20 不運ハイ
翌朝、アリスは父ギデオン伯爵に叩き起こされた。
「アリス!起きなさい!今朝早くからひっきりなしに祝いの花が届くんだが。昨夜王宮で、何があったんだ?」
「ええと、コルマの第三王子に絡まれました。それと、レオン様は私を婚約する相手だとその主賓客の前でおっしゃいました」
「お、お前は!そんな大切な事をなぜ報告しないのだ!」
「第三王子は引いてくれましたし、レオン様とはお試し期間が終わってませんもの。私だって、レオン様と婚約なんて夢のようなお話とは思いますけど」
「いいかアリス。普段お付き合いのない高位貴族の方々から祝いの花束が届いているんだぞ」
慌てて階下に降りると、玄関ホールも居間も花で溢れていた。
「まあ!これはこれは」
「で、どうなんだ、婚約の話は本当なのか?ハッキリしないと動けないではないか」
「お父様、落ち着いて。レオン様からは私がいいのだ、とおっしゃっていただけましたが、正式に申し込まれてはいないのです。なので私の口から先に報告するわけには……」
しかしこのあとすぐにレオンの訪問があり、またギデオン伯爵家は大騒ぎになった。
「すまないアリス。しばらくは二人の理解を深める期間を置くはずだったのに。夜会で話を聞いていた貴族が多かったようで、我が家にも祝いの花が殺到していてね。父に『アリス嬢にさっさと婚約の申し込みに行かないか』と叱られたよ。申し訳ないが父はすでに君に関しては調査済みで、君を気に入っているんだ」
「公爵家ですもの。調べを入れるのは当たり前ですわ。それよりもレオン様、私でよろしいのですか?本当に?不運続きの私ですよ?」
するとレオンは椅子から立ち上がり、家族が見守る前でアリスに跪いた。
「アリス。どうか私と婚約してほしい。君を守り慈しみ、生涯を捧げる事を誓うよ」
アリスはまだ信じられずアワアワしていたが、父と母とアランとスーとアメリたちからの(ぼやっとしてないで早くお返事を!)という刺すような視線に促されて我に返った。
「は、はい。謹んでお受けいたします」
居合わせた全員に祝福され、アリスとレオンの婚約が無事決定……しなかった。国王陛下の許可が下りなかったのだ。レオンは王族なので国王の許可なく婚約は成立しない。
翌々日の朝、仕事の前に来たというレオンがアリスに頭を下げた。
「すまない。婚約の許可まで少し時間がかかりそうなんだ」
「やはり、わたくしに何か原因が?」
レオンがギリッと奥歯を噛む。そして
「いや、原因は君ではない。君は安心して待っていてくれ。俺が必ず許可を得る」
と言って王城へと出勤して行った。
その日、アリスとその両親が急遽公爵家に呼ばれた。雲の上のお方を前にして夫妻は緊張の極みらしく、ディディエ伯爵はやたら汗を拭いていたしシャルロット夫人は顔色が青白かった。
公爵とレオンはよく似ていた。公爵の銀髪には白いものが混じっているが、ブルーグレーの瞳は形までレオンとそっくりだ。
ルシュール公爵は全ての人払いをして四人だけになってから話を始めた。
「あなたたちとの初めての顔合わせが不愉快な話になることを申し訳なく思う。実はコルマ王国の第三王子がアリスにご執心でね。なんとしても第二夫人にしたいとごねているのだ」
アリスは肌が粟立つのを感じながらも(ああ、なるほど。それで婚約の承認が出ないのか)と理解した。
公爵が苦々しげに話を続ける、
「今、我が国はコルマ王国との間に貿易に関して大きな契約を結ぼうとしている。アンドレアス殿下はその代表責任者だ」
公爵によると、コルマ王国では原油を精製する技術が開発されて、今までの石炭に代わり重油と軽油が輸出されることになった。それはこのシャンベル王国にとって、いや、周辺諸国すべての国が喉から手が出るほど欲しいものなのだそうだ。
「そしてここへ来てアンドレアス第三王子が契約を結ぶ条件としてアリスを第二夫人にしたいと言い出した。陛下の甥であり公爵家嫡男の婚約者候補だからとその要求は一度は突っぱねた。だが我が国としては粗略に扱えない人物だから、今は婚約に許可を出せないでいる」
シャルロット夫人の目からツツッと涙が流れ、夫人は慌ててハンカチで涙を押さえた。
「夫人、つらい話を聞かせて申し訳ない」
「コルマの第三王子の第二夫人、でございますか……」
堪えきれないように震える声を絞り出す母に、アリスは黙ってその手を握った。
「このままアンドレアス王子が引かなければ、アリスはコルマ王国に嫁ぐことになってしまう。だが、私とて息子が見初めたアリスをむざむざ奪われたくはない。なんとか手を打つべく陛下や宰相たちとも話し合っているところなのだ」
黙って話を聞いていたアリスが顔を上げ、決心したように言葉を挟んだ。
「私に案がございます。私にしかできない方法です。どうかお任せ願えないでしょうか。アンドレアス殿下の方からわたくしを諦めてもらうようにいたします。もちろん我が国に迷惑はかけないように。必ずや第二夫人の話を潰してご覧に入れます!……多分」
実にあやふやな宣言を聞いて公爵は訝しむ顔になり、両親は一気に不安げな顔になる。
「アリス?お前が何をやらかすつもりなのかわからないが、私はお前の案とやらに不安しかないよ」
「お父様、どうか私を信じてください」
アリスの話をあまり信じてはいないであろう公爵からは「必ず自分の身の安全を最優先する事」を条件に許可が出た。
「どうか大船に乗ったつもりで私にお任せくださいませ!」
心の中で(上手くいきます!多分)と付け足すアリスの鼻息が荒い。不運ハイというものがあるとすれば、まさにこの時のアリスの状態がそれである。