21 祈り
公爵からの発案という形でシャンバル王国側から第三王子側に提案がなされた。
「しばらくアリス嬢との時間を過ごされてはどうか。第二夫人として迎えた後で、やはりアリス嬢が気に入らないということがあれば、国王の甥が見初めた女性を差し出すシャンバル側としては面子が立たない。両国の良好な関係維持のためにも第三王子がこの国に滞在される間だけでもアリス嬢と共に過ごしてみてから結論を出して欲しい」
その提案を聞いて第三王子は了承した。
「シャンバルの面子などどうでも良いのだがな、あの娘と会うのは退屈しのぎに丁度良い」
こうしてアリスと第三王子とのデートが始まるのだが、話が決まってから聞かされたレオンは激怒した。
「それでは結局アリスを生贄に差し出すようなものではありませんか。そもそも父上はなぜアリスの提案に乗ったのです?取り返しのつかないことになるかもしれないのに!」
「落ち着け。彼女にはなにやら奥の手があると言う。本人が試したいというのなら試させてやろうではないか。十六歳と言えど、もう彼女は成人した貴族の娘だ。彼女は自分がこの縁組を拒否できないことはわかっている。家のため国のために嫁がねばならぬのなら、試したいという奥の手を試させてやるのが慈悲だ」
理屈ではわかっている。相手の申し出を受ける以外の手は無いのだ。だが……。
「父上、それなら私からもお願いがあります」
レオンは一歩も引かぬ覚悟で公爵に詰め寄った。
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重苦しい空気がギルマン伯爵家に垂れ込めていた。母シャルロットは食事が喉を通らず伏せっている。父ディディエ伯爵は気を紛らわすためか猛烈に仕事にとりくんでいた。弟アランも部屋にこもっている。当のアリスは庭の四阿で一人水晶玉に祈りを捧げていた。
「お願いします。どうか私に訪れる不運をいつもの何倍にもして下さい。死なない程度に次から次へと不運を私にぶつけてください。それが私にとって最大の不運避けになるのです。私を真の不運からお守りいただくために、どうかどうかお願いします!」
アリスはこの水晶玉のペンダントをくれた老女を思い浮かべながら必死に祈った。自分の不運を見抜き、助けてやろうとペンダントを渡してくれたあの老女ならきっと助けてくれる、そうでなくてはこのペンダントを自分に手渡してくれた意味がないではないか。そう信じて祈りを捧げた。
アンドレアス王子との縁組の話が出てから初めての顔合わせの日。
二人はそれぞれの国の護衛を引き連れ、とあるレストランで食事を共にした。王子は意外にもにこやかに会話を回してアリスに気遣いを見せる。アリスも上品な笑顔と態度で対応していた。
「ふむ。さすがは貴族の娘だ。己の為すべきことがわかっていたのだな。感心したよ」
「はい。この度の両国の取り引きが、わたくしの身ひとつで上手くいくのであれば喜んで殿下に嫁ぐべき、と思っております」
「良い。良い心がけだ。女はそうでなくてはな」
穏やかな雰囲気の内に食事が終わり、食後のお茶を、という段になってガチャーン!という音とともに窓ガラスが破られ、一羽のカラスが飛び込んできた。
カラスは興奮して壁や天井やテーブルにぶつかりながら室内を飛び回る。王子とアリスを部屋から逃そうとするとその都度ドアの辺りに飛んでくる。
剣を使えば血が飛び散ってしまうので、剣を鞘に収めたまま叩き落とそうとする護衛たち。しばらくしてカラスは黒い羽と料理を飛び散らせて開け放たれた窓から出て行ったが、後の室内は散々なことになった。
王子とアリスは護衛の背に守られて何事もなかったが、アンドレアス王子はすこぶる不機嫌になった。
「なんと不吉な。すぐにここを出よう」
こうして一行は予定に無かった博物館へと向かうことになった。博物館にはシャンベル王国の古い芸術品や工芸品が展示されており、美しい彫像や壺、伝統的な武具などが整然と展示されている。
「ふむ。さすがに幾多の戦火をくぐり抜けてきた国だけはあるな。特に武具はなかなか見応えがある」
王子は槍や斧、強弓などに興味を持ったらしい。低い壇の上、革紐で壁に固定されている武具は手を伸ばせば触れられる位置に展示されているが、手で触るような不届き者などいない。王子も両手を後ろに組んで説明書きを興味深そうに読んでいた。アリスも隣で同様に覗き込む。
と、突然長い柄の付いた斧を壁に固定していた革紐がぷつりと切れた。それに誰も気づかない。風もなければ振動もない博物館の中で、斧は少しの間そのままでいたが、やがてゆらり、と誰かの手に押されたかのように頭同士を近づけて見学していた王子とアリスの方に刃を向けて倒れてきた。
動いたのはシャンベル王国側の騎士だった。長い黒髪をひとつに縛り黒く短い髭を蓄えた騎士は、斧が王子の頭に触れる直前にはっしと斧の柄を受け止め、静かに壇上に斧を置くと頭を下げて元の位置に戻った。
コルマ側の従者や騎士たちの間にわずかに動揺が広がる。
飛んでいるカラスを窓から飛び込ませることも、突然決まった博物館訪問で王子を狙い定めたように斧を倒すことも、人間にはできない。そこが彼らを不安にさせた。
王子とアリスが馬車に乗りドアを閉めた後でコルマの護衛たちは声をひそめて囁き交わした。
「不吉なことが二度も続くとは」
「短い時間に二度だぞ」
一行はまたも早々に博物館を後にして馬車に乗り込んだ。
「殿下、ご気分が悪くはないですか?」
「アリス、お前こそ大丈夫か?」
「ええ、わたくしならなんともございませんわ」
「肝が据わっているのだな」
アリスは微笑むだけで答えない。胸に下げている水晶玉のペンダントをぼんやりと覗き込んでいるだけだった。
(なんと安っぽいペンダントか。コルマに連れ帰ったら私の妻に相応しい豪華な物を買い与えよう)
アンドレアス王子はペンダントを眺めているアリスを見てそう思った。