き手は女性だろう。しかも裕福な家の女性だ。紙もインクもなかなかに高級な物を使っている。おそらくは貴族か裕福な商人の家。そして君の地区の信者。これだけでも相当絞られる。信者の名簿と当日参加していた者を照らし合わせればもっと絞ることができる」
「ですが副司教様。本人は正体を明かすことを望んでいないように思われますが」
「そうだね。しかしこのまま放置するのもどうだろうか。今後のためにある程度絞り込んでおきなさい。いつの日かその者を必要とする時がくるやもしれないからね」
「承知いたしました」
オーギュストは急いで自分の教会に戻った。居住部分は無事だったが礼拝堂と同様に古かったので、危険だからと今は仮ごしらえの小屋を住まいにしている。宿屋に泊まるよう費用の肩代わりを申し出てくれる信者もいたが、オーギュストはそれらを全て断っていた。
「まずは該当者を絞らなければ」
やりがいのある仕事だ。名簿を見ながら女性で金銭的な余裕のある者を選び出した。更に毎回のように礼拝に参加している者。
思いの外選別作業は早く終わり、オーギュストの前には二十人ほどの名前が書き込まれたリストが出来上がった。そこで選別作業は行き詰まり、リストはオーギュストの机の鍵付きの引き出しに大切にしまわれた。