29 チャド
アリスが目を覚ました場所は藁の中だった。
両手両足首を縛られて木箱に肩まで押し込められている。箱がきつくて身をよじることもできない。頭の上から大量の藁が積まれていて暗いが呼吸は楽だ。
(殺されてはいなかったわけね。顔がチクチクするけども!)
声を出して助けを呼びたいが猿ぐつわを咬まされていて小さなうめき声しか出せない。馬車で運ばれているらしくゴトゴトと石畳を移動する音が聞こえ、振動が伝わる。
(いったい誰が私を拐うと言うのよ)
生首王子は帰国した。レオン様との婚約も無事整った。自分を拐って得をする人物が思いつかない。立ち上がれたら馬車から転がり落ちてでも逃げるのに、膝が箱に当たっているので立ち上がれない。膝が擦れて実に痛い。
やがてでこぼこした土の道に変わったらしい。揺れが大きくなった。小鳥の囀り、カエルの鳴き声。王都の中心部から離れているのだろう。やがて馬車が止まった。
ガサガサと音がして頭上の藁が取り除かれた。鼻から下を布で隠した男と目が合う。
「ああ、起きてたか。じゃ、歩いてもらおうかな」
そう言うと男は荷台の上に立ったままアリスの脇の下に手を差し入れて木箱の中に立たせた。男は若い。二十代前半くらいか。黒髪に黒い目の痩せた男だ。
「イアアア」(いたたた)
膝が思い切り木箱に擦れた。痛い。
「アガアアエ」(あなた誰?)
「ああ、もうそれ取ってもいいか。うるさいの嫌いだから叫ぶなよ。叫んでも辺りに人はいないからな」
そう言って男が猿ぐつわを外した。
「ふう。苦しかった」
「あんた、怖くないのか?殺されたかもしれないのに」
「もちろん怖いですけど。で、なぜ私はこんな目に遭っているのでしょう。もしかして伯爵令嬢の分際でレオン様と婚約するなんて!と怒ったどこかの御令嬢が計画したのでしょうか?」
「……は?」
男の動きが止まる。
男の顔も固まっていた。なぜあなたが固まるのだと怪訝に思っていると、男がギギギ、と音を立てそうな動きで自分を覗き込んだ。
「おまえ、誰だ?シンディー・アテルナじゃないのか?」
「違いますよ。私を拐ったあなたがそれを言いますか。私はアリス・ド・ギルマン。ギルマン伯爵の娘です」
男がドサッと藁の中に座り込んだ。
「あー、だから外国人の仕事は嫌だったんだよ。なんだよ。ほっそりしてる方って言ってたじゃねえかよ。細い方を拐ったのに!」
なんとなく事情が見えた。
「あなた、シンディーと私を間違えたのね?」
「ああ、そうらしいな。金髪に青い目の細っこい娘と言われたからな」
呆れた、と見返すと男は気まずそうに視線をそらした。
「シンディーも細いと言えば細いですけどね」
「あんたはもっと細いもんな。あーあー。こりゃタダ働きかよ」
「しかも次期公爵夫人を拐ったら地獄の果てまで追っ手が来ますよ」
「じ、次期公爵夫人だと?」
「はい。しかも婚約者は王家の血筋よ」
「なんてこったよ。ヘマしたなぁ、俺」
アリスが首をコキコキ鳴らし、体を左右に曲げてほぐしているのを哀しげに見る若い男。
「で、シンディーを拐えと命令したのは誰です?」
「そんなに軽くしゃべるわけがないだろうが」
「私に味方するなら金貨三十枚出せ……」
「コルマの人間だよ」
(即寝返ったわよ、この人)
コルマ?まさか生首王子?
いや、それは話が合わない。嫌がらせでこんなことしても国レベルで揉めたら彼自身が困るだけだ。
「あなたに命令したコルマ人の正体が知りたいのだけど」
「なんで?あんたは関係ないだろうが」
「シンディーは私のお友達だもの。それに、私には知らん顔をできない理由があるんです。とりあえず私を公爵家まで送り届けてくれますか。みんなで対策を練らなければ」
その男はチャドと名乗った。チャドは馬車を引き返してアリスを公爵邸まで送り届けるのと引き換えに自分の身の安全を要求した。
「いいわ。私もシンディーも無事だし。ただ、私の婚約者様に一発くらいは殴られるかもしれないけど、それは仕方ないわよね?」
「ああ、そのくらいは我慢するさ」
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馬車で公爵邸に戻ったアリスを見て、色んな人が驚き喜んだ。
シンディーは事情を聞いて「自分のせいで申し訳ない」と泣き崩れた。そして……
ドスッ!
レオンに殴られてチャドが吹っ飛んだ。
「くっ、ぐぅぅ、き、聞いてねぇ。婚約者が近衛騎士だなんて聞いてねえぞ」
床に転がり腹を押さえながらチャドが抗議した。
「言ってないもの。レオン様、チャドは私の側に寝返りましたから。まずは依頼主のことを聞き出しましょう」
レオン様は怒りが収まらない様子だけれど、今はそれよりシンディーを狙った相手を探るのが先。
「ああ、そうだな。それが終わったら……」
「待て。あんた俺を助けるって言ったよな?」
「ええ。でもあなたの働き次第だわ」
「やるから。ちゃんとあんたのために働くから。それと約束の金は本当にくれるんだろうな?」
「ええ。それもあなたの働き次第よ」
「汚ねえ!」
レオンと公爵が二人同時にギロリ、と睨んだ。
「このまま警備隊に突き出せば次期公爵夫人を失神させて拉致したのだ、お前は死罪だぞ!」
「まあまあ、レオン様。ここはチャドを有効に使うことを考えましょう」
ほう、と公爵様が自分を感心したように見る。その公爵に向けて(ええ、色々経験しましたからね。強かにもなりますよ)と、アリスはうなずきながら微笑んだ。
「私が囮になります」
それまで黙っていたシンディーが口を開いた。
「私に消えて欲しい人が誰なのか、殿下のためにも巻き込んでしまったアリスたち皆さんのためにも私は犯人を知らなければなりません。私が囮になりますから、どうかお力をお貸しください」




