38 第一夫人とイリア
晩餐会のあと、アリスはレオンに注意されていた。
「アリス、イリアには絶対に近づくな。アンドレアス王子とシンディーが第二王子にイリアのことを報告するから。そこから先は僕たちが下手に動けば国家間の問題になる。それはわかるね?」
「ええ。わかります。イリアには近づかないし近づけさせません。私に出来ることはありませんし」
レオンはホッとしてアリスを腕の中に閉じ込めて、アリスのふわふわした髪の中に顔を埋めた。
「俺の役目は君を守って無事に連れて帰ることだ。絶対に一人で勝手に動かないと約束してくれるね?」
「ええ。約束します」
そこから先は徹底した警護がなされた。アリスにはどこへ行くにも三人以上の騎士が付き添い、口に入れる物は全て毒見がなされた。
アリスは王宮のコルマの料理を食べられるだけでも良しとして、楽しみにしていた王都見物は諦めた。
相変わらず水晶玉にはイリアの顔が浮かんでいて、何かしていないと落ち着かない。イリアに狙われるのだろうかと繰り返し考えてしまう。
レオンは
「アリスが夜眠る時は同じ室内で警護をする」
と言い出したが、流石に結婚前にそれはまずいからと騎士団の仲間に止められていた。ドアの外の警護は交代制で続けられた。
水晶玉から突然イリアの頭部が消えたのは、シンディーたちの結婚式の前日だった。レオンは安堵したがアリスは嫌な予感がした。
結婚式は音楽と花と踊りに満ちていた。
人々は歌い、身体を揺らし手を叩き、クレイン第二王子とシンディーの結婚を祝った。
シンディーはクレイン王子の隣で幸せそうに笑っていた。第一夫人は完璧な笑顔でそれを見ていた。第三夫人は控え目な影の薄い人だった。
アリスが一番驚いたのはアンドレアス王子の夫人である。
王子よりも五歳くらいは年上の夫人は、実に気が強そうな、殿下を尻に敷いていそうな人だったのだ。彼女は屈託のない笑顔で結婚式を楽しんでいた。
結婚式は二日間続けられた。
第四夫人ともなるとここまで盛大に式を執り行うことは珍しいらしく「シンディー様はご寵愛を受けているから」と王宮の人たちにこっそり説明された。
結婚式が終わるとレオンは「予定を早めて帰る」と言い、その旨を国王陛下と第二王子に告げた。するとクレイン王子の第一夫人から「帰国の前に話をしたい」と知らせがあった。
「これはもはや失礼なのでは?」とアリスが思うほど護衛を配置した部屋に、第一夫人が、侍女を一人だけ連れてやって来た。
「ゆっくりお話しするのは初めてですわね。第一夫人のアリネアです。イリアがシャンベルでご迷惑をおかけしたと殿下から聞きました」
会話はコルマ語である。
そうですねとも言えず、アリスは固まっていた。レオンは固まってはいないが黙っている。
「シンディーが旅行している間、たまたま私は里に戻っておりました。里で、私は熱を出しましてね。イリアが留守にしているのに気づきませんでした。私の不注意ですわ」
アリスは(気づかない?往復だけで二週間もかかるのに?)と思ったが「そうでしたか」とだけ返事をした。
「イリアは十五年間、私によく仕えてくれましたが、暇を出しました。もう誰にもご迷惑をかけることはありませんのでご安心ください」
アリネアはそう告げるとお茶にも手をつけず、出て行った。
「どういうこと?何をしにいらっしゃったのかしら。イリアを首にしたって、わざわざ言いにくるのって、変では?」
「第一夫人は何を言いたかったんだ?」
二人の疑問の答えはその夜、クレイン王子から告げられた。
「シンディーから聞きました。アリス嬢はシンディーと間違われたそうですね。申し訳ない。もう、あなたにもシンディーにもこんなことは起きません」
「それは、イリアさんに暇を出したからですか?」
暇を出しても危険人物には変わらないだろう、そもそも第一夫人は責任を取らないのか、とアリスは納得していない。
クレイン王子は知的な顔に微笑みを浮かべて
「イリアは暇を出されて実家に帰る途中、事故で亡くなりましたので、二度とご迷惑をかけることはないのです」
と告げた。
アリスもレオンも言葉が出ない。それが事故ではないことくらい、アリスにだってわかる。
「妻のアリネアにとって、イリアは侍女でありながら姉のように頼りにしていた存在でしたからね。さぞかしつらいだろうと慰めているところです」
「そうでしたか。それはお気の毒に」
感情のこもらない声はレオンだ。アリスがチラリと見るとレオンの顔は声と同様に何の感情も浮かんでいなかった。
クレイン王子が出て行き、護衛たちも部屋から出て、部屋には二人だけになった。
「アリス、大丈夫か?」
「なんだか寒くて。南国なのに変ですね」
レオンは向かい合って座っていたが、アリスが座っているソファーに近寄り、アリスを立たせて自分が座ると、アリスを横向きに膝に乗せた。
「ち、近すぎるのでは?」
「もうすぐ俺たちも結婚するんだ。このくらいいいさ。アリスには怖い思いをさせたね」
アリスはレオンの肩に顔をくっつけた。
「第一夫人もクレイン王子も怖い人でしたね」
「そうだね」
「偉い人はどこの国でもあんな感じなんですか?」
「いいや。少なくともうちの王女殿下はいい人だよ」
「そうですか。良かった」
しばらく部屋は無音だった。
「忘れたほうがいい」
「はい」
「つらい時は俺を頼ってくれ」
「はい」
レオンがアリスをギュッと抱きしめた。
「明日には出発して帰ろう」
「はい。おうちに帰りましょう」
レオンがアリスを膝の上で抱えたまま会話をしている。
隣の部屋に控えていたリリーは、このままこの場に居ていいのか、それとも静かに廊下に出るべきか迷っていた。
「お屋敷に戻ったら侍女頭さんにどうすればいいか教えてもらわなくては」
リリーは気配を消しつつそっと後ずさった。
 





