25 クロヴィスの願い
クロヴィスは机に並べた二枚の紙を眺めていた。
一枚は王都西地区教会司祭のオーギュストから届けられた「礼拝堂の倒壊を予言した可能性のある二十人の女性」のリスト。
もう一枚は三人の近衛騎士たちの口から出た「アリス・ド・ギルマン」の名前が書かれている紙。
「思いがけないところから一人に絞られましたね。さて。一度彼女とお話をしたいものですが、タイミングを見計らう必要はありますね」
王都大教会は高齢の大司教を頂点に組織されているが、大司教は年齢故に実務からは遠ざかっており、実質の運営をしているのはクロヴィスである。
この伯爵令嬢がなんらかの神聖な力を得ているのなら、是非その経緯を聞きたい。
生まれつきなのか、何かをきっかけに力を得たのか。大教会の副司教にまで上り詰めたクロヴィスはしたたかな戦略家だが、根本は神聖教の敬虔な信者だ。
知りたい。
女神が直接人間に何かを授ける事があるのか。それとも海をも動かすほどの力がその令嬢にあるのか。
自分は一生を神聖教に捧げて生きてきた。
だが、自分にそのような奇跡が起きなくてもいい、自分が一生を捧げた先に『確かな何か』がある、という証拠があるならぜひ知りたかった。
その頃アリスは西区の神聖教教会礼拝堂にいた。
「女神様。お助けくださりありがとうございました。私はあの時のおばあさんが女神様だと思っております。わずかな水と食事のお礼に頂いたペンダントが何度も私を助けてくれました」
誰もいない新築の礼拝堂は、ひんやりした空気と真新しい木の香りが漂う。多くの寄付で礼拝堂はあっという間に以前より立派なものが建てられていた。
「今日はお礼に今の私ができる精一杯のお礼を持って参りました。どうかお納めください。それと、大丈夫とは思いますが、私に訪れる不運はもう増やさなくても良くなりました。通常通りでお願いします。不運をなくしてほしいなんて贅沢は言いません。ペンダントのお力をお借りしながら自分で不運と立ち向かいます」
そういうとアリスは献金箱に宝石のついたアクセサリーを二つと自由になる小遣いの全て、それに加えてアヴィッドの収入のうちの自分の取り分を全て献金箱に入れた。一礼をして礼拝堂を出て、外で掃き掃除をしていた下働きの少年に声をかける。
「お掃除中失礼いたします」
「はい」
「今、献金箱に献金をいたしました。少々多めに入れましたので念のため早めにご確認ください」
「あ、お待ちください。お名前は?」
「いいんです。立ち寄った一人の信者、とだけ司祭様にお伝えください」
「はぁ。ありがとうございました。女神の祝福があなたに訪れますように」
少年は箒を木に立てかけて礼拝堂に向かった。「えええええ!」という叫び声が礼拝堂から響くのはこのあとすぐである。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
副司教クロヴィスの願いを叶える機会は案外早く訪れた。あの伯爵令嬢と公爵家嫡男との婚約式が大教会で執り行われることになったのだ。
一般的な貴族の婚約式は身内だけで執り行うが、王族の婚約式は大教会の司教が女神の祝福を授ける形で行われる。ルシュール公爵家からギデオン伯爵家令嬢との婚約式の予約を申し込む使者が来たのだ。
一週間後、親族と共に現れた令嬢は、花の蕾のような華奢な少女だった。公爵家嫡男との婚約式はつつがなく終わった。
「大司教様がお二人とお話をなさりたいとのことです」
と副司教に言われ、親族は二人を残して帰って行った。
大司教は高齢のため、耳が遠く会話も思うように繋がらない。そのため大司教は短時間で退出し、そのあとはクロヴィスが話をすることとなった。話があると言っていた大司教が早々に退出したのにまだ引き止められたレオンとアリスは怪訝そうな顔だ。
「お忙しい所、お引き止めして申し訳ございません。実はアリス様にお尋ねしたい事がありまして」
「なんでございましょう副司教様」
「礼拝堂の倒壊を教えてくださったのは、アリス様、あなたですね?」
突然の質問にアリスは返事をためらった。質問の目的がわかるまでは、うかつなことは言わない方がいい。それはレオンも同じ考えだった。
「副司教、ご質問の意図は?それを聞いてどうなさるおつもりです?」
副司教は二人の気色ばんだ様子に苦笑した。
「アリス様を利用しようとは思っておりません。どうぞご安心ください。私は、女神が真に存在するのかを知りたいのです」
この国の宗教、百万人にも届こうかという信者を束ねる男の口から出た意外な言葉に、アリスもレオンも驚いた。
「私は貴族の三男に生まれ、家の事情で六歳から神聖教に人生を捧げて生きてきました。女神を信じることで多くの魂が安らぐことも、強くなれることも知っています」
そこでクロヴィスは一度窓の外を見た。晴れ渡った青空が美しい。
「でも、私自身は女神の存在を現実の中で体験したことは一度もありません。私だけではない。ほぼ全ての信者がそんな経験は持っていないのです。神とは心の中に、信仰の中にあるもの、そう思っていました。つい最近までは」
クロヴィスは真っ直ぐにアリスを見つめた。その顔にシワは刻まれているが、期待に満ちた瞳は少年のようにキラキラしている。
「私が経験したいなどとは贅沢は言いません。ただ、あなたが経験したことを聞かせて欲しいのです。あなたの見たこと、経験したこと、どうか全て話して聞かせてはくれませんか」
アリスはクロヴィスの目をじっと見返す。自分を利用しようとしている目には見えなかった。
(これで騙されるなら私が愚かだったということ。それに、ここで何を話しても信じない人は何も信じない。嘘つきと言われたらそれまでのこと)
アリスはにっこり微笑んで小さくうなずいた。心配そうな顔のレオンにも微笑みかける。
「ええ。かまいませんわ。長い話になりますので、副司教様、どうかお茶をもう一杯いただけないでしょうか」




