24 三人の近衛騎士
「レオン、陛下から伝言だ。アンドレアス第三王子はアリス嬢との縁組を白紙に戻したそうだ」
「そうでしょうね」
「知っていたのか」
「いえ、そうなるだろうなと思っておりましたので」
「どういうことだ?」
レオンの父、ブライアン・シャンベル・ド・ルシュール公爵が怪訝そうな顔になる。
「出先でトラブルが続きましたからね」
「トラブルごときで縁組の取りやめとはまた用心深い、いや、気が小さいというべきか」
「そうですね。それとも、何度か会ってみて合わないと判断されたのかもしれませんね」
「そうか。お前にとっては何よりではないか」
「ええ。本当に」
父の部屋を出て行くレオンの口元は笑っていた。
実際のところ、アリスが願った通りに不運は立て続けだった。夜会の時に決めた「何か起きそうな時は左耳を触って知らせる」という約束を今回そのまま使うことにした。
黒髪とつけ髭で変装して護衛の中に紛れ込んでいたレオンは、アリスが左の耳に触るたびに(また?)と驚いていた。まさかここまで連続してトラブルが起きるとは思っていなかったのだ。
アリスが何気ない仕草で左耳に触れると、本当に様々な事が起きる。カラスや大波、斧や牡牛。最後は新品の車軸。
たいして信心深くはなかったレオンも(この世に本当に運命の女神がいらっしゃるのだ)と思った。
数日後、アンドレアス王子は重油と軽油の輸出に関する契約を終えて帰国した。アリスが見送りに出向いたが、王子は忙しいと言って顔を見せることはなかった。その日の夜にはアリスとレオンの婚約申請書に国王の印が押され、婚約は成立した。
国王の執務室。
伯父と甥でもある二人は表面上は穏やかな表情だ。
「待たせてすまなかったな、レオン。やっとお前の婚約を承認してやれる。私を許せとは言わん。だがあれも国のためだったのだ。わかってくれ」
「はい。承知しております。婚約を認めていただき、感謝しております」
出て行くレオンを見送り国王は目を閉じる。そして誰にも聞こえない小さな声でつぶやいた。
「すまなかった、レオン」
レオンは馬を飛ばしてギデオン伯爵家へと向かった。早馬の足音に「なにごと?」と驚いて飛び出して来た使用人に愛馬を頼み、伯爵家の玄関に入る。
華奢な体いっぱいに喜びをまとったアリスが駆け寄って来て、レオンの両腕の中に飛び込んだ。レオンは抱きしめて持ち上げたアリスをグルグル、と回してからそっとその体を下ろした。
「やあ、今日も可愛らしいね、婚約者殿」
「私、私は、レオン様の婚約者なんですね!」
玄関に向かう階段の途中で母シャルロットがしゃがみ込み、声もなく泣き出した。父ディディエはその背中を優しく撫でている。
「シャル、アリスは異国の第二夫人にならずに済んだよ。こんな結果になると、誰が予想しただろう」
シャルロット夫人はアリスが貴族の義務をどうしても果たさねばならない時は、笑顔で異国に送り出すつもりだった。「お国のために嫁ぎなさい。あなたの役目を果たしなさい。王国のお役に立つことを誇りなさい」と言い切るつもりだった。
だが今は、ただただ安堵して涙を流し続けた。
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王城からほど近い神聖教王都大教会に三人の敬虔な信者が訪れた。皆、顔色が良くない。普段なら若手の司祭が対応するのだが、訪れたのは王族の警護を務める近衛騎士が三人、それも全員が深刻な様子である。
若手の司祭は(クロヴィス副司教に相談すべき)と判断して三人の近衛騎士を礼拝堂に待たせてクロヴィスを呼びに走った。
やがて純白の司教服をまとったクロヴィスが礼拝堂に入ってきた。
「遅い時間に三人が揃ってここにいらっしゃるとは。よほどのことがあったのですね?」
「クロヴィス様!」
「どうか我らに女神の加護を!」
「私は生まれて初めて心から神を恐れました」
クロヴィスは彼らのことを幼い頃から知っていた。敬虔な神聖教教徒の両親に育てられ、彼らも敬虔な信者として成長した。近衛騎士という仕事柄、休息の日の祈りに毎回参列することはできないが、折に触れて教会に顔を出してくれる者たちだ。
その彼らがここまで取り乱しているのはどんな理由だ?
「夜は長い。あなたたちの心が軽くなるまで話を聞きましょう。もちろんあなた方が見聞きした事、ここで相談をしたことの秘密は守られます。いったい何があったというのです?」
三人の近衛騎士は先を争うように自分たちが見たことを話した。
公爵家嫡男と婚約するはずだった伯爵令嬢が他国の王子に見初められたこと。
彼女を第二夫人として嫁がせるのと引き換えに国が大きな取引を結ぼうとしたこと。
二人が食事をしているとカラスが窓を破って飛び込み、博物館では誰かの悪意が働いたかのように斧が倒れて来たこと。
牧場では牡牛が繰り返し王子に飛びかかろうとしたこと。
海に行けば王子とその護衛が突然の大波に巻き込まれたこと。
入念に確認したはずの新品の車軸が折れて馬車が横転したこと。
「たった二日間のことなんです。王子は二日間に五回も不穏な突発事故に巻き込まれ、カラス以外の四度は命の危険がありました」
「それはまた……確かに偶然と言うには不思議なことが起こり過ぎているかもしれませんね。それで、その伯爵令嬢はご無事だったのですか?」
「ええ!そこもまた不思議なのです。御令嬢は我らよりも先にその異変に気付いていらっしゃいました。毎回、少しだけ、我らよりも先に動くのです」
「ありえないことなんです。常に仕事として危険を察知して対応している我らよりも、貴族の御令嬢の方が先に察知して避けることができるなど。まるで、まるで、次に何が起きるかわかっているようでした」
「ええ、おかしなことを言っているのはわかっています。でも、確かにその御令嬢は事前にどんな事が起きるのかを知っているように見えたんです!本当です!」
「二度目、三度目までは偶然だと思っていたのです」
「我々はその御令嬢が現れる前から第三王子の警護に就いておりました。その時は何も起きなかったのに」
「なるほど。皆さんが何を見て何に畏れを抱いているのかはわかりました。それで、その御令嬢とは、いったいどなたなのです?」




